第二十九話:三人の処刑人と、一つの答え【後編】
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貴賓席の後方に用意された席で、ギデオンは固く拳を握りしめていた。
隣に立つセレスの呼吸が浅く、速くなっているのが分かる。無理もない。これから始まるのは試合などではない。自身の道場の師範代であり、恐らく娘が密かに想いを寄せる若者の公開処刑なのだから。
最初の罪人ジークがゴームと名乗る屠殺人の前で肉塊と化した。次に現れたケイルは恐るべき剣圧の嵐で、バレットと名乗る盗賊を倒した。いずれもタイプは違うが、恐るべき手練であることは間違いなかった。この分では、まだ実力を見せていない魔術師も相当な実力者であることは想像がつく。
(ライル殿一人にわざわざこれほどの者たちを集めるとは……。これは、ただの処刑ではない。なぶり殺しにする気だな……。観客を血で興奮させてクーデターの機会を伺っているのか)
ギデオンの思考が、その結論に達するのとほぼ同時に、マルディーニの長広舌が終わった。
ライルが三人の処刑人に囲まれるのが見えた。
ぎりり、と噛み締められたギデオンの奥歯が鳴る。見ていることしかできない自分が悔しかった。
思えば短い付き合いだったが、不思議なほどライルの存在は、ギデオンの中に大きくなっていた。それは単に剣術の技量だけではなく、その存在自体にあった。顔を合わせる度に、言葉をかわす度に、回数を重ねても、いつでも初めて会った時のような新鮮な衝撃を感じさせる人物だった。それは、春の訪れを知らせる土の臭いのように、夏の始まりを感じる雲のように、秋の豊かさに気づく木の葉のように、冬の到来告げる冷たい風のように。一見、なんの変哲もない日々の中に、ふっと現れる気づきのようだった。そんなことは50年という歳月のほとんどを、剣の道に歩み続けてきた自分にとって初めての経験だった。
それが存在が、いま目の前で殺されようとしている。いや、その価値を知らない残忍な獣たちによって、破壊されようとしているのだ。
ちらりとセレスの顔を見る。
普段の気丈さは消え失せ、真っ青な顔で闘技場のライルの姿を見つめている。胸の前で組まれた両手の関節は白く、そこにあらゆる感情が込められているのが分かった。触れれば折れてしまいそうな、こんなにも脆く不安そうな娘の姿は見たことがなかった。
ギデオンは娘を支えるように、そっとその肩に手を乗せた。しかしセレスはそれにも気がつかない様子で、ただ、闘技場に立つライルの姿を見つめていた。
観客席の熱狂が最高潮に達する中、ゴームが名乗りを上げながら、雄牛がこれから突き殺す獲物を値踏みするように、ゆっくりとライルに近づく。両者の体格差は、かつて道場で見たボルツとは比較にならない絶望的な光景だった。
だが、次の瞬間何が起きたのか、ギデオンにもセレスにも理解できなかった。
ライルはただ、歩いただけだった。ゴームが名乗りを上げているその間も、彼は歩みを止めず近づき、そのまま、まるで子供が大人の肩を叩くかのように、巨漢の首筋に刀を振り下ろした。
それだけで、牛殺しのゴームは、巨木が倒れるようにばたりと倒れた。
「……な……」
セレスの唇から、声にならない声が漏れる。隣で、ギデオンが息を呑んでいた。
(なんだあれは!? ただ歩いただけではなく『間』を、外したのか……。いや、なんだ、違う? ……分からん!?)
そうギデオンが混乱しているうちに、何事かをライルに話しかけられていたケイルが、怒りの形相で襲いかかる。その双刀の舞いは、彼の目から見ても達人の域にあった。常人であれば、その剣圧だけで身動きが取れず切り裂かれることだろう。それに対してライルはスッと下がった。
(いかん、下がれば先程の者と同じようにやられる!)
そう思った瞬間、ライルが僅かに前に出ると同時に、剣を素早く上下に動かしたように見えた。ケイルが落とした二振り曲刀が地面に落ちるより速く、ケイルの頭が下から跳ね上がると、そのまま前のめりに膝から崩れ落ちた。
(……!)
ギデオンにはいま目の前で起きていることを形容する言葉も、思考も持ち合わせていなかった。周囲の観客と同様に、ただ、唖然としてその光景を見つめていた。
最後に残ったモーウェンが幻影を生み出す。瞬く間に闘技場が魔人の姿で埋め尽くされた。
しかし、ライルは迷うことなく、ただ一体の元へと、真っ直ぐに歩いていく。仮面を着けていてもモーウェンが驚いたのがギデオンにも伝わってきた。それでもなんとか近づくライルに火球を放ったが、ライルはそれを邪魔な小虫でも払うかのように、首の動きだけで避けるとそのまま近づき、首筋を打ちこれを倒した。
静まり返った闘技場に、仮面の男が倒れる、どさっという音が不思議なほど大きく聞こえた。
ギデオンは自分の舌、いや体が痺れたように動かすことができなかった。恐らく隣のセレスも同じだろう。
やがて、誰からともなく、「ライル!、ライル!」と彼の名前を呼ぶ声が上がった。それはあっという間に巨大な喊声となり、足踏みが加わることで闘技場全体が揺れる巨大な絶叫の渦へと変わっていった。
だが、その巨大な喚声も、今のギデオンとセレスの耳には届いていなかった。
二人は目の前で起きた光景に言葉を失っていた。それは闘いに備わった攻防という概念を完全に無視した一方的な蹂躙だった。初めてライルが道場で見せた光景と本質的には同じだが、いや、同じであるが故に衝撃は深かった。この日、ライルが相手にしたのは、道場に現れたならず者とは全く違う、本物の処刑人と手練れの暗殺者、そして魔術師だった。しかし彼はその三人を相手に、かつて道場で見せたのと同じく、特別なことはせず、全く同じ理で制圧してしまったのだ。
あまりの光景に、二人は何故ここにいるのか、その目的も忘れてただ闘技場に一人佇むライルを凝視していた。
(戦いに対する理、……いや、それ以前に、生きること、存在することの理が違うのだ)
痺れた頭の片隅で、ギデオンはそう思っていた。
その呪縛が解けたのは、ライルが自分たちの方へ歩き始めたのと、耳につけた魔道具にルナからの声が聞こえたためだった。
「お父様、お姉様、始まりますわよ」
いつもと違う緊張感を帯びた声が、二人の耳朶をうった。
その時、声の主・ルナは闘技場が見晴らせる、貴賓席の反対側にある監視塔の屋根の上にいた。彼女はそこで闘技場全体に飛ばした『小鳥たち』から情報を集め、ギデオンとセレスに状況を伝えていた。
(それにしても、ライル様。……あなたは本当に何者なの?)
次々に届く使い魔たちからの報告を聞きながら、ルナは改めてそう思っていた。
(第二十九話 了)
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