第百六話:風を吹かせて、煙に巻け【後編】
(まったく、面倒な役回りを押し付けられたもんだ)
俺は馬を曳いて指定された丘に登りながらそう思った。後ろには俺と同様に馬を曳いている騎兵と、それに囲まれた魔法使いが6人いる。陽はそろそろ中天を越えようとしていた。昨日から蛮族どもの動きは目に見えて鈍くなっていたが、それ以上、本隊の動きは鈍く、くだらない消耗戦が続いていた。
どうやら連隊長は自力での脱出を諦めたようで、盆地の中央で円陣を敷き、外側からの救援を待つことを決めたようだった。
一方、救出を当てにされた第八部隊の動きも鈍かった。昨日の自分たちの急進が、本隊たちの脱出の妨げになっていることに気がついたらしく、一旦、退いて隊列を立て直そうとしていたのだ。お陰でできた空白を蛮族たちが埋める形となってしまい、結局、敵の包囲を完成させてしまった。
(馬鹿と馬鹿を掛け合わせて、まともになるわけもないか)
唯一の朗報は、隊長が第四部隊のガンター隊長を経由して、なんとか包囲下の本隊に作戦を了承させたことだった。まあ、そのお陰で、俺は連日、馬を曳いて山登りをする羽目になっているのだが。
「この辺りで良いだろう」
ここから眺めると、本隊の周りを第二部隊が守り、さらにその周りを蛮族の混成部隊が囲んでいるのがよく分かった。散発的にだがあちらこちらから矢やトロールの投げる岩が飛んでいる。中央に輝く馬車の中で連隊長が、あの醜い巨体を震わせているのが目に浮かんでうんざりした。いっそのこと、トロールに特大の岩石を放り込んで欲しいくらいだった。
「よし、始めよう」
俺の言葉に、部下たちが馬に背負わせて運んできた大量の薪を地面に並べ始めた。この作戦が失敗したら、これからの行軍は焚き火なしになりそうだ。もっとも、その時は、薪の心配もしていられないだろう。
「スターク様、用意ができました」
そう声が掛かったのは、半刻ほど過ぎたところだった。
「始めろ」
俺のその声を合図に、一斉に薪に火がつけられた。気温は低いが空気は乾燥している。瞬く間に薪から煙が上がった。最初は数条だった煙が、すぐに数を増やし青い空へと昇ってゆく。
「頼む」
俺の呼びかけに、魔法隊を束ねるルーファスが応じる。
「――風の女神シルフィアよ。我らが息吹を束ね、迷わぬ道と成せ。天に蓋し、地を疾り彼方へと導け」
たちまち周囲に風が巻き起こる。それまで真っ直ぐに上がっていた煙が、一気に崖を下って、戦場へと向かっていく。
「よし、例のものを放り込め! 必ず布で顔を覆って、煙を浴びないように注意しろ!」
薪の側にいた者が、小さな袋を火の中に放り込む。それまで白かった煙が、途端に色を変えた。あちらこちらで咳き込む声が聞こえる。
俺は口に布を当て、自分たちの仕事の成果を確認する。
真っ赤な煙が戦場へと雪崩れ込んでいた。
反応はすぐに現れた。煙の進路上にいた蛮族軍が崩れたのだ。単眼鏡を覗くと、鼻と目を抑えたゴブリンが右往左往していた。オークやトロールにはさほど効果はないようだが、半狂乱のゴブリンが自分たちに襲いかかってきたことから同士討ちが始まった。元々、仲の悪い連中だけに、あっと言う間に混乱は全軍に広まった。
もちろん赤い煙は本隊と第二部隊も覆った。いま頃はゴブリンほどではないが、あいつらも猛烈な匂いにやられているはずだ。馬車の中で悶え苦しんでいる連隊長の姿を思い浮かべて、多少は気分が良くなった。
(それにしても、よくまあこんな作戦を思いつくものだ)
と俺は半ば呆れつつ感心していた。
この作戦は、ファビアン隊長の豆知識から出たものだった。曰く、
「聞いた話では、ゴブリンは私の出身地のムスクスという香辛料の香りが苦手だそうだ。都合が良いことに、我が部隊には私の希望で、このムスクスがある。そこで、これを煙幕に混ぜて連中の陣地に送れば、一騒動起きるはずだ」
と、いつも懐に入れている、ご自慢の手帳を片手に俺に説明したのだった。
馬鹿げた作戦で最初は反対したのだが、他に妙案がないのと、
「君が嫌いな奴らをまとめて燻せるよ」
という殺し文句に乗せられて、結局、実行することになったのだ。
「凄いものですな」
そう言って近づいてきたのは、ルーファスだった。
「凄いと言って良いのかね」
「私は素直に感心しますよ。理屈は簡単ですが、効果は絶大です。何より私たちの魔力でできることをよく考えられている」
「ふん」
俺は鼻を鳴らしながらも、内心では同意していた。彼らがやったのは、焚き火の上に蓋をするように空気の壁を作っただけだった。
「風を吹かせる」
と隊長は言ったが、それは魔法で風を吹かせるということではなく、焚き火を利用したものだった。温まった空気が、彼らの作った空気の蓋にぶつかり、行き場がなくなった結果、崖を下って行ったのだ。
実際、この隊にいる魔法使いだけでは、戦場全体に風を吹かせるような大規模魔法を使うことはできない。そこで焚き火を使い、効率よく風を起こし、そこにゴブリンが嫌いなムスクスを入れたというわけだ。
半刻もしないうちに、包囲していた蛮族の部隊がバラバラに退却していった。赤い煙の方は盆地に居座ることを決めたように漂い、本隊と第二部隊は未だその中にいた。単眼鏡を覗くと、中央で輝く連隊長の乗る馬車が揺れていた。
悔しいが、俺はその光景が見られたことに満足していた。
***
最初にそれに気がついたのはベルクだった。
「副隊長! 煙が見えますぜ!」
見上げると、遠くの空に白い煙が見えた。冬の澄んだ青空に、それは不思議なほど鮮やかに見えた。単眼鏡で確認するまでもなく、それは戦場の方向だった。
「――隊長が、何か始めたんだわ」
「なんでそれが分かるんですか?」
「何かおかしなことが起きた時は、大体、隊長が関わっているからよ。早く合流しましょう」
私がそう言って馬の腹を軽く蹴った時には、煙の数が増えていた。
(急がなきゃ)
そう思ったが、ゴツゴツとした岩ばかりが続き、あまり早くは走らせることができない。幸い追っ手はいないようだった。計画通り、私たちは蛮族たちを指揮する魔術師らしき人間を射倒した後、少し遠回りをして本隊との合流を目指していた。それはファビアン隊長からの命令だった。私たちが帰陣を急いで、強引に敵中を突破することを見越してのものだった。お陰で一晩、岩場で過ごすことになったが、脱出は成功したようだ。
(あんな話を聞かなければ良かった)
野営をする段になって、ベルクが海の話をし始めた。口調は荒っぽいが、彼は物語を語るのがとても上手なのだ。自分が経験したことや、他の船乗りから聞いたことなどを記憶し、人に聞かせる能力は、彼に言わせると「長い航海の暇つぶしには欠かせない」という。彼がファビアン隊長と知り合ったきっかけも、彼の語り口に大いに感心したことだったという。
最初は、翌日のことを考えれば交代で早く休むべきだと思ったが、うっかり、彼の話を聞くことになってしまった。それは、一人の女性を巡る悲しくも恐ろしい話で、最後は美しかった姿を、化け物のように変えられてしまい、運命を悲嘆した彼女が嵐の海に飛び込んでしまうという、恐ろしくも悲しい結末だった。
「いまもその辺りじゃあ、その女の泣き声が聞こえるそうで、近くを通りかかった船を誘っては沈めているんだそうです」
ベルクが、ぞっとする口調でそう語ったのが耳に蘇り体が慄えた。もちろん聞いている時にはそんなことはおくびも出さなかった。第十三部隊の副隊長として、その程度の話を怖がることはできない。
でも本当は、かなり怖かった。
大抵のことは男たちより上手にこなせる私だったが、唯一苦手なのが、怖い話だったのだ。
お陰で昨夜はよく眠れなかった。
(やっぱり、強引にでも話を打ち切るべきだったわ)
そう思った瞬間、岩の影から槍が突き込まれていた。
(第百六話 了)
こんにちは、佐藤峰樹です。今週もありがとうございました。
今回の読みどころは、ファビアンの豆知識と語り部ベルクでしょうか(笑)。
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明日からは三連休ですね。この間の祝日は、うっかり更新しましたが、今回はちゃんとお休みします(苦笑)
ですので、次回は来週火曜日の7時前後の更新を予定しております。
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