15 魔王の計画
俺は魔王の依代。
だから、魔族であり──破邪の魔法が致命的な一撃となる。
故に、こうなる。
「ぐううっ……!!」
最初に目に熱湯を入れられたような痛みが襲った。
それから逃れようと脳みそが頭蓋骨を押し上げ、頭がギチギチと異音を奏でる。
次に体から精神が飛び出そうとするが、痛みによってすぐに引き戻された。
体中の肉を錆びた刃物で強引に削り取られるような。
熱した鉄球を傷跡に捩じ込み、肉を広げるような。
そんな痛みが数秒の間に何十回と繰り返された。
「ガアアアッッ!!」
痛みから魔法杖を手放そうとした。
だが、まだだ。まだ、足りない。
俺は杖を振りかぶり、心臓の反対の胸に突き刺した。先端が太く丸みを帯びた杖が強引に肉をかき分け、意識が収縮と発散を繰り返す。
そして──
「【清浄の波動】──ッ!!」
追加詠唱。
同じ痛みが重ねがけで体を覆った。
「グウウウアアアアアッ! ううっ、うううう……ッ!」
死んで楽になりたいほどの痛みとはこのことか。
太陽に焼かれて消えるアンデッドの気持ちが分かった気がする。
どんな痛みよりも鋭く、鈍く、熱い。
────そして、背中から何か弾けるような感覚があった。
「ぐあああぁあああああっ!?」
そして、同時、背後で痛みに藻掻く女の声。
「ぐっ……!! はっ、はっ……あああっ!!」
その感覚を感じると俺は魔法を止め、後ろを振り返った────
そこにはいた。
自分が体内に感じた違和感の正体。
もう一つのエネルギーの正体。
「きさまァ……! 狂ったのか!? 破邪の魔法を使うなぞ!」
小麦色の肌に映える白蛇のような白髪を長く伸ばし、少女らしい印象を与える顔つきは吸い込まれてしまいそうな黄金の瞳によって妖艶な色を与えられている。その下の口腔にある歯は海の王者のように獰猛に尖っている。
破邪の魔法で焼かれた肌を修復しながら、寝台の上でこちらを睨む姿は一枚の絵画のようにサマになっているが……俺が大嫌いなやつなんでどうだっていい。
俺は杖を握ったまま溶けそうなほど高温になった体を動かし、魔王の首を掴み上げた。互いの熱で皮膚が焦げる音が聞こえるが、知ったことか。
「よぉ、クソ魔王。縮んだか?」
「ぐぅっ……!」
さっきまでの魔王は戦で相対した姿のままだった。だが、今、俺の前にいる奴は俺よりも縮んだ姿だ。
「なぁ、魔王。全部、お前の仕業だったんだな、クソ野郎……」
封印から目を覚ましたら汎人達の場所にいた。
本来なら、仲間たちの場所で目を覚ます予定だったのに。
コイツがアラムの場所を汎人にバラしたせいで。
「わらわではないと言うとるじゃろうが!」
手を払われたが、直ぐにまた掴みあげた。
「お前が大人しく死ねば丸く収まってんだよ」
「お主らが攻め込まなんだら誰も死なずに済んだ!」
魔王も胸ぐらを掴み上げてきたので、鼻息の当たる距離で怒号を吐き出す。
「お前が侵略してこねぇと汎人も迎え撃とうとも思わなかっただろうよ!!」
「ハッ!! 全部わらわのせいか!? それでスッキリするならそれでええがのぉ! その思考こそ侵略種然として滑稽じゃなァ!!」
そう言い、魔王は俺の顔を掴みあげた。
「この顔! 善人の皮を被っても、お主は所詮蛮族の王じゃ! 無実の魔族を蹂躙し、そこに旗を打ち立てる略奪者め!」
「人を喰らい、奪い、焼き払った。先に領地に攻め込んだのはお前だろうが!」
「それは他の魔獣や魔族が勝手にやったこと! わらわはしておらぬ!」
「そんな言い訳がまかり通るわけねぇだろうが!」
自分でも信じられないほどの力がこもった。その時、首と俺の手が溶け合うのを感じ、魔王の顔に頭突きを放って地面に投げ捨てた。
「ぐっ──」
俺は魔王を蹴り飛ばし、顔面を殴りつける。
「ぶっ!? わらわはっ、わらわは何もしてないではないかっ!!」
「まだ足りねぇんだな?」
髪の毛を持ち上げ、引きずって壁に押し当てた。
「ぐぅっ」
「てめぇのせいでアラムが襲われ、皆の命が狙われるようになった」
「だからそれは汎人が勝手に──」
「操ったと言った。忘れてねぇぞ。それで他責と来たか?」
するりと抜け出したので、足をひっかけて転ばせて馬乗りになった。
「権力者は皆そうなるのか? お前の尻からも脂の乗った死臭がしてくるぞ」
おかしいと思った。魔王城で封印された俺が、なんで人の城で目を覚ますんだって。
それも、異人種の解放という王との約束が破られた中で。
俺の知ってるアイツらなら、封印石を汎人に渡すようなことはしない。それに、アラムが場所を特定されるとは思えない。
コイツが、このクソッタレの魔王が、この死にぞこないが──
「俺の中にあるお前の魂だけを刳り貫き、地面に捨てることだって出来る」
「ハァッ!? そんなことをしたらお主も死ぬぞ!!」
「ああ、上等だよ。俺の命でお前を完全に葬れるなら安いもんだ」
グッと力を込めると、離れようと必死に暴れる魔王。俺の手はガリガリと削られ、至る所に赤線が走る。だが、離してなるものか。
「俺の仲間に手を出したんだ。許されるわけねぇだろうが……!!」
殺すつもりで力を込めると──スルッと抜けるような感覚。魔王が消えたのだ。
「チィッ……!」
もう効果切れか。
体の中のエネルギーは魔王の心臓だ。
封印の時に体を弄くり、魔族の体にして依代にした。
その逆ならどうか。
破邪の魔法で魔族の魂を狙うと、魔王は外に出ていくのではないかと。
(心臓ごと行けると思ったが……そう上手くはいかんか)
だが、体を浄化するとアイツはたまらず外に飛び出してくる。
それが分かったなら、再現可能だ。
「なら、もう一回するまで──」
再度魔法杖を振りかぶると、魔王が出てきて腕を止めてきた。
「やめんか!! 死ぬぞ!!」
「なんだ、出てこれるんじゃねぇか」
「話を聞け! それ以上するとわらわの命もお主の命も危うい!!」
「まだ自分の命が可愛いとでも? 俺もそのうち死ぬ。お前を殺すために犠牲にしてきたからな」
俺は魔王を倒すために命を削った。
手持ちの魔力だけでは足りず、使えるものは何でも使った。
その結果、体がボロボロになり、寿命すらもほとんど使い潰した。
だから、魔王を倒した後の話をたくさんしたんだ。
どう足掻いても、俺が先に死ぬ。
汎人の身で命を削った俺がみんなと同じ時間を歩める訳がない。
「違う! そうじゃない!!」
「じゃあなんだってんだよ」
グググッと引っ張ってくるので押し退けた。
すると、今度は腹に向けてタックルをかましてきた。
「もとより、お主はわらわを殺した時点で、魂なぞ1年も無かった!! それが298年も生きとるんじゃ!」
振り払おうとしてしがみつかれ、
魔法名を唱えようとして、口を手で塞がれた。
「それが今はあと2年ほどの命となっておる! お主の命はわらわの魔力で伸びておるんじゃ!!」
「だからなんだ!?」俺は魔王の首を握る。怯んだのを見逃さず「【清浄の──」
「お主の命は延ばせれる! 汎人に復讐しようとは思わんか!?」
ピタと動きが止まった。
それを好機とし、魔王は杖の矛先を天井へと向ける。
「お主が仲間思いなのは十分わかった! 謝罪をさせてくれ! そして、わらわと手を組めばその仲間と会える! 裏切った者達にも復讐できる! 悪い話じゃないはずじゃ!」
腕に流れていた力が自然と抜けていく。
その腕を振り上げられぬよう魔王は腕を絡ませてきた。
「わらわは魔王じゃ! 不可能はない! それにわらわを死の淵にまで追い詰めたお主が一緒なら敵はおらん! 大陸の統一すら夢じゃないんじゃ!!」
真っ直ぐな瞳でそう言われ、俺は顔を下に傾ける。
魔王の褐色肌が赤色に滲み、目尻には雫が浮かんでいるのが見えた。
長いまつ毛が雫を鬱陶しがるように何度も瞬きをし、その度に奥の瞳が光を宿す。
「どうじゃ、バーバ。わらわと力を……っ」
魔王の柔らかい肌で抱きしめられながら、小さく揺さぶられる。
……復讐。
…………俺はまだ生きれるのか?
「……」
その話が本当なら。
このまま死ぬくらいなら……。
「……わかった」
「! ほんとか!」
「お前の話を受け入れよう」
「ほんとかっ……! ありがとう! ありがとう……っ!」
涙が眼に輝きを与え、幼子のような色を放つ。
懇願。お願い。縋り。もはや祈りのようなソレを前にし、
「ただ、それはお前が元々やろうとしていた事だろう?」
「…………えっ?」
「俺を止めたいがために、あたかも譲歩をして提案をしているように見せかけている」
「そ、そんなことは」
「本来なら数年で体を乗っ取れる予定だったのに計画が狂った。俺の自我があると勝手が効かないものな? だから、自分の目標を俺のしたいことに寄せて話をした。途中で色々理由をつければ、軌道修正なんていくらでもできるし……涙を流せば、馬鹿な汎人は騙せる」
涙を拭ってやりながら、俺は耳元で呟いた。
「生かしてくれてるってことは、この身体が死ねば、お前も死ぬ。そうだろう?」
「…………」
「どうなんだ? 黙ってちゃ分からないぞ?」
「…………そ、れは」
「魔力の供給を止めれば俺は勝手に死んだハズだ。死ねば、おまえが身体を奪えば良い。だが、長生きをさせてる」
顔を覗き込み、目を細めた。
「俺の体を乗っ取れば、汎人と異人種を騙せる。そして、脅威を内側から滅ぼして行き、今度こそ大陸の支配を行う──だが、俺の自我がある。そうだ、復讐心を煽れば──ついでに涙でも流してみるか。体を娼婦のように擦り寄せ、柔い体でも押し付ければ懐柔も簡単だ──な? 魔王」
聖女のように明るかった顔が絶望に歪んでいく。
だから、俺は魔王の代わりに目一杯の笑みを浮かべてやった。
「協力を仰ぐことは別に悪いことじゃねぇよ。だが、思い通りになると思うなよ」
魔王の顎をクイッと上げ、そのまま下顎を掴んだ。
「お前の力を寄越せ、魔王」
「ひゅっ……」
「どうした? 返事は? 受け入れるって言ってんだぞ?」
追い詰められた人間ほど、懐柔しやすい生き物はいない。
それを俺も知っているし、俺以上に魔族は知っている。
「濃密な時間を過ごした仲だろ、俺達」
笑顔の下で胸に魔法杖を当てる。
ゆっくりとソレを目視し、魔王は怯えるように震えた。
その震える頬に手を添えて、薄っすらと目を開ける。
「これからよろしくな、魔王」
「う」
う?
「う、ううううっ……うぇええぇええ”……っ」
泣き出した。
あの魔王が、ぺたんと女の子座りをして、目から大粒の涙を流しながら。
「こわいいぃぃい”い”い”っ”……! うえ”え”え”え”え”え”え”え”っ”!!」
泣き散らす魔王を前に俺は目をパチクリさせた。
すると、ドタドタと足音が聞こえてバタンッと扉が開いた。
「ロイ叔父様! お待たせいたしました! 色々と検査をいたしますね!」
そこには大量の荷物を抱えたガルーが立っていた。
ガルーはそのまま魔王を素通りして、地面に荷物を投げて用意をし始める。
「うえ”え”え”え”え”っ!」
「魔力の再検査を依頼されましたので、まずはその準備を」
「わらわ”っ、あ”んなに、がんばっだのに”っ”……!」
「えーと、まずは鑑定をして……って叔父様、体が焦げあうっ──」
ガルーは俺の手と体を見て、白目を向いて倒れてしまった。
魔王はずっと泣いてるし……。
とりあえず……扉の鍵を締めておくか。