第十話:公爵令嬢の保護と、奇妙な治癒力【後編】
俺は彼の横に膝をつくと、心配そうに見守るセレスと場所を代わりってもらい、寝かされているその首の後ろ、後頭部にそっと両手を滑り込ませた。手の平に男の命の気配が、まるで萎んだ風船のように弱々しく伝わってくる。俺はその萎んだ風船に温かい空気をそっと送り込むように、自分の体温の一部を男の体へと静かに注ぎ込んだ。その様子をセレスに加えて、近づいてきたイザベル隊長とギデオン殿が見守る。
俺は手の平から自分の温かさが、相手に伝わるのを感じていた。体の冷たくなっているところ、固くなっているところ探すイメージを持ちつつ、自分の中にある温かさや安定感を意識した。大事なのは無理に相手に働きかけるのではない。もともとその人が持っている治ろうとする力を目覚めさせ、助ける感じだ。
暫くすると、それまで途切れ切れだった重症者の呼吸が、ふううう、と深く、安定したものに変わった。死人のように蒼白だった顔にも、わずかに血の気が戻っている。
「……なっ!?」
すぐ隣で見ていたセレスが、信じられないというように息を呑んだ。
俺はゆっくりと手を離すと、立ち上がった。
「……これで、多少動かしても、大丈夫でしょう」
俺の言葉に、駆け寄ってきたギデオン殿が、畏敬の念のこもった目で俺に尋ねた。
「ライル殿……。いまのは、一体?」
「なんでしょう?」
俺は、きょとんとして聞き返した。「師匠から教わったことです。皆さんは、やらないのでしょうか?」
俺の純粋な問いに、今度はセレスが震える声で答えた。
「やりません……!いえ、できるはずがありません!治療魔法は聖職者や一部の宮廷魔術師だけが使える、高度な技術です!それには、特殊な才能と、何年もの修行が必要なはず……!」
ギデオン殿も、興奮した様子で尋ねてくる。
「ライル殿、お主の師は、どのようにして、そのような秘術を……?」
秘術、と言われても、俺には分からない。俺は、ただ昔の出来事を思い出しながら話した。
「昔、腹が痛くて動けなくなったことがあって。その時、師匠は、『腹が痛いなら、自分の手で抑えておけ』と言われて。だから、そうしていたら、いつの間にか治っていて……」
俺の答えに、ギデオン殿とセレスは、もはや言葉もなく、ただ顔を見合わせていた。
その場の空気を断ち切るように、イザベル隊長が冷静な声で、しかしその瞳には隠しきれない動揺を浮かべながら口を開いた。
「……ライル殿の処置のおかげで、生存者の命は繋がったようです。感謝します」
彼女は一度、戦場全体を見渡すと、指揮官の顔に戻り、ギデオン殿に向き直った。
「ギデオン師範。ご意見を伺えますか?我々の任務はシャルロッテ様の護送も加わりましたが、この……亡くなった方々と、負傷者をどうすべきか」
彼女の問いに、ギデオン殿は即座に答えた。
「うむ。まず、このヴァロン家の馬車が使えるか確認させよう。動くようであれば、亡くなった護衛と、アンナ殿の亡骸を丁重にお運びする。道端に打ち捨てるなど、騎士の誉れが許さん」
彼は続ける。
「重症の護衛は、ワシの馬車へ。セレス、お前は付き添って、引き続き看護を頼む」
「はい!」
ギデオン殿はここまで言った後、イザベルに向かって声を掛ける。
「よいかな?」
「的確なご判断です」
イザベル隊長は力強く頷いた。
「承知いたしました。では、そのように。――者共、聞け!これより我々はシャルロッテ様を護送する!恐れ多いことではあるがヴァロワ家の馬車を遺体搬送用として確保、修理を急げ!」
イザベル隊長の号令一下、彼女の部下である騎士たちが、粛々と動き始める。
幸いヴァロワ家の馬車はなんとか動き、曳いていた馬も無事で近くにいたので、これを予定通り遺体搬送用の馬車とすることになった。王族に連なる者の乗る馬車として、美しく装飾が施されていたが、いまは見る影もなく無惨に傷つき、そこへ三人の骸を乗せる様子は、否応にも戦いの激しさを思い出させた。
その結果、俺は先頭の騎士団の馬車で、ギデオン殿とイザベル隊長、そして新たに保護したロッテと同乗することになった。セレスは続く二台目の騎士団の馬車に怪我人と、三台目の修理したヴァロワ家の馬車に三人の遺体が乗せられ、再び王都への道を進むことになった。
ロッテは、俺の服の裾を固く握ったまま、離れようとしせず、結局、俺の隣にちょこんと座る形で、馬車に乗っている。
やがて、旅の疲れと安心感からか、ロッテは俺の腕に寄りかかったまま、すーすーと小さな寝息を立て始めた。
その寝顔を見下ろしながら、それまで沈黙を守っていたギデオン殿が、静かに口を開いた。
「……ヴァロワ公爵家か。これはやっかいな裏がありそうだな」
その呟きに、向かいに座るイザベル隊長が頷く。
「はい。ヴァロワ家は、現王家であるアウレリウス家への忠誠が最も篤い家の一つ。王位継承を巡り、ユリウスの実家であるベルンシュタイン公爵家とは、長年対立しています」
「この襲撃……あまりに手際が良すぎる。まるで、シャルロッテ様の旅程を完全に把握した待ち伏せのように思える」
ギデオン殿の言葉に、イザベル隊長は何かを考えるように俯く。その様子をチラッと見たギデオン殿は顎を撫でながら言葉を続ける。
「旅程を知る者……。確か、シャルロッテ様は第三婦人のお子。そして、お子がおられぬ第二婦人は、ベルンシュタインの遠縁だったか……。……内から情報が漏れたか?」
ギデオン殿が、推理を口にする。それに対し、イザベル隊長は、静かに答えた。
「迂闊なことは言えません。ですが……ありえぬ話では、ありません」
二人の会話は、眠るロッテに配慮して、ひそやかな声で交わされる。
俺は、眠る少女の顔を見下ろした。
ただ、子供が危険だと思った。だから助けた。
だが、どうやら俺が助けたのは、この国の大きな争いの中で木の葉のように舞っている少女だったらしい。
俺は、向かいに座るイザベル隊長と、目が合った。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、その鋭い瞳で、ロッテの横で体を預けられて座る俺の姿と、安心しきって眠るロッテの姿を、値踏みするように、じっと見つめていた。やがて、彼女が口を開いた。
「……ライル殿。先ほどの投石……あれは、どのような系統の魔法ですかな?私の知る、風や衝撃波を操る魔法とは違うようでしたが」
(第十話 了)
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