第五十一話:「二人の告白」【前篇】
私は王城の廊下を歩きながら、苛立ちを抑えきれずにいた。
義兄上、アレクシウス様が、あのライルという青年と稽古をしている。それ自体は構わない。義兄上が剣を学びたいと思うなら、それは良いことだ。でも、なぜ私は何も知らされないのだろう。義兄上がどんな稽古をしているのか。どんな様子なのか。元気になっているのか。父上に聞いても、「お前が心配することではない」と言われるだけ。侍女に聞いても、「離宮のことは分かりません」と首を横に振る。まるで、私だけが蚊帳の外に置かれているようで、胸の奥に苛立ちが募っていく。
足音を荒くして角を曲がった瞬間、誰かとぶつかりそうになった。
「あっ、失礼――」
咄嗟に身を引いた相手は、黒髪に紫水晶の瞳を持つ、凛とした雰囲気の少女だった。見覚えがある。
「貴女は……アークライトの?」
「はい。セレスティア・アークライトと申します」少女は丁寧に礼をした。「リウィア殿下、大変失礼いたしました。前をよく見ておらず……」
「いえ、こちらこそ」私は手を振った。
そして、ふと気づく。この人、ライルの弟子だったはず。父上から聞いた、アークライト家の令嬢が、ライルに弟子入りしたのだと。ならば、彼女ならライルの稽古について知っているはずだ。
「セレスティア殿」
「はい」
「少し、お時間よろしいですか?」
私たちは、王城の中庭にある東屋に腰を掛けた。側仕えが茶を運んでくれたが、私はそれに口をつけることもなく、彼女を見つめた。
「単刀直入に聞きます」
「……はい」
「貴女は、ライルの弟子なのでしょう?」
セレスティアは少し驚いたような顔をしたが、すぐに頷いた。
「はい。そうです」
「ならば、教えてください」私は身を乗り出した。「ライルは、義兄上に何を教えているのですか?」
彼女の表情が、わずかに曇ったのが分かった。
「……それは」
「私は何も知らされていないのです」私の声は、自分でも驚くほど切実だった。「義兄上がどんな稽古をしているのか。どんな様子なのか。父上も、側近も、誰も教えてくれない。でも、貴女ならライルの教え方を知っているはずです」
彼女は、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ライル様の稽古は……まず、『立つ』ことから始まります」
「立つ?」
「はい。ただ、立つ。そして、自分がそこにいることを感じる」
私は眉をひそめた。
「それだけ?」
「いえ、それが……全ての始まりなのだと、ライル様は仰います」セレスは自分の手を見つめた。「自分がここにいる、ということを感じる。足の裏が地面に触れている感覚。呼吸のリズム。体の力の入り方。それらを、一つ一つ確認していく」
「……それが、剣の稽古と関係があるの?」
「あります」セレスは頷いた。「剣を振るのは『自分』です。でも、その『自分』がどこにいるのか分からなければ、剣もどこに行くか分からない。それが、ライル様の教えです。『理』が大事なのです」
私は、彼女の言葉を反芻した。自分がここにいる、ということ。それが、剣と関係があり、そこに『理』がある。正直、よく分からない。
「では、義兄上は、いまその『理』を学んでいるのね」
「恐らく……」その声が、わずかに揺れた。
「恐らく?」
「……すみません」彼女は目を伏せた。「私も、実は……よく分かっていないのです」
私は目を見開いた。
「どういうこと? 貴女、ライルの弟子なのでしょう?」
「はい。でも――」彼女の声が、震えた。「私は、ライル様の『理』を学んでいるつもりでした。技を真似て、動きを真似て。確かに、以前よりも強くなったと思います。でも……」
「でも?」
「本当に、ライル様の『理』を理解しているのか。私には、分からないのです」
そう言うと拳を握りしめた。
「先日、私は……怒りに任せて、剣を振るってしまいました」
「……」
「ライル様を侮辱する者がいて、私は許せなかった。だから、立会を申し込んで、相手を叩き伏せました」セレスの声は、自嘲的だった。「勝ちました。圧倒的に。でも、それはライル様の『理』ではなかった。ただ、怒りに任せた、粗暴な力でしかなかった」
「……」
「技は真似できます。動きも、形も。でも、その奥にある『何か』が、私には見えないんです」セレスは顔を上げ、私を見た。その紫水晶の瞳には、苦しみと、そして正直な弱さが滲んでいた。「だから、申し訳ありません。リウィア殿下の問いに、私は答えられません。私自身が、まだ何も分かっていないのですから」
私は、彼女の言葉を静かに聞いていた。そして、不思議なことに、怒りは湧いてこなかった。むしろ、胸の奥が温かくなるような、そんな感覚があった。
「……貴女、正直な人ね」私はそう言った。
セレスティアは驚いたように目を見開く。
「誰だって、自分を良く見せたがるものよ。『私はライルの弟子です』『理を学んでいます』って、偉そうに言えばいいのに」
「そんなこと……できません」そう彼女は首を横に振った。「嘘をつくことは、ライル様への冒瀆です。それに――」
「それに?」
「……自分に、嘘はつけません」
その言葉に、私は少しだけ笑った。
「そう。貴女は、本当に正直なのね」
お読みいただき、ありがとうございました。
今回はリヴィアとセレスが出会う場面です。立場は違えど互いにもやもやを抱える二人の会話を、それぞれの視点で書いてみました。
そしてなんと今回でep.100です! 毎日休まずこんなに続くとは思いませんでした。読んでいただいているみなさまに心から感謝いたします。よろしければご祝儀ブックマーク&評価をお願いします!
次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




