第二十二話:眠りの魔法と、開かずの金庫【前編】
「何をするつもり!?」
何かおかしなことをしないかと慌てたセレスが尋ねると、彼女はあくまでも楽しそうにドアの鍵穴に右手の人差し指の先を当てる。
「範囲指定型の深い眠りの魔法をかけるわ。ただし、術が完全に効くまで、少し時間がかかるから、ちょっと待ってね」
ルナはそう言うと瞳を閉じ、何事か呟いた。彼女の指先から、目には見えない、しかし濃密な魔力が、霧のように部屋の中へと流れ込んでいくのが気配で分かった。
その様子を見ていたイザベルが、再びドアに耳を当てて隣の部屋の様子を探る。
10分程した頃、イザベルがドアから耳を離し、二人に向かって頷く。
「思ったより早かったわね」
ルナが鍵穴から指を離すと、ドアを開けた。
部屋の中では、三人の見張りが、それぞれの場所で、まるで糸が切れた人形のように、深い眠りに落ちていた。一人は椅子に座ったまま、二人は床に突っ伏している。誰一人、物音ひとつ立てていなかった。
セレスは、そのあまりに静かな光景に、息を呑むと、(ルナって、本当に凄い魔法使いだったんだ)と思っていた。
子供の頃はそれこそ毎日一緒にいた二人だった。母を早くに失い、父が剣術師範であったことから、家の中には剣や格闘術が中心にあった。そのためその頃は、剣術が大好きだったセレスが、どちらかというと臆病で、病気がちのルナを引っ張る感じだった。「お姉さま」と言いながら私の後を追いかけていたルナの姿を今でも覚えている。
そんな生活が変わったのは7年前からだ。10歳の時に難関の王立魔法学校への入学が許されたルナは、以来、王都の学生寮で生活することとなり、それまでのように一緒に過ごすことができなくなった。ゆっくり話せるのは年に数回の試験休みと祝日くらいで、最初の数年は会えば互いの不在を埋めるようにずっと話し続けていた。しかし歳が進むとともに、会っても話すことが少なくなっていった。自分の興味の中心は変わらず剣術だったが、ルナの興味は魔法はもちろん、王都の暮らしや友達、服やお芝居などへと広がっていた。寂しかったが、それは父の跡を継ぐ剣士の道を進む自分にとっては当然のことだと思っていた。無我夢中で稽古に励み、その甲斐もあり様々な試合で好成績を残し、自分が周りの人間から評価され、期待されていることを感じていた。
もちろん妹のルナが優秀な魔法使いで、学校でも首席であることは知っていた。その一方で彼女が学校を抜け出して突然帰ってきたり、素行不良で何度か停学になったりしていることを困った様子の父から聞かされていたこともあり、正直なところ実の妹の実力について本当のところはよく理解していなかった。しかし目の前で見るルナは明らかに凄腕の魔法の使い手だった。
一方で最近の自分はといえば、伸び悩んでいた。見えない壁にぶつかったように、少なくともこの一年は足踏み状態の中にある。それだけにルナの魔法の威力は衝撃的だった。(今はこんなことを考えている場合ではない)ということは分かっていても、イザベルを手際よく助けるルナに比べ、自分が不甲斐く思えた。
気がつくとイザベルが外した絵画の裏に、漆黒の鉄にルーン文字が刻まれた、重厚な金庫が姿を現していた。
ルナはその金庫をしげしげと見ると、
「……物理的な錠前はない。完全に、魔術的な防御だけ、か」
と呟いた。じっと金庫を見ながらブツブツ言っていたルナにイザベルが声を掛ける。
「できそうですか?」
ルナはにやりと笑い、
「わたくしに破れないものはありません」
と言うと、表情を一変させて真剣な顔で金庫に向かい、そっと両手のひらを当てた。そして瞳を閉じると意識を集中して術式を唱えた。
彼女の手のひらから、銀色の魔力が溢れ出し、浮かび上がった金庫のルーン文字と絡み合っていく。それは次第に速度を上げ、三匹の蛇が互いに飲み込もうと、激しく争い絡まっているようだった。
「……!」
セレスとイザベルが驚きで目を見張る。
不意に、階下から人が動く音が聞こえてきた。
セレスが思わず何かを言いかけたが、金庫に向かうルナの真剣な顔に言葉を呑む。
ルナは金庫に顔を向けたまま、
「……もう少し。この鍵、面白いわ。三つの術式が、互いを守り合うように組まれている……。これ作った魔術師、相当な腕ね」
と言った。その顔には玉の汗が浮かんでいたが、楽しくてしょうがないといった様子だ。
やがて、金庫を覆っていたルーン文字の光が一度強く輝くと、それを最後に消え失せた。
ゴトリ、と、重い鉄の扉が、静かに開いた。
金庫の中には、いくつかの宝石袋と、そして、一冊の、分厚い革の表紙でできた帳簿が置かれていた。
イザベルが、それを手に取る。パラパラとページをめくった彼女の目が、鋭く光った。
「……これです。『影の猟犬』への支払い記録……。それに、これは……私たちが知らない、別の貴族への送金記録まで……。思った以上の大物です」
彼女が、そう言った、その時だった。
カチャリ、と。
部屋の外の廊下から、誰かが扉のノブに手をかける金属音が響いた。
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