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病弱だった俺が謎の師匠に拾われたら、いつの間にか最強になっていたらしい(略称:病俺)  作者: 佐藤 峰樹 (さとう みねぎ)
第一部【王都クーデター編】

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第四話:師範代の最初の仕事は、ただ立つことでした【前編】

 結局、その夜はほとんど眠れなかった。指先に残る微かな痛みと、二人の女性の残した気配を感じながら、窓の外が白み始めるのを見ていた。


 ぼんやりと昨夜のことを考えていると、控えめなノックがあり、朝食の準備ができたと告げられた。


 食堂へ向かうと、そこにはギデオン殿だけが座っていた。昨夜、あれだけ騒がしかったユリウスや、双子の姉妹の姿はない。昨夜のことを思い出し、少しだけほっとする自分がいた。


 用意されていたのは、昨日と同じ、俺のための質素な食事だった。その心遣いに静かに頭を下げ、ゆっくりと口に運ぶ。沈黙は、俺にとって苦ではなかった。ただ、目の前の食事に意識を向ける。


 しばらくして、向かいに座っていたギデオン殿が、重々しく口を開いた。


「……昨夜は、娘たちが騒がせたようで、すまなかったな」


 俺が顔を上げると、ギデオン殿は父親の、少し疲れたような、それでいてどこか困ったように笑っていた。


「一人は夜中に客人の部屋を訪ね、もう一人は寮を抜け出してくる。母親が亡くなってから男手一つで育ててきたが、年頃の娘たちの考えていることは、いよいよ分からなくなってきて困ったものだ」


 彼は「やれやれ」と首を振る。その口調は愚痴のようだったが、彼の目には娘たちへの深い愛情が滲んでいた。


「ルナの姿が見えんようだが、あやつは日の出前には、文字通り学校へ飛んで帰ったそうだ。魔法の腕は上がっているようだな……」


 ギデオン殿は苦笑いを浮かべた。彼は、まるで昔語りをするように、静かに話し始めた。


「セレスティア……セレスは、完全にワシの血だな。物心ついた頃から剣を好み、寝ても覚めても鍛錬に明け暮れておる。ワシが見ても、あれほどの才能は稀だ。……だが、その才能ゆえか、ここ一年ほど、腕が全く伸び悩んでおってな。本人が一番、苦しんでおるのだろう」


 彼の言葉に、昨夜のセレスティアさんの真剣な眼差しを思い出す。扉の向こうから聞こえた、あの固く真面目な声。そして、彼女の武術への真摯な姿勢。


「一方、双子の妹のルナリア……ルナ、あの子は母親の血を色濃く引いた。剣には全く興味を示さんが、母親譲りの魔法の才能に恵まれてな。二年程前から、王都にある魔法学校の寄宿舎で学んでおる。……まあ、校則破りの常習犯で、こうして夜中にふらりと戻ってくることも珍しくないのだが」


 俺の脳裏に、窓から忍び込んできた銀髪の少女の姿が浮かぶ。月光に透ける寝間着。甘い香り。そして、指先に残る柔らかな感触と微かな痛み。


 彼は最後に、自身のことを付け加えた。


「わし自身も、王立騎士団の剣術師範を拝命しており、今でこそ年に何度かだが、昔は城詰めで指導をしていた。……結局、あの子たちには、寂しい思いをさせてきたのかもしれんな」


 家族の話をするギデオン殿の顔は、偉大な剣士ではなく、ただの父親の顔だった。


 俺は、何と返事をすればいいか分からず、ただ黙って聞いていた。


 父親の悩み、娘への愛情……。俺には、そうした家族との温かい思い出がない。親父や兄弟の顔はとっくの昔に記憶の中から消えていた。山に入った最初の頃こそ覚えていたお袋の顔も、優しかった頃の顔も、最後に見たあの能面のような顔も、いつしか思い出せなくなっていた。


 チクリと胸の奥に小さな痛みを感じた。だが、この痛みもいずれ消えるのだろう。全てがそうであったように。


 山の師匠は、五年もの間そばにいてくれた。だが、決して親代わりのような存在ではなかった。俺が身の上を話そうとしても、「わしには興味がない」と拒絶され、甘えることは一切許されなかった。俺は死のうと思っていた人間なのだから、わざわざ連れてきたならもう少し面倒を見てくれてもいいと思ったが、「死にたければ死ね、ここなら埋める手間もいらん」とにべもなかった。


 俺と師匠との間に、ギデオン殿が娘たちに向けるような、温かい関係を築くことは許されなかったのだ。


 だから俺は、彼の言葉を、まるで遠い国の物語を聞くように、ただぼんやりと聞いていた。


 ギデオン殿は、そんな俺を見て、ふっと表情を戻すと、仕切り直すように言った。


「……すまんな、朝から身の上話など。さて、ライル殿。昨夜の話、考えてはくれたかな?」


 ギデオン殿の問いに、俺は一度、匙を置き、ずっと疑問だったことを尋ねた。


「あの……そもそも、その、『師範代』というのは、何をするのですか?」


 俺の問いに、ギデオン殿は一瞬、虚を突かれたような顔をした。彼にとっては、あまりに当たり前のことだったのだろう。彼はすぐに気を取り直すと、丁寧に説明してくれた。


「うむ。師範代とは、師範であるワシの補佐役だ。門下生たちの稽古を見たり、時には手合わせの相手をしたり……。特に、セレスのような伸び悩んでいる高弟にとっては、お主のような規格外の実力者と剣を交えること自体が何よりの学びとなるだろう」


 彼は付け加えた。


「もちろん、お主の師君の『理』を無理に教えろという訳ではない。ただ、お主がそこにいて、彼らの相手をしてくれる。それだけでいいのだ」


 ギデオン殿の説明を聞いて、俺はますます困ってしまった。


 昨日、俺が見た限りだが、門下生たちの稽古は、しっかりとした型と構えに基づいているように見えた。ユリウスが説明してくれた通り、伝統的な鍛錬法なのだろう。


 それに比べて、俺が師匠に教わったことには、型も構えも、技の名前すらなかった。あまりにも違いすぎる。昨夜の会話でも、俺は「技」が何なのかすら、上手く説明できなかった。


 そんな俺が、人に何かを「教える」ことなど、できるのだろうか。


 俺は、正直にその疑問を口にした。


「ですが……俺がやってきたことは、皆さんの鍛錬とは、あまりに違いすぎると思います。それに、俺には『技』というものが分かりません。そんな俺が、師範代など……」


 俺の戸惑いに、ギデオン殿は静かに、しかし力強く言った。


「それでいいのだ、ライル殿」


「え……?」


「違うからこそ、意味がある。セレスを始め、門下生たちは皆、伝統的な型稽古の壁にぶつかっておる。そこに必要なのは、同じ道を少し先に進んだ者ではない。全く違う理を持つ、お主のような存在なのだ。教えようとしなくていい。ただ、そこにいて、その理で動けばいい。それを肌で感じることが、あの子たちの血肉となる」


 師匠の最後の言葉が頭をよぎる。『人を守る必要がある時にだけ使え』。


 この力を振るうことが、直接誰かを守ることにはならないかもしれない。だが、この力を示すことで、目の前の父親の悩みを少しでも軽くできるのなら。そして、あの真剣な目で俺を見ていたセレスさんの助けになるのなら。


「……『師範代』と呼ばれるほどの者ではありません。ただ、俺が師匠に教わったことを見せることくらいなら、できると思います。その条件でよろしければ、しばらくお世話になります」


 俺の答えに、ギデオン殿は満足そうに深く頷いた。


「うむ。それで良い。これでお主は、このアークライト剣術訓練場の客ではなく、師範代だ。何かあれば、遠慮なく言ってくれ」


(第四話 了)

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