第百十一話:盲目の天才魔術師【前編】
見回すと会場は酷いことになっていた。天井には大きなヒビが入り、客席のテーブルと椅子はひっくり返り、グラスが割れた破片とその中身がぶちまけられている。あれだけいた観客は逃げ去り、今ここにいるのは、私とアルドスとその従者、エリオット、そして後ろで燃え尽きたように惚けているザブルとケマンチェの奏者だ。
「本当に凄いものを見せていただいて感謝します、ルナリア嬢」
アルドスが穏やかな笑顔でそう言った。生まれつきの全盲だと言っていたが、何らかの手段で、彼が(見ている)のは間違いない。当然この場の惨状も分かっているはずなのに、それについては何も触れなかった。
彼は舞台に近づくとスッと私に向かって手を差し出した。私は言いたいことも、聞きたいことも山ほどあった。ただ、彼の様子を見ると、ここでなく違う場所で話し合いの席を用意していることが伺えた。
「ありがとうございます」
私は礼儀正しく微笑むと、彼の手を取る。長い指先と柔らかい手。なによりとても白かった。
魔法陣が輝きスッと床の高さに下りる。
「ケビ、悪いがこの部屋を人を使って明日の朝までに、片付けておいてくれ。あと本日のお客様に、今宵の催し物が少し過激だったことへのお詫びを、いつものようにレティスの霞みつきで届けてくれるかい」
「承知しました」
ケビと呼ばれた男は、主人と私に礼をすると、サッと部屋を出て行った。
「……アルドス」
声の主はエリオットだった。珍しく灰色の瞳に、それと分かる緊張の色が見えた。
声をかけられた方の瞳は見えなかったが、その声は上機嫌だった。
「エリオット。まったく、君の土産にはいつも驚かされるが、今宵はまた格別だったよ」
「……君は知っていたのか?」
「うん、まあその話は場所を変えてゆっくりしよう」
そう言うと彼は、あらゆるものがひっくり返っている中を、危なげなく私をエスコートして歩き出した。
「アルドス様!」
声は舞台の上からだった。振り返るとザブルとケマンチェの奏者が立っていた。
「どうした?」
彼は左の眉をクイっと上げ、見えない目で彼らを一瞥した。
「ご無礼をお許しください。どうしてもそのお嬢様にお声をかけたく……」
「わ、わたくしですか!?」
思わぬ指名に、らしからぬ声を出してしまった。アルドスはその声に弾かれたように笑い出すと、
「そうか、お前たちからなにか彼女へ言いたいことがあるというのか。ルナリア嬢、どうだろうか? 許しても宜しいでしょうか?」
と私に尋ねてきた。私はそれに心持ち鷹揚に、
「わたくしは構いません」
と答えた。
「ありがとうございます。お許しが出たぞ。申してみよ」
先に口を開いたのは、背が高く顎髭を生やしたザブルの奏者だった。
「お許しをいただきありがとうございます。私はダリムと申します。お嬢様のお陰で、今宵の演奏は私の人生で一番の出来でした! ありがとうございます! それをお伝えしたく無礼を承知でお声をかけさせていただきました」
彼はそう言うと、長身を屈めてその場に跪いた。続いてその横に立つ、赤いドレスの女性が口を開いた。
「私もです。物覚えがついた頃からケマンチェを弾いておりましたが、今宵ほどの演奏は初めてでした。まるでお嬢様の踊りに引っ張られるように、見たことのない景色を見せていただきました。心より感謝いたします。また、出過ぎたことを承知で、――もし、また踊られることがありましたら、ぜひ私をご指名ください。この大陸のどこにいようとも馳せ参じ、音楽の神・ミュゼアの名に誓って、命を賭して弾かせていただきます」
「わ、私もです! どうかお願いいたします」
跪く二人を前に私は困惑していた。確かに踊っている間は楽しかった。ただ冷静に考えると、この格好も含めて、アウレリアでこんな風に踊ることはないだろう。私の踊りは、今日で最初で最後だ。
そう思って跪く彼らを見る。
ポタリ、ポタリ
と雫が床へと落ちていた。なんと、二人とも肩を小さく揺らして泣いているのだ。
(そこまでのことなの?)
そう思った時、私は踊りの中で感じていた感覚を思い出した。
自分の中に眠っていた力が目を覚まし、体を震わせ、大空へと飛翔していくような、何とも言えない快感があった。それは初めて魔法が使えた時と感じが似ていた。その前とその後では、世界の有り様が、全て変わってしまう体験。自分の生きる喜びを見つけると同時に、他者とは絶対に分かちえない世界を知る、強い孤独の始まりだった
(この二人は、あの時と同じ。いいえ、いまも私が抱えている孤独を抱えているのだ)
それは魔法でも音楽でも変わらない。自分の中にある〝何か〟に触れ、それが動き出すというのはそういうものなのだ。だから彼らは音楽を通して、同じ世界を分かち合える私に惹かれているのだ。一瞬、イザベル様のことを思い出す。私と彼女の結びつきも同じなのかもしれない。
「――残念ですがいまのわたくしに、お約束はできません」
二人の肩がビクッと大きく震える。
「ただ……、もし、わたくしがまたどこかで踊ることがあれば、必ずあなたたち二人に知らせましょう」
二人が顔を見合わせる。素直に喜んで良いのかどうか分からず、戸惑っている様子だ。意を決したダリムが口を開く
「お呼びいただけるとのこと、嬉しく思います。た、ただ、畏れながら、それはどのようにお知らせいただけるのでしょうか?」
「も、もしお許しがあれば、このまま私たちは――」
「それは駄目だよ。君たちには私との契約がまだ残っているからね」
アルドスがそう言った。口調は柔らかいが、反論を許さない響きがあった。
「――それに、彼女が、〝知らせる〟と言うのなら、それで十分だよ。その時がくれば、生きている限り、必ずそれは分かる。その時は私も同行させていただくよ。お許しがいただければ」
後半は私に向けた言葉だった。私は敢えてそれは無視した。
「その時は必ず伝えます」
「ありがとうございます!!」
平伏する二人をその場に残し、アルドスが私を連れて歩き始める。
(う〜ん、あんなことを言ったけど、いまのところ本当に踊る予定はないんだけどなぁ)
そう思いながら私は彼らから離れた。
「大丈夫です。彼らはルナリア嬢のことを覚えています」
一瞬、アルドスが何を言っているか分からなかった。
「彼らは音楽に夢中で、ルナリア嬢の名前を聞いていません。だから記憶を消されないのです」
「記憶を消す? どういうことでしょうか?」
アルドスが部屋に散乱する瓦礫を、器用に避けながら答える。
「いえ、これは私のうっかりで。あまりにルナリア嬢の踊りが素晴らしかったので、ついご本名を言ってしまったのです」
私が足を止めると、彼は向き直って話を続けた。
「観客のほとんどはもう会場に残っていませんでしたが、もしかしたらそれを耳にする者がいたかもしれない。それでなくとも、これだけの騒ぎです。明日になって、落ち着いたら騒ぎ始める者もいるでしょう」
「だから、記憶を消す?」
私は口に出してから、その響きにゾクっとした。もちろん私も人の記憶を消すことは行っているが、これほどの
大人数の記憶を一度に消したことはない。
(一体どうやって?)
そう考えた時、さっきの会話が思い出された。
〝本日のお客様にお詫びを、レティスの霞みつきで届けておいてくれ〟
レティスは忘却の神の名前だ。闇の王・ゾルグの眷属神の一人で、忘却の霞みを司り、それに触れた者の記憶を白く塗りつぶす、と言われている。忘却は癒しでもあることから、闇の神に属するが、その姿は美しい女神だとされている。
「まさか!?」
「だって困るでしょう? アウレリアの天才魔法使いと名高い、ルナリア・アークライト嬢が、タイドリアの首都、それも魔術学会の長である、アルドス・レイトンと会っているなんて知られたら」
思わず答えに詰まる。同時に、改めていま自分がいる場所が、アウレリアにとって宿敵とも言える、タイドリアであることを思い知る。イザベルが私を送り出したことから、ここまで手引きをしてくれたエリオットは信用できるとしても、その他の者は、全員敵なのだ。
「……あの飲み物だな」
エリオットがぼそっと言った。
「そうなんだよ! 前から君たちに頼まれていた、集団の記憶を操れないか、というものだが、この間、ようやく解決のとば口を見つけてね、こうやって試しているんだよ。大事なのは下ごしらえなんだ――」
嬉しそうに話し出したアルドスだったが、私がいることを思い出したのか、口を噤んで笑顔を浮かべた。
「――まあ、その話は後にしよう」
それから暫くは誰も口をきかずに歩いた。外観の印象よりも広いのか、随分歩かされた。やがて一つの扉の前に辿り着いた。
「こちらが私の研究室になります。多少散らかっていますが、これからお話をすることを考えれば、こちらが良いでしょう」
アルドスがそう言って扉に触れると、金属製のドア全体が強く輝いた。思わず目を瞑る。次の瞬間、私たちの目の前には白く広い空間があった。壁も天井も床も白く輝き、調度類も白を基調にした物が使われている。何より目を惹いたのは、巨大な実験用のテーブルだ。白いのは当然だが、白ばかりの空間にあっても、一際目立った。
「やっぱりこちらが気になりますか」
そう言いながらアルドスが、私が見ていたテーブルに触る。
「これはタイドリアでしか作れない白磁魔石のテーブルです」
サッと軽くひと撫でしただけで、天板に様々な魔法陣が浮かび上がる。鮮やかなものだ。もちろん私の実験室にある、黒曜石の作業台の方が数段優れているが。彼は私の反応を楽しむように笑った。
「ご主人、お茶をご用意しますか?」
突然、私たち三人しかいないと思っていた部屋から、別の声が聞こえた。奇妙なのは、声の主が、男なのか女なのか、大人なのか子供なのかが分からない声だったことだ。
「そうだった! まずあいつを紹介しないと。ジル! お茶の用意は後でいい。先にここへ来て、お客様にご挨拶しなさい」
「はい」
実験道具や資材がたくさん積まれた部屋の奥から、
カツ、コツ
と固い物が床に触れる音が聞こえてきた。音の感じからそれほど大きなものではない。
(小さな子供でも助手にしているのかしら?)
私はその音を聞きながら、カインの顔を思い出していた。
スッと物影から現れたのは、カインとは似ても似つかないもの、ゴーレムだった。
こんにちは、佐藤峰樹です。今週もありがとうございました。
激しいダンスシーンの後ですので、ちょっとペースを落とした感じです。演者の二人とルナのやりとりは、普遍的なことでもあり、著者的には大事なところでしたので余談感はありますが採用しました。
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次回は来週の月曜日の夜21時台に更新予定です。
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