第三十四話:王からの思わぬ褒美【後編】
「さて、ライル・アッシュフィールド。お前については改めて詮議があるが、私個人として恩人のお前になにか礼をしたいと考えている。直答を許す。望むものがあれば申せ」
そう言われて俺は困った。別にこれといって欲しいものはなかったからだ。俺は改めてなぜ自分がいまこの場にいるのかについて考えながら口を開いた。
「……陛下。俺は自分が山で学んだものが、一体何であったのかが知りたいだけです。ですので褒美は要りません。望みと言えば、ここにいる人たちが無事に安全に家に帰れることです」
俺の答えに、ヴァレリウス王は少し驚いた様子だったが、すぐに真剣な表情に戻ると、少し探るような眼となった。
「分かった。必要な詮議はするが、ここにいる者たちの無事は保証しよう。……して、お前個人の望みはないというのか……? では、これからどうするつもりか?」
「……俺は、師匠が何を教えてくれたのかを探します」
「師匠? お前の師匠か、それは何者だ?」
「山で俺を教えてくれた師匠です」
「山とはどこの山か?」
「どこの山と聞かれても……」
言葉に詰まった俺の代わりにギデオンが口を開いた。
「陛下、お答えをお許しください」
「許す」
「ライル殿は山から下りて、一番最初に見つけたのが我が道場だと話しておられたので、恐らくドロイ山かと思われます」
「ドロイ山か……。あんなところにそんな者がいるとは……」
俺は思わず口を開いた。
「恐らく、もうそこにはいないと思います」
「どういうことだ?」
「俺に山を下りろと言った後、師匠もどこかへ行ったと思います」
「そうお前に告げたのか?」
「いえ、違います。でも、いないと思います」
「なぜそう思う」
その声には命の恩人であっても、いい加減なことは許さない、という厳しさがあった。
「……気配を感じないからです」
ヴァレリウス王は「ふむ」と考えてから質問を続けた。
「ではその山の師匠はお前に何を教えたのか?」
「何も」
「なんだと? お前は最前『教えてもらった』と言ったではないか」
「はい。俺は教えてもらったと思っていますが、師匠は『ワシは何も教えていない』と言っていました」
周りの人間からこの会話に不安そうな気配が漂っていた。しかし王自身は苛立つこともなく、むしろこのやり取りを楽しんでいるように感じた。
「ほぉ、それはどういうことだ?」
俺自身、改めてこの疑問について考えながら口を開いた。
「……俺は山で、師匠から沢山のことを学びました。それは武術と呼ばれるものを含んだものですが、名前もない体操のようなもので、なんであったのか分かりません。ただそのお陰で今、ここにいます」
「名前がない体操のようなものを教わったというのか?」
「はい。少なくとも俺は教わったと思っていたのですが、今にして思うと、恐らく師匠は、『俺が自分のようになることはない』と考えていたように思います」
王は無言で俺に言葉を促す。
「時折こう言っていました『お前とワシでは何もかもが違う。だから同じことをしようと思うな』と。だから『これでいいですか?』と尋ねられることをとても嫌がりました」
「……面白い。お前はそれをどう思っている?」
俺は目を瞑り、できるだけ言葉を選びながら答えた。
「師匠は、俺を別のものにしようとしたのではなく、俺が俺になるための方法を教えてくれたように思ます」
王は黙って俺の話を聞いている。
「……続けよ」
俺はゆっくり、思いを考え考え言葉にする。
「例えば……俺は、ただ木のように立ち続けるという稽古を何年もしました」
「うむ」
「師匠は形が崩れると、ただ『足』とか『頭』とか、そこが不自然だと指摘するだけで、何が『正しい立ち方』ということは教えてはくれませんでした。」
王は、黙って俺の言葉を待っている。
「師匠の稽古は全てがそうでした。どうすれば良いのか、なにが正しいのかを説明したり、言葉にしたりすることは一度もなく、その答えは、いつも俺自身が見つけなければなりませんでした。俺の体にとって、一番楽で、一番強くいられる場所を、自分で探すしかなかったんです」
俺は、一度言葉を切ると、目を開き、自分の中でようやく形になり始めた答えを口にした。
「……俺が学んだのは、師匠の技を真似ることではなくて……。どんな状況でも、俺が『俺』でいられるための、自然でいられるための方法だったんだと思います。師匠は、ただ、そのための道を示してくれただけ、というか……」
俺は、ようやく腑に落ちたという感覚で、続けた。
「だから師匠は、『ワシは何も教えていない』と言ったんだと思います。俺が、俺自身の力で見つけたものだから……」
俺がそう話し終えると、ヴァレリウス王は、しばらくの間、何も言わなかった。
彼はただじっと、俺の目を見ていた。その瞳には、先ほどまでの探るような色はなく、もっと深い、畏敬とも、感嘆ともつかない光が宿っていた。
やがて、彼は、声を上げて笑った。それは王としての笑いではなく、一人の人間が、心から面白いものに出会った時の、純粋な笑い声だった。
「はっはっは!そうか、そうか!『お前になるための方法』か!……面白い!実に、面白い男だ、お主は!」
王は笑い終えると、すっと真顔に戻り、にやりと笑った。
「お主に望みがないというのは分かった。しかしそれは、私としてはいささか不都合である。命を救われた恩人に対して、なにも褒美がないというのは、我が王家の沽券に関わるからだ。『ヴァレリウス王は命の恩人に対して何も報わなかった』と言われるのは外聞が悪い。そこでだ……」
王はそこでいったん言葉を切ると、周囲に跪く者たちを見回し、彼らにも聞こえるように大音声で宣言した。
「ライル・アッシュフィールド。お主の望みがないのは分かった。では代わりに予が望もう。それはお主の師匠を探すことだ! このヴァレリウス王が総力を挙げてお主のその山の師匠を探してみせよう!」
その言葉に、ギデオンたちが息を呑むのが分かった。俺は慌てて口を開いた。
「陛下、そんなことをしてもらわなくても……」
と言いかけたところにヴァレリウス王が俺に視線を戻した。その目には、巨大な権力を持つ者特有の強い光があった。
「王である私が命の恩人に報いようとすることを、お主は無碍に断るというのか?」
イザベラが小声で「今はお受けなさい。でないと不敬にあたる」と言い、ギデオン殿も「ライル殿、ここはお受けなさい」と声を掛けてきた。
俺は顔を伏せて少し考えた。
『定まった運命はないが全てに縁がある。縁に良い悪いはない。しかしそれがなんであれ、一旦生じたものには必ず結果が伴う。この因果の関係から逃れることはできない。それもまた自然である』
いまの俺には師匠のこの言葉の意味はまだよく分からない。しかし山を下りて以来、俺はギデオン殿やセレス、イザベル隊長、ロッテ、ルナといった人たちに出会い、助けられてきた。それは師匠の言う「縁」なのだろう。そして、俺が王を助けたことで、今、新たな「縁」が生まれた。 この流れに逆らうことは、川の流れを無理やり堰き止めようとすることに似ているように思えた。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。そして、目の前に立つ王を、まっすぐに見返した。
「……分かりました。陛下のお言葉、ありがたくお受けいたします」
俺は、そう言って、深く頭を下げた。
俺の返事に、ヴァレリウス王は満足そうに、深く頷いた。
「うむ。それで良い」
王は、隣で跪くギデオンに向き直った。
「ギデオン。ライルが我が王都にいる限り、この者の世話をお前に任す。また騎士団についても、改めてお前の力が必要なようだ。指示は追って出すが、そのことを心得よ」
「はっ!このギデオン、身命を賭してお受けいたします!」
ギデオンが、感極まった声で応える。
王は再び俺に視線を戻した。
「ライル、落ち着いたらいずれゆっくり話を聞かせてもらうぞ」
そう言うと、周りの者に聞こえるように、
「今ここより、ライル・アッシュフィールドは、アウレリア王家の客人として、余がその身分を保証する!好きなだけ逗留するが良い」
それは国王自らが、俺の無罪を宣言すると同時に、俺がしばらくはこの王都で過ごすことが決定した瞬間だった。 俺の周りで、ギデオン殿やロッテが安堵の息を漏らすのが気配で分かった。 俺はこれから始まるであろう、山の暮らしとは全く違う、騒がしい日々のことを思い、静かに頭を垂れていた。その耳に、顔を伏せたままのセレスが、ホッと息を漏らしたのが分かった。
(第三十四話 了)
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