第百七話:二つの帰還【後編】
(まったく、無茶なことを!)
俺はそう思いながらお嬢様に倣って背中の弓を構える。俺の弓はお嬢様ほどの射程はない。だから接近してきた相手を狙う。蹄の音から察するに、後ろから迫ってくる連中もほどなく到着するだろう。そうなると本格的に前後に挟まれての戦いになる。
チラリとお嬢様を見る。
いつもと変わらない表情で、淡々と弓をつがえては射ている。最初に射倒した馬鹿野郎の次に、首領らしい男を狙ったが、これは防壁の影に隠れられた。すると彼女は素早く、まだ状況が掴めず、頭を出していた男の額に矢を射込んでいた。ドウと倒れるのを確認せず次の男に狙いを定めている。
(綺麗な顔で容赦がないな)
一緒にいる時間が長くなって分かったのは、どうやらファビアン隊長と一緒の時には、随分、彼女が猫をかぶっているということだ。隊長のおかしな作戦に、ことさら驚いたり、普通の意見を言ったりするのだが、いざ隊長から離れると、俺でも肝を冷やすようなことを平気でやってのける。
(流石はうちのお嬢様だ!)
と思うが、今回はそうばかり言っていられない。こちらに弓の名手がいると気がついた奴らは、手に鋼鉄製の盾を片手にジリジリと押し囲む様子を見せてきた。木製の盾程度なら、お嬢様の弓なら射抜けるが、鋼鉄製となるとさすがに無理だ。
そう思っているといよいよ後ろの騎馬の姿が見えた。
「副隊長、 後ろは六騎です!」
その言葉に、綺麗な顔を少し顰める。が、決断は早かった。
「前の奴らに二射、後ろを突破する!」
「おう!」
二人で二射ずつ、正面から盾を構えて近づいてくる奴らに牽制で射かけると、馬首を回らせ後ろへ向き、馬の腹を蹴る。
みるみる距離が詰まる。相手は少し離れた位置から前の奴らと連携して包囲しようとしていたらしく、弓の準備をしていたところに、俺たちが突っ込む形になった。
お嬢様は長弓を背中に戻し、代わりに腰の剣を抜いている。
俺は、彼女の前を塞ごうと動く奴らに弓の狙いを定め放つ。俺の弓の腕は海で鍛えたものだ。騎馬の弓射というのは陸に上がって始めたが、思うより慣れるのは早かった。こちらの言うことを聞いてくれない海に比べれば、馬は随分楽だった。
狙い違わず俺の矢が、左からお嬢様に近づこうとしていた奴の右肩に当たった。「ぎゃあ!」と叫んで手綱を離したところに、馬が竿立ちとなり男が振り落とされる。
お嬢様が一瞬(余計なことを!)という目で俺を見たが、素早く欠けた囲いに向かって馬を走らせる。ようやく弓を剣に持ち替えた男の脇腹を、お嬢の剣が斬り裂く。悲鳴を上げて落馬する男を尻目に、俺も彼女の後を追う。野盗どもは数は多いが圧倒的に練度が足りていない。
(この調子なら一気に躱せるか?)
と思ったところに、背中に衝撃があった。見なくても分かった。敵が放った弓が当たったのだ。鎧のおかげで貫通は免れたが、矢尻が体に食い込み、馬が揺れる度に激痛が走る。なんとか落馬せずに馬を走らせるが、馬速が急激に落ちていく。俺の異変に気がついたのだろう、お嬢様が速度を落とし、こちらを振り返っているのが分かる。
(俺に構わず行ってくだせぇ!)
そう思ったが、もう馬蹄に負けないほどの、大きな声が出せない。お嬢様が馬首を返してこちらに向かって来るのと、後ろから追っ手が迫って来ているのが分かる。
バシュッ
と右肩を矢が掠めた。当たりはしなかったが、衝撃で体が揺れる。ふっと体が宙を浮いた次の瞬間、背中から地面に落ちた。肺から空気が一瞬で消える。それでもなんとかかき集めるように空気を吸う。
(落ちると痛てぇ。だから陸は嫌いだ)
「ベルク、立て!」
見上げるとそこにはお嬢の顔があった。引き返して来たのだ。自分は馬から下りて俺を庇うように立ち、再び長弓を構えている。
「早く馬に乗れ!」
(お嬢様、なんで戻って来るんだ!)
と内心で叫びながらも、なんとか体を起こす。
パシン、っとお嬢様の放つ澄んだ弓音が聞こえる。遠くでドウッと誰かが馬から落ちる音が聞こえたが、それより近くに迫る馬蹄の音が大きくなる。
なんとか立ち上がり、お嬢様の馬の鞍に手を伸ばしたところで、カンという乾いた音が響いた。霞んできた目を凝らすと、長弓を背中に戻した彼女が、剣で敵の矢を叩き落とそうと構えている背中が見えた。
いまや四騎の騎馬が、奇声を上げながら俺たちの周りを弓を構えながら回っていた。そのすぐ向こうには、盾を構えた首領たちが用心深く迫って来ている。のたりのたりと、まるで海牛のようだ。俺はあれが大嫌いだった。
「てめえら、もう逃げ場はないぞ!」
額に巻いている赤色の金鉢と同じくらい、顔を真っ赤にした首領が叫んだ。
確かに、退路はもうなかった。
「お嬢様!」
その声に振り返った彼女の翡翠色の瞳は輝いていた。燃えるような赤髪が、いつもにも増して赤く輝いている。彼女は俺を見て微かに口元を緩めると、キュッと引き締めた。
「ベルク。ここで死ぬ」
それは悲壮な宣言ではなかった。ただ人間として、自分の運命を受け入れた者だけが持つ、清冽な響きがあった。森の奥で滾々と誰にも知られず湧き続ける水のような言葉が、体の隅々まで染み渡った。
(リナ様はやっぱり騎士なのだ)
俺は長身の彼女を仰ぎ見ながら、改めて自分のお嬢様のことを誇らしく思った。俺は鞍から離れ、馬の尻を叩くと、自分の剣を抜いた。自然に笑みが浮かぶのを感じる。
「お供」
そう言って、こう思った。
(こんなお嬢様は海じゃあ望めねぇ。――陸も悪かねぇな)
隊長の顔が浮かんだ。
(すまねぇ、俺がついていながらこんなことになっちまって……)
そう思いながら、お嬢様の横に立つ。彼女は敵から目を離すことなく、片手で軽く俺の体を支えてくれた。
ジリジリと、野盗どもが半円形を作って近づいて来る。辺りの音が小さくなり、リナ様の静かな呼吸音だけが聞こえた。
その時、左の崖上で、何かが光った。
次の瞬間、俺たちの周りを奇声を上げながら回っていた男たちが、ほとんど同時に馬から転げ落ちた。まるでそれまでの無礼を咎めた、巨大な平手打ちを喰らったようだった。
「な、なんだ!」
異常を察した首領が原因を探ろうと、並べた盾から低く頭を出して左右の崖を見回す。
左を向いた瞬間、赤い金鉢を巻いていた頭が弾け飛んだ。
赤い金鉢と男の頭だったものが一体となって周囲にぶち撒けられる。
首領だったものの肉片を浴びた野盗たちが、一瞬で恐慌状態になった。俺たちの脇を抜けて前に逃げる者、来た方向に逃げる者など様々だ。崖の上に小さな輝きが光る度に、逃げる野盗が次々と射倒される。どうやら今度は爆発しないようだった。
俺たちは呆然とその光景を眺めていた。相手が敵で、もしその気があるのなら、とっくの昔に殺されているはずだ。まだ生きているということは、相手は少なくとも敵ではないということだ。
やがてその場に立っている者は、俺とお嬢様の二人だけとなった。気がつくと崖の上の輝きも収まっていた。
「……こんなことができるのは」
呟くようにお嬢様がそう言った時、正面から馬に乗った白い王立騎士団の鎧を纏った騎士が、近づいてくるのが見えた。
「――イザベル様」
お嬢様はそう言うと、地面に膝をついた。それが、俺が気を失う前に見た最後の光景だった。
(第百七話 了)
こんにちは、佐藤峰樹です。
ようやくここで真打(?)イザベルの登場です(笑)。
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次回は明日の7時前後の更新を予定しております。またお会いできることを楽しみにしています。
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