第十六話:騎士団団長と二人の女【後編】
そう言い終わるとマルディーニは巨大な頭をゆっくり伏せると、再び書類に目を落とし、イザベルに向かって、
「忙しい。下がれ」
とだけ言った。
セレスは、悔しさに唇を噛み締め、なおも何かを言おうとしたが、イザベルがその肩にそっと手を置き、静かに首を振った。
執務室を出て、誰もいない廊下を歩きながら、セレスは抑えていた感情を爆発させた。
「……ひどい!あんまりです!父上のことも、我々の証言も、全く聞く耳を持たないなんて!あれでは、ライル殿は……!」
「……ええ。全くです」
イザベルは、静かに、しかしその声にはセレス以上の、冷たい怒りがこもっていた。
「団長は、以前ベルンシュタイン家に近い方だ。……おそらく、最初から結論は決まっていたのでしょう」
セレスは、絶望的な気持ちでイザベルの顔を見上げた。
「では……どうすれば……。父も、今頃は有力者の方々を回ってくれていますが……」
「……ええ。ギデオン師範の伝手は必要です。ですが、それだけでは足りません」
イザベルは、立ち止まると、セレスの紫水晶の瞳を、まっすぐに見つめた。彼女の蒼い瞳に、新たな決意の光が宿っていた。
「団長は言いました。『事実で覆せ』、と。ならば、そうするまでです」
「……どういう、意味ですか?」
「我々の『証言』が感情論だと切り捨てるなら、誰もが認めざるを得ない『物証』を突きつければいい。……敵はプロでしたが、尻尾を掴む機会は、まだ残されているはずです」
イザベルの脳裏には、煙と共に消えた、あの傭兵団の姿が浮かんでいた。
彼女は改めてセレスを向き直ると、そのアメジスト色の瞳を真っ直ぐ見た。
「セレスティア殿。あなたには、覚悟がありますか? 騎士団の命令を無視し、法に触れることになるやもしれぬ、危険な道に足を踏み入れる覚悟が」
セレスは、一瞬たりとも、ためらわなかった。 囚人用の馬車に放り込まれる直前の、ライルの顔。彼の名を叫び続けた、あの時の自分。 このまま何もしないという選択肢は彼女にはなかった。(ライル様に会いたい)そう彼女は思った。
「はい。わたくしは、アークライト流の剣士。そして、ライル師範代の、最初の弟子です」
彼女の答えに、イザベルは初めて、その唇の端に、かすかな笑みを浮かべた。 そこには仄かに暗い影があったが、熱意に燃えたセレスがそれに気がつくことはなかった。
「……良い答えです。では、我々の戦いを始めましょう」
二人の女は、王都の巨大な影の中で、ライル奪還のために動き出した。
(第十六話 了)
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