54 負けていない
砦に数百人の騎士が突如として現れた。
歴史を見てもこんな大移動は見たことがない。故に、誰の仕業なんて考えなくても分かる。
だが、彼らの様子がおかしいことに気づいた。
泣き崩れる者。
吐き出して胃袋を空にする者。
狂うように戦争に戻してくれと叫ぶ者。
黎明国の第二王子──ソラ王子も膝から崩れ落ち、茫然自失状態。
なにが起きているのか分からず、砦の皆は困惑をしていた。
「……殿下、なにがあったのですか」
「…………勇者様が……我々を助けてくださったのだ」
騎士の問いに応えるソラ。
エルフとガルーは顔を見合わせた。
やはり勇者様が転移させたんだ! そもそも転移魔法を使えるなんて凄い!といった顔を互いにしている。「戦争が激化したらガルー様だけでも連れて森に逃げ込みます」と言っていたエルフも少し安心した表情に。
「じゃあ、その勇者様は!」
その問いを受け、ソラは言い淀む。
「この場所も危うい……撤退だ」
絞り出した応えは撤退。
ならば、勇者はどうなる。この場所にはいない。つまり、戦地にまだ残っている。
「勇者様を置いて帰るのですか!? そんなこと――」
「撤退!? 獣相手にですか!? 撤退など断じて許されません!!」
ガルーの声を遮る形で守備隊長が声を張り上げた。
いつもなら同調をする者も多くいただろう。だが、少なくとも転移してきた者からはそのような声は1つも上がらない。
「まだ我々の軍が戦っているのでしょう!? それを残して撤退など……そもそもなぜ勇者様は皆さんを転移させて──」
「アルベルト王子が討たれた」
「そんな訳がありません!」
「その相談役であるシュタイン公も戦死。エイリエ公も……。ベルトイド公も片腕を失い」
「嘘を付くな!! 剣聖が獣に負ける訳がない!!」
「負けたのだよ。戦争兵器も失敗に終わった。話す時間も惜しい」
ソラはその場から離れようとし、その前に守備隊長が立ちはだかった。髭を生やした隊長は、自身より背丈の低い王子を見下ろす。
「なりません。我々は獣を打ち倒すまで止まってはならぬのです」
これが戦場にいた者といなかった者の認識の差だ。かつての自分たちの写し鏡に、陰鬱な表情を浮かべる者も少なくない。ソラは至って真面目な顔をしたまま、彼の肩に手を置いた。
「そうか。ならばこの砦に残り給え。指揮官に指示を仰ぎ、役目を全うせよ」
この言葉の裏には「指揮官が生きていれば」という意図も隠されている。剣王国側の指揮官は全滅。隊長クラスはいたとしても、部隊全体を動かせる人間はいない。
──つまり、これは『死ぬまで砦で戦え』という意味だ。
その意味を理解できなかった守備隊長は「言われるまでもない」と二つ返事。
ソラは転移をしてきた者たちを振り返る。
「我々は勇者様の意志を尊重し、このまま撤退を行う!」
「では、勇者様は……」
「勇者様は我々の撤退の時間を稼ぐと仰った! その意志を蔑ろにできない!」
「ですが! 戦争に負けたとなれば、我々は」
「我々は負けていない」
その気迫に皆の顔が強張った。
戦争は勝利をしてこそ意味がある。
異人種に勝負を仕掛け、負けたとなれば汎人類史に『異人種に負けた恥知らず』と刻まれるだろう。
「部隊を再編し、準備を整える! 一度の侵攻のみで陥落すると本気で思っていた訳ではあるまい!」
生き残っている剣王国の兵の顔は上がらない。
その理由を知ってはいても言及はしない。
「勇者様に救っていただいた命を無駄にするな! 我々はまだ生きている! 早馬を駆けさせ、剣王国と黎明国に事態を伝えよ。魔道具では距離がありすぎる。その間我々は援軍が到着まで戦線を下げる。異論はないか!」
「……」
雰囲気がまとまりつつある。
異論を唱える者はいない──いや、唱えることができないというべきか。
勇者を犠牲に生き延びた。その事実が皆の思考を錆びつかせているのだ。
ソラも国の指揮官として来ていなければ、このような決断は取らなかっただろう。彼らの取った行動は間違ってはいない。このまま戦えば全滅は必至だった。
だからこそ、誰が「勇者と共に命果てるまで戦いたい」と言えようか。
(この選択は間違っていない……間違っていないはずだ)
砦の防衛部隊が時間を稼ぎ、その間に部隊の再編を行う。獣王国は時間をかければかけるほど厳しい戦いとなるだろう。急いで部隊を向かわせるよりも……。
「準備を整える。黎明国の隊長、副隊長はそれぞれの部隊の損耗を確認。後方部隊は早馬の用意を――」
『……っ……あ……』
「――して……」
ソラは声を止め、声の正体を確かめるために耳元の通信魔道具に触れた。
「こえ……?」
なんだ、いまのは。
このタイミングで通信魔道具が使われる訳が無い。
なにより、最前線とは距離がある。
「…………ゆうしゃ、さま……?」
いや、あり得ない。
そんな訳がない。
だが、疑惑が期待に姿を変えようとしている。
魔道具の誤作動かもしれない。
誰かが間違えて作動をしたのかもしれない。
だから──
『あー、聞こえるか? 聞こえてるのかな、これ……』
「……あ」
「このこえ……」
聞こえた声に隊長達の顔色が変わった。
声が籠もって聞こえにくいが、この声は確かに。
「勇者様ですか!? いま、どこに!?」
「ご無事なのですか!? どうやって……まさか」
『おいおい、私が無策で戦う人間に見えるのか? 心外だな……』
「!!!」
皆が互いの顔を見合わせる。
本物だ。生きていたんだ。
「で、では……勇者様は」
『ああ。勝ったよ、ナモーに』
「かった……? かった……??」
「勇者様が? あの怪物に……?」
「勇者様はなんと!? なんと仰ってるんですか!?」
「……勝った。あの、千戦戴冠のナモーに……勝ったと」
その言葉を理解するまで時間がかかった。
口が塞がらず、目を合わせる。
「ほんとに」
「勇者様は」
「ほんとに……あれを……」
「あの化け物を――」
開いた口の角が頬肉を持ち上げ、目を細くさせて。
静寂となった空間に息を吸い込む音だけが聞こえて。
一気に弾けた。
「ウオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「よっしゃああああああ!!!」
砦内が揺らぐほどの歓声。
泣き出す者。
抱き合い、潰された蛙のような声を出す者。
静かにガッツポーズを決める者。
勇者が獣王を倒した。
あの化け物を、あの化け物を!
歴史が動いた。大きく動いた!
我々は勝ったのだ! 勝利を手にしたのだ!
ソラも涙目となって何度も握り拳を揺らした。
『だから、獣人との戦いは終わりだ』
「ええ! そうですよね! 我々の勝利で──」
『我々は同盟関係を結ぶ運びとなった』
「へ」
喜びの中に聞こえてきた言葉に間の抜けた声を返す。
なんだ。いま、同盟と言ったか? まさか。
他の隊長は聞こえていないらしい。意味のわからぬ胴上げに加わっている。
「勇者様、我々の勝利で、戦争が終わって……」
『両方の総大将が討ち取られたのだ。戦争継続を辞め──』
耳の通信魔道具を抑え、勇者の言葉を聞き逃すまいと全神経を集中させる。
「同盟を結ぶこととなった」
「……へっ?」
『え?』
「…………へぇっ……?」
それはどう考えても「同盟」の2文字。
頭の中で反芻させても、それ以外の言葉に聞き取れなかった。