第九話:その少年は、ただ歩くだけで戦場を切り裂く【後編】
扉が開け放たれた馬車の横には側仕えらしい女性が斬り殺されていた。
その返り血を浴びたリーダーらしき男が、俺が近づいてくるのに気がつくと、左腕で抱えた少女の細く白い首筋に、右手に持ったナイフを突きつけて、近づく俺に向かって低い声で脅しをかけてきた。
「……動くな。それ以上近づけば、このガキの喉を掻き切るぞ」
彼の周りに残っていた四人の襲撃者たちが、俺を取り囲もうとじりじりと動き始める。
だが、俺は歩みを止めない。
人間は、自然と相手の呼吸を読み、動きを合わせようとする。逆に止まっている人間は、動いている相手には、攻撃の好機を見出しにくい。どこかで相手が止まるのを無意識に待ってしまうのだ。
だから、俺は止まらないし返事もしない。
意識を合わせようとする相手のあらゆる接触を無視して、リーダーらしき男に向かって一定の速度で真っ直ぐに進む。
視線は男に向けながらも、睨んだり強く見つめたりしない。男を目の中心に捉えながら、ぼんやりとその周辺にも広げている。歩きながら軽く身を屈めると、速度を変えず、そのまま視線を落とすことなく、素早く足元に転がっていた鋭い欠片のある小石を左手で拾い上げる。
返事もせず黙って近づいてくる俺の反応にリーダーは戸惑っている様子だった。
追い詰められたように男が口を開く。
「おい、聞こえな 」
その言葉を言い終える前に、歩きながら俺は左腕の一振りでさっき拾った小石を投げていた。
ヒュッ、と乾いた音を立てて放たれた石は、一直線にリーダーの男の顔面へと飛んでいく。
男が反応するよりも早く、石は、彼の左目に深々とめり込んだ。
「ぎゃあああああああああああっ!」
人間が発するものとは思えない、耳を劈くような絶叫が響き渡った。
リーダーの男は、顔を押さえてのたうち回り、その手からシャルロッテが転がり落ちる。
後ろから迫ってきたセレスたちの足音が聞こえてきた。
一瞬の逡巡の後、残っていた襲撃者の一人が、叫んだ。
「援軍が来た!撤退!負傷者を回収しろ!」
合図と共に、彼らは一斉に煙玉を地面に叩きつけた。
「ライル様!」
馬車の方から、セレスの声が聞こえた。だが、もう遅い。辺りは一瞬にしてもうもうとした煙に包まれる。
俺は煙に構わず、少女の元へと駆け寄っていた。恐怖に震え、動けなくなっている小さな体を抱きかかえる。
「……もう大丈夫だから」
見たところかすり傷だけで、大きな怪我はない。煙の向こうで、襲撃者たちが仲間を担ぎ、森の中へ消えていく気配がした。リーダー格の男も、先ほど俺が倒した男たちも、一人残らず連れて行っていた。
数分後、風が煙を吹き払った時には、戦場には血の跡だけが残り、敵の姿はどこにもなかった。
そこにあったのは、二人の護衛騎士と、若い女性の側仕えの骸と一人の重症者、壊れた馬車と、俺の腕の中で小さく泣きじゃくる少女、そして、ようやく駆けつけてきたセレスたちの姿だけだった。
セレスは、俺と、俺に抱きかえられている少女を見て、安堵の表情を浮かべている。
ギデオン殿は、血だまりと俺を交互に見比べ、もはや感嘆を通り越した、畏怖の色を浮かべていた。
彼は、隣に立つイザベル隊長に、呟くように言った。
「……信じられんな。最初から最後までライル殿は一瞬の迷いもなく動き続けていた。……しかも、敵はただの野盗ではない。負傷者を全員回収していることから、いずれかの訓練を受けているのは間違いない。それを、一人で……。なぜ奴らは真っ直ぐ近づくライル殿に反応できなかったのだ……」
そして、イザベル隊長は――。
彼女は、その場に立ち尽くしていた。その手には、鞘から抜かれたレイピアが握られたままだ。
しかし驚きに目を見開いていたのは、ほんの一瞬だった。すぐにその瞳は、何かを分析するかのように、鋭く、そしてどこまでも冷たい光を宿した。
馬車で聞いた、荒唐無稽な話。名もなき師、火を使わぬ食事、人の理を外れた修行法。そして、目の前で繰り広げられた、人間業とは思えぬ戦闘技術。
その全てが、彼女の頭の中で、一つの、ありえない、しかし無視できない可能性として結びついたかのように。
彼女は、何か得体のしれない「脅威」を見る目で、俺を値踏みしていた。
(第九話 了)
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