第十話:公爵令嬢の保護と、奇妙な治癒力【前編】
俺はしゃがみ込み彼女を抱きしめると、腕の中で小さく泣きじゃくる少女の背中を、ゆっくりとさすっていた。
金縛りにでもあったかのように立ち尽くしていた三人が、ようやく動き出した。
「イザベル隊長!周囲の警戒を!セレス、負傷した護衛の手当てを急げ!」
最初に我に返ったのは、やはりギデオン殿だった。彼の指揮官としての鋭い声が、場の空気を引き締める。
セレスとイザベル隊長が、はっとしたようにそれぞれの役割へと走り出す。
腕の中の少女の震えが少しだけ収まったかと思った、その時だった。彼女は俺の腕の中から顔を上げ、ある一点を見つめて、その体をこわばらせた。
「……アンナ?」
少女の唇から、か細い声が漏れる。その視線の先には、壊れた馬車の扉のそばで、血だらけになって倒れている、若い女性の側仕えの姿があった。
「アンナ……アンナ……!」
少女は叫ぶでもなく、ただ、壊れた人形のようにその名を繰り返す。その瞳から、涙が再び溢れ出した。
俺は、彼女の小さな頭をそっと引き寄せ、自分の胸に顔を埋めさせた。
いまの俺に他にできることはなかった。
ギデオン殿が、俺の元へとゆっくりと近づいてきた。
「……ライル殿。見事であった。……お嬢ちゃん、怪我はないか?」
彼はまず、子供の安否を気遣い、穏やかな声で尋ねた。
彼の問いに、少女は俺の胸に顔を埋めたまま、小さく首を横に振ってから、か細い、蚊の鳴くような声で答えた。貴族としての教育の賜物だろうか、彼女はまず自分の身分を明かした。
「……わたくしは……シャルロッテ・ド・ヴァロワ……」
その名を聞いた瞬間、それまで冷静だったギデオン殿の表情が明らかに変わった。
彼は驚きに目を見開くと、ロッテの前に膝をつき、その視線を合わせた。
「……ヴァロワ、と申されたか?六王家を支える大黒柱、あのヴァロワ公爵家の?」
ロッテがこくりと頷くのを見て、ギデオン殿は背後に立っていたイザベル隊長と、厳しい視線を交わした。イザベル隊長の顔にも、緊張が走る。
「なんと……。シャルロッテ様、では、なぜこのような場所に……?」
ギデオン殿の問いに、ロッテは小さな声で答えた。
「……王都にいらっしゃる、お父様に、会いに……」
その言葉に、ギデオン殿ははっとしたように頷いた。
(そうか、病弱であられる母君、エリーゼ様の山荘から王都へ向かう道中であったか……)
彼は全てを理解したように、深く頷いた。
手当てを終えたセレスが、沈痛な面持ちで報告に来た。
「父上!護衛の方々のうち、二名と、シャルロッテ様の侍女であるアンナは……既に。残る護衛一名も、深手を負っており危険な状態です」
彼女は俺の腕の中で震えるロッテ(シャルロッテ)を見ると、痛ましげに顔を歪めた。
「ライル殿、わたくしがその子を……」
セレスが、ロッテを預かろうと、そっと手を伸ばす。
だが、ロッテは、ぎゅっと、俺の服を強く掴んで離れようとしなかった。
「……いやっ……!」
そして、俺の顔を見上げ、小さな声で言った。
「……このひとと、いっしょがいい……」
その言葉に、セレスもギデオン殿も、少しだけ驚いた顔をした。ギデオン殿は、すぐに頷いた。
「……うむ。このままの方が、この子も安心するだろう」
彼はイザベル隊長に向き直る。
「イザベル隊長。ヴァロワ公爵家のご令嬢だ。このまま放置はできん」
「はい」
イザベル隊長は力強く頷いた。「これより、我々の任務はライル殿の王都への連行に加え、シャルロッテ様をヴァロワ邸まで安全に護送することとします。皆、それに異論はないな」
彼女のよく通る声が、血なまぐさい街道に響いた。
そんな中、重症の護衛の応急手当にあたっていたセレスから悲痛な声が上がった。
「父上!なんとか出血を止めることはできましたが、呼吸も脈も弱く……、このまま馬車で揺らせば、王都まで保たないかもしれません」
その声に、俺はロッテの頭をそっと撫でた。
「ロッテちゃん。少しだけ、待っていてくれるかな」
俺がそう言って諭すと、彼女は自分がロッテと呼ばれたことに少し驚いた様子だったが、こくりと頷いた。俺は彼女をそっとセレスの隣に降ろすと、重症の護衛の元へと向かった。
(師匠は言っていた。壊れたものは、流れが滞っているか、弱っているだけだ、と)
「何をするつもりだ?」
俺の動きに気がついたイザベル隊長が声を掛けてきたが、それに答える時間はなかった。
(助けなければ!)
その思いだけが、俺の体を動かしていた。
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