第百五話:世界を紡ぐ、それぞれの道【前編】
街道には家財道具一式を載せた馬車をはじめ、着の身着のままの姿で、赤ちゃんを抱え、子供の手を引く母親や、連れて来たなけなしの家畜を追う怒声が飛び交っていた。そこは北へと向かう街道ではあったが、予定された前線からはまだ遠く離れていた。
私は馬から降りると、道草を食おうとしているロバの尻を叩いている男に声をかけた。
「なんだよ、こんな時に! こっちは――」
噛みつきそうな口調で返事を仕掛けた男が、私の姿を見て固まった。
「あっ!これは騎士様、ご無礼を致しました!」
すぐに男の家内と思われる女性が割って入ってきた。腕にはまだ小さな子供を抱えている。
「騎士様!うちの者がとんだ口を!どうぞご容赦ください。こんな亭主ではございますが、いなくなれば我が家は路頭に迷います。まだこんな小さな子供もおります。そうでなくとも、この戦で……」
「戦と言ったな? どこで始まったというのだ!?」
私の語気に彼女は怯えたように身を竦ませる。そのはずみで驚いた子供が泣き出した。
今度は慌てた亭主が口を開く。
「この先でございます! なんでも蛮族どもが突然現れたそうで……」
後ろにいた、重そうな大きな袋を肩に担いだ男が、興奮した口調で会話に加わってきた。普通なら騎士の話に首を突っ込むことなどしないものだが、この状況がそうさせているのだろう。
「俺が聞いた話だと、もう騎士団が制圧したそうだぞ!」
「じゃあ、お前はなんで逃げてるんだ!?」
「蛮族の残兵が襲ってくるって聞いたからさ!」
「いや、私が聞いた話は違うぞ!」
これは中年の男だった。大きな背負い袋を担いだ若い男と、武器を携えた壮年の男を連れていて、本人の身なりが良いことからして、旅商人だろう。
「少数の蛮族を追っていったところを、逆にやられてしまい、大変なことになっているようだ」
いつの間にか集まってきた周りの人間からも、「俺もそう聞いた」「いや、違う!」と様々な声が上がる。いずれにしろ、戦いが始まっているのは間違いないようだった。
私は彼らに礼を言うと、ベルトから銀貨を一枚取り出し、子供を抱えた女に手渡した。驚いた顔の彼女が慌てて跪こうとするのを制して、馬に飛び乗ると街道を先に急いだ。
竜背丘陵から一日半、ほとんど駆け続けて来ていたが、魔法の効果もあって馬はまだ走れそうだった。
ふと、ルナの顔が思い浮かぶ。思わずブレスレットに目をやる。
(今頃彼女はどこにいるのか――)
私はその思いを振り切るように、馬に軽く鞭を入れる。グンと速度があがった。また彼女との距離が遠くなる。彼女だけではない。あの場にいた、エリオット、セレスティア、アレス、クルスをはじめとする(王の影)、そしてライル。彼らとの距離も離れていく。
許されたのは七日間だった。【深淵の盟約】の地下施設に潜入し、ルナを助け、アレクシウス殿下をお救いする。実際それはあと一歩というところまできていた。しかし、殿下は既にゴーレムに取り込まれ、あのライルは、みすみすそれを見逃した。ルナは「仕方がなかった」と言っていたが、私にはそう思えなかった。
他のみんなはあの男のことを無条件に信じているようだが、私は違った。あの男への違和感は、日増しに強くなっていた。腕前について言えば、確かに卓越した技量だ。正直に言えば、私もあの男を倒す姿を思い浮かべることができない。あのルナをして、自分の魔法が通じるか「分からない」と言ったほどだ。エリオットは、私と別れて行動を共にするうちに、ライルに強い興味を持ったようで、あの男の一挙手一投足を食い入るように見ている。まあ、お祖父様のことを色々聞かれなくなったのは良かったが……。
セレスティアは元々、ライルの弟子なのでこの件では参考にならない。信奉者のようなものだ。私があそこでライルに詰め寄った時も、彼女は非難がましい目で私を見てライルを擁護していた。
確かに彼女の言う通り、行動だけ見れば、今のところライルは陛下のために働いている。ゲルハルトによって操り人形にされていた陛下をお救いし、リヴィア殿下の拉致を防ぎ、水晶の離宮でも大きな働きをなしたと聞く。しかし、私には腑に落ちないことが多かった。なぜあの男は、いつも事が起きた後に現れるのだ? それほどの実力があるのであれば、最初から防いでしまえば良いのではないか? そしてあの理。実際に何度も目にしているので、それを否定することはできないが、私にはどうしても胡散臭く思えた。
(私一人でも、あの男を見張らなければ)
だがいま私がすべきことは、まず戦場に向かうことだった。
手綱を握る手に力が入った。
***
真っ白い閃光が収まると、そこは、エリオットの言った通り、街の郊外だった。ただ私の知っている街とは様子が違う。平地にある王都であっても、冬のアウレリアは雪が大量に降るため、建物の屋根は基本的に勾配がある三角屋根や円錐形だ。ところが目の届く範囲に見える建物の屋根は、平やお椀をひっくり返したような形をしている。またそうした屋根の上には、大きな樽のようなものが乗っている。恐らく水を貯め置くためのものなのだろう、そこから繋がる管が建物の中に引かれている。
空気も違った。寒くはあったが、さっきまでいた竜背丘陵はもちろん、王都のような湿気がなく、カラッとしている。
「ようこそ、タイドリアへ」
隣に立つ、エリオットが笑ってそう言った。
「流石はアウレリアの至宝、天才魔法使いルナリア・アークライト様ですね。一分の狂いなく目的地に着いています」
そんな当たり前のことに感心しているのが不思議に思える。確かにかなりの長距離だったけれど、教えられた座標に跳んだだけだ。それよりも気になるのは、跳んで来た先、この場所のことだ。
「聞いてはいましたが、ずいぶん殺風景なところですね」
「アウレリアの方にはそう見えるでしょうな。これでもここはパンタラの近くの村ですから、比較的緑化が進んでいる方なんですがね」
そう言って彼は人懐っこく笑った。会うのは二度目だが、初めての時に比べると、随分、雰囲気が柔らかくなっている。ただ、イザベル様には「見かけに騙されるな」と言われていたので腕前は確かなのだろう。
「では、ついて来てください」
エリオットはそう言うと歩き出した。太陽の位置が出発した時よりも少し低いところにあるのに気づく。頭には入っていたが、こうして実際にその中に身を置いてみると、随分遠くへ来たのだということを実感する。
連れてこられた先は宿屋のようで、三階建てのなかなか立派なものだった。ただ、この建物に限らず、どれも赤茶色の土を固めたものが使われていて、それが木とレンガで作られたアウレリアとは違い不思議な感じがした。
(埃っぽいところね)
そう思いながら彼の後を追う。すると彼は正面の入り口からは入らず、路地に入ると裏へと回った。建物の裏には倉庫や鶏小屋や馬小屋などが並び、乾燥した土の匂いがした。アウレリアでは嗅いだことのないものだった。
やがて辿り着いた裏口の戸を、エリオットが、コン、ココンと叩いた。
すぐにドアが開き、中から赤い口紅を引いた女性が顔を出した。三十代になったくらいだろうか、胸元が大きく開き、ぴたりと体の線が見えるような服を着ている。色は口紅と同じ赤色だ。それだけでも目を惹くのには十分だったけれど、何より印象的だったのは切れ長の目に輝く赤い瞳だった。その瞳が、エリオットと私を交互に見ている。
(わっ、凄い!)
と思うのと、彼女の腕がエリオットと私を掴み、中へ引き摺り込むのは同時だった。
中はそれほど大きくない部屋で、個人の私室のようだった。天井の中心には光る魔石が吊るされていて、それが部屋全体を照らしていた。
「随分乱暴だな」
そう言いながらも、その口調には機嫌の良さが滲んでいた。一方の私は、そんな乱暴な扱いを受けたのは、魔法学校に入る前で、すっかりびっくりしていた。普段なら文句の一つや二つは言っていたところだったが、取り敢えずここは様子を見ることにした。
「なに言ってんのよ」
赤い瞳の女性が、ピシャリとエリオットの口を封じる。
「半刻前に突然、〝そっちに行く、女物の一張羅を一式用意しておけ〟って、あんたなに様のつもりなの!?」
「まあ、そう怒るな」
エリオットがたじたじと応じる。だけど本当にたじろいでいるわけでない。口調は相変わらず機嫌がよく、そこからも彼がこのやり取りを楽しんでいるのが伺えた。男女の機微にはまだまだ疎い私だが、それでも、彼にとって彼女は信用がおける人間であり、ここが安全な場所であることは分かった。
「――それで、この娘が言っていたお嬢さんね」
そう言って私を見た瞳は赤かったが、扉を開けた時のような尖った光は消えていた。改めて見ると凄い美人だった。アウレリアには滅多に見ない、艶やかな原色の花がそこで咲き誇っているような、華やかな雰囲気のある人だ。
「ごめんなさいね、乱暴なことをして。この男が突然いろいろ言ってきたもんで、すっかり頭にきちゃって。あなたのせいじゃないのにね。私はこの宿の主人をしているラターナ。よろしくね」
「いいえ、どうぞお気にせず。私はルナリアと申します」
彼女はその私の口調にちょっと驚いたように瞳を瞬かせた。
「こちらはアウレリアの高名なお嬢様なんだ」
エリオットが私を見てそう言った。
「あんた、本当に良いのかい?」
ラターナが再び怖い目でエリオットを見ていた。ちょっと嫌な予感がした。
「大丈夫。俺のことを信用しろ。その方が安全なんだ」
「エリオット――」
そう言うと彼女の赤い瞳がエリオットの灰色の瞳をを見た。彼もそれを真っ直ぐ見つめ返す。それはほんの僅かな時間だったが、次に私を振り返った彼女の顔には、何かを納得した様子が窺われた。
「じゃあ、ルナリアさん、あちらの部屋で着替えましょう」
えっ? 着替える!? 初めてそんなことを聞いて混乱する私を、エリオットが楽しそうに見ていた。
「ルナリア様、そのままの格好ではとてもパンタラには行けません。どうぞタイドリア風の服にお着替えください」
「で、でも!」
「私たちはこれからタイドリアで一番と言われている魔術師に会いに行くのです。そのための準備の一つです。イザベル殿からも聞いているでしょう?」
確かにイザベル様からは、タイドリアに関することについてはエリオットに任せろ、とは聞いてはいた。とはいえ見知らぬ場所で服を着替えるのは抵抗があった。思わず腕のブレスレットを見る。黄色く輝く魔石の向こうに、冷たい北の大地で馬を駈る彼女の姿が浮かんだ。
「分かりました。お願いしますわ」
私はラターナに向かってそう言っていた。
すぐに私はその言葉を後悔していた。
こんにちは、佐藤峰樹です。
ようやくイザベル、エリオット、ルナの登場です。それぞれに思いを秘めて道を進んでいきます。
連載四ヶ月、百話を越える大作になってきて、著者的にも「どうなるんだろう?」と思うところもありますが、面白いと思っていただけましたら、ぜひブックマークのうえ、気長に付き合っていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
次回は明日の7時前後の更新を予定しております。またお会いできることを楽しみにしています。
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