第二十九話:三人の処刑人と、一つの答え【前篇】
開始の合図が、闘技場に響き渡った。
三人の処刑人のうち、最初に前に進み出たのは、牛殺しのゴームだった。彼は、巨大な戦斧を肩に担いだまま、俺に向かって傲慢に言い放った。
「小僧、運が良かったな。ベルンシュタイン家のゲルハルト様より、直々にご命令を賜っている。『簡単には殺すな。遊び、なぶり殺しにせよ』とな!」
彼は、これから始まる饗宴を前に、観衆に向かって高らかに名乗りを上げ始めた。
「俺は、牛殺しのゴーム!貴様の悲鳴を、我が武勇の新たな伝 」
ゴームは自己紹介を言い終える前に崩れ落ちた。
俺は、開始の合図と共にお喋りを続けるゴームのもとへ近づき、間合いに入ると同時に刃引きの剣をがら空きの首筋に打ち込んだ。その時、彼は「新たな伝」と言いかけていたが、『始め』の声がかかった以上、それほど大事なことには思えなかった。
巨体が、轟音を立てて倒れ、闘技場が、水を打ったように静まり返った。
二人の処刑人が倒れたゴームを見ていた。仮面を着けているモーウェンの表情は分からなかったが、ケイルは随分驚いているようだ。
俺は、二人に向かって、純粋な疑問を口にした。初めて山から降りてきた時のように、また何か間違ったのかと思ったからだ。
「……『始め』と言われたので、動いたのですが。何か、間違えましたか?」
その言葉が引き金のように、凍りついたように動かなかったケイルが我に返った。
「き、貴様ぁ!」
双剣のケイルが獣のような叫び声を上げて襲いかかってきた。左右の曲刀が、変幻自在の軌道を描いて俺に迫る。まるで刃物でできた風の塊のようだ。
俺はケイルが前に出るのに合わせ、左右に半身転換してスルスルと下がる。
その様子に会場に再び歓声が戻ってきたが、俺には関係なかった。
しかしケイルは違ったようで、引きつっていた表情に余裕の笑みが現れた。
「なんだ、お前も下がるだけか!? 俺をもっと楽しま 」
俺は半歩踏み込むと剣を振りかぶることなく、そのまま頭くらいの高さから真っ直ぐ振り下ろした。それはちょうどケイルが体の中心で腕を交差させた瞬間、俺の剣が曲刀を握る彼の左右の手をまとめて打ち下ろした。
激痛に二本の曲刀が手から離れ地面に落ちる。しかし俺は、二振りの曲刀が地面に落ちる前に剣を真上に斬り上げ、がら空きのケイルの顎を下から打ち抜いた。次の瞬間、ガチャンという音を立てて曲刀が地面に転がった。
真剣だったら頭が下から真っ二つのはずだったが、俺が使っている刃引きの刀ではせいぜい顎を砕くくらいだ。それでも、これから食事で苦労するだろう。
意識が飛んだケイルの体がどさりと前に崩れ落ちた。再び会場から歓声が消えた。
残るは、一人、モーウェンと呼ばれた男だ。
彼(あるいは彼女)が、すっと両手を広げた瞬間、その姿が陽炎のように揺らめき、闘技場に何十人ものモーウェンが出現した。
観客席がどよめく。だが、俺の目には、その光景は全く違うものとして映っていた。
沢山いるように見えるが、ほとんどはただの影だ。影からは、何の気配も、『線』も発せられていない。その中のただ一人、本物のモーウェンからだけ、明らかな殺意の『線』が俺に向かって伸びていた。
俺は、他の幻影には目もくれず、その本物のモーウェンの元へと、ただ真っ直ぐに歩いていく。
近づいてくる俺に向かって、
「な……なぜ!?」
仮面の下から、驚愕の声が漏れる。声の感じは男っぽかった。幻影が消え、闘技場で立っているのは俺と彼だけになった。
右半身でするすると近づく俺に向かって、モーウェンは右手を振り上げながら素早く短い詠唱を唱える。
ボンという鈍い音とともに彼の右の手のひらから火球が飛んできた。
俺は軽く首を振ってそれを避ける。山の師匠の石礫の方が何倍も速く正確だった。それに比べれば飛んできた火球は恐ろしく遅く感じた。なにしろ師匠の石礫は、当たった後で音が聞こえてきたのだ。
そのまま近づくとこれまでと同じように、刃引きの剣でその首筋を打った。
モーウェンが静かに倒れた。
その時、それまでしわぶきひとつなかった観客席から「ライル、ライル」と俺の名を呼ぶ声が上がり始めた。それは程なく闘技場を揺らすような喊声になっていた。
「ライル!ライル!ライル!ライル!」
誰が始めたのか足踏みが加わり、闘技場は地響きをともなった巨大な音の壁に包まれた。
貴賓席を見るとロッテが小さな手を胸の前で固く握りしめ、目を丸くして立ち上がっているのが見えた。会場のどこかでは、ギデオン殿やセレス、そしてユリウスも見ているのだろう。
しかし、俺にはそのいずれも関係なかった。
(助けなければ)
そう思った俺は、貴賓席に向かって足を踏み出した。
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