第百四話:泥濘の檻と、静かなる号令【後編】
眼下に広がる光景は酷いものだった。
「どうですか隊長?」
そう後から尋ねてきたのは、騎兵隊の隊長、スタークだった。
私は単眼鏡から目を離さず答えた。
「良くないねぇ……」
前方を行く本隊と第二部隊は敵の包囲下にあって着実に兵力を削られている。なんとか後退しようとしているが、円環したカルデラ状の地形から脱出するには、狭隘な路を通らねばならず、二つの部隊がそこに殺到する形となっていた。
敵は効率よくそこへ弓と魔法の遠距離攻撃を集中し、さらにトロールに巨大な岩を投げさせていた。そのため後続の第八部隊も続く第四部隊も救出に迎かえず、それどころか、彼ら自身、右側背から攻めてきたオークとゴブリンの混成部隊を撃退するのに必死のようだった。
「良くありませんか」
スタークが私の言葉を繰り返した。言葉と裏腹に、彼の口調はどこか楽しげだった。私は単眼鏡から目を離して振り返った。
背が高く、がっしりとした体に乗った少し面長な顔は、まあ二枚目と言っていいだろう。緑の眼に少し赤味がかった癖のある黒髪は綺麗に整えられ、貴族の血筋らしい高貴な雰囲気がある。左頬にある大きな切り傷を除いては。
「なんだか嬉しそうじゃないか」
そう言う私に、彼はニヤリと笑った。
「まあ、悲しくはないですな。嫌な奴らでしたから」
その返事に私はため息をついた。
(なんでうちの隊はこんな面倒な奴ばかりなんだ)
結成以来、何度そう思ったことだろう。そんなこちらの気持ちを知ってか、スタークが益々嬉しそうな顔をする。
「そんな顔をしないでください。ちゃんとご命令通り全員馬から降りて、こんなところまで登ってきたんですから」
そう言う彼の背後には、騎兵にも関わらず、馬を曳いてこの丘に登って来た騎士たちが、いまは弓をしごいている。
「まあ、そうだね。準備はどうだい?」
「とっくに出来てますよ。隊長がため息をついている間に。なあ皆んな!」
その声に応じて、騎士たちからの太い声が上がる。
「分かった。徒士隊の方はどうだい?」
「確認してみましょう。おい!」
スタークはそう言って、手に小旗を持った部下の一人に目配せをする。無言で頷いたその男は、素早い身のこなしで少し丘から身を乗り出すと、両手に握った小旗を、丘の下で控える徒士隊に向かって素早く動かす。
短い応答の後、
「向こうも大丈夫です」
とスタークに報告する。
「だ、そうです」これはスタークだ。
「ふむ」
私はそう言ってもう一度単眼鏡を覗き込み、今度は別の方向――峡谷を見下ろす別の岩場に向ける。そこに映るわけもないことは承知で、その姿を探した。
「うちの【お嬢様】はうまくやれますかな」
少しからかうような口調だった。私はそれにことさら反応しないように答える。
「きっと大丈夫さ」そう言って単眼鏡から目を離す。
「大丈夫じゃなかったら? その時はどうするんです。もし事態があなたの予想通りで、副隊長が失敗したら、我々は壊滅しますよ」
「そうだろうね」
「良いんですかそれで?」
その口調が初めて真剣な響きを帯びた。ただそれは問いただすというよりも、私を試すような響きだった。
「良くはないさ。でも他に方法がない。いまは他に選択肢がないんだ。考えてもしょうがない。それに、駄目な時は駄目な時でやることがあるだろう」
私の返事にスタークが少し驚いた顔をした。
「そういうもんですか? それが海の流儀ですか?」
「そうさ、海で目の前に嵐を見つけたらどうすると思う?」
「どうするんです?」
「もちろん避けるさ」
スタークがやや鼻白んだ顔になる。
「避けられないこともあるでしょう?」
「そりゃそうさ。嵐にも都合があるからね」
「その時は――」
「沈まないように頑張るんだ」
「……頑張るねぇ」
「そうさ。我々はできるだけのことをする。でも嵐の進路を変えることはできないだろう? できないことを考えるよりも、できることを頑張る方が生産的じゃないか」
スタークはふんと鼻を一つ鳴らしたが、言いたいことは分かったようだ。
「分かりました。精々派手にやりましょう」
そういうと彼は小脇に抱えていた兜を被った。狼を模した飾りが、曇り空に鈍く輝く。
「じゃあ、予定通りに」
そう言うとスタークは嬉しそうな顔をして右手を広げた。
「私たち騎兵はまず、ここで弓兵と一緒に敵のガラ空きの背後にたっぷり弓を浴びせる」そう言って彼は親指を折った。
「うん」
「すると混乱した敵に、我が方の徒士隊が突進する」スタークが人差し指を折った。
「うん」
「崩れた敵に、主役である我らが騎馬隊がこの丘を下って突撃、こいつを散々に蹴散らす」そう言って彼が折ったのは、薬指だった。中指と小指は伸びたままだ。
「上出来だね」
そう言ってから疑問に思ったことを聞いた。
「ところでスターク。その指の折り方はなんだい? どこかの国の挨拶かい?」
そう聞かれた彼は自分の手を見て、初めて気がついたような顔をした。
「ああ、まただ」
「?」
「いえね、以前貴族院で気に入らない奴らと少し揉めましてね」
「うん」
「若気の至りで、相手が兜を被った上から殴って以来、どうもこの中指君が――」
「曲がらないのかい?」
「そういうわけでもないんですが、気分屋で」
「気分屋ねぇ……。で、殴られた方はどうなったんだい?」
「さあ、分かりませんな」
「分からないのかい?」
「ええ、それっきりそいつとは話してないので」
そう言うと、彼は伸びたままの中指と小指で空を指すと、口笛で短く葬送曲を吹いた。
「……始めよう」
私は彼にそう命じた。
こんにちは、佐藤峰樹です。今週はじまりました。
ファビアンと新キャラクター、スタークの登場です。こういうシーンは好きですね。
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次回は明日の7時前後の更新を予定しております。またお会いできることを楽しみにしています。
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