9
図書館から送ってくれたマンフレートにオリバーは翌日また図書館で会うことが出来た。
孤児院の院長に図書館で気分が悪くなって送ってもらったことを伝えるとクッキーを持たせてくれたので直接渡すことが出来た。彼と知り合いらしい受付のお姉さんに渡してもらおうと思っていたのだ。
そうしてオリバーはマンフレートと親しくなった。
マンフレートはオリバーの知識量に大層驚いていた。彼はこのレーベンが故郷らしく、幼馴染の受付のお姉さんにプロポーズしようと一か月休暇を取って故郷に戻ってきたのだった。
その休暇が終わる一週間前、オリバーはマンフレートに誘いを受けた。
「オリバー、君もうすぐ孤児院を出るんだよね?」
「はい、孤児院は十五になったら出なくちゃいけない決まりですから」
「就職先は決まっているの?」
「いえ」
「君ほど優秀な子が?」
「あの、僕は王都に行こうかと思っていて……」
そう、オリバーは孤児院を出て王都に向かおうと思っていた。レーベンはのどかでいい町だが所詮田舎町だ。情報が遅い。そして他国に渡る術がない。オリバーは二十歳になる前にはトシュタイン王国かその南にあるヘーゲル王国に渡りたいと考えていた。ヴェルヴァルム王国はトシュタイン王国と国交を断絶しているがヘーゲル王国はトシュタイン王国と国交をしているらしい。
もう少し知識と力を身に付けて……出来れば魔術や魔道具に関する知識を身に付けたい。それ以外の知識は図書館で本を読むことである程度は身に付いたと思う。けれど魔術に関しては無理だった。
そもそもレーベンには領主様一家しか貴族がいない。つまり魔術を使えるのも領主様一家だけだ。領主様は王都にもお屋敷を持っていてそこには貴族の使用人もいるそうだが領地にはいなかった。
王都には貴族が沢山住んでいるそうだ。それに竜騎士団の本部も王都にある。
竜騎士団とは竜に乗って戦う騎士様だ。オリバーは見たことは無い。遠目に空高く飛んでいる竜を見たことがあるだけだ。ソヴァッツェ山脈の山道で出会ったあの竜にはあれから一度も会うことは無かった。
竜騎士という名前を初めて聞いたときオリバーの心は躍った。竜に乗って戦うことが出来ればトシュタイン王国の奴らをやっつけることが出来るのではないか?でもその希望は直ぐに潰えた。竜騎士は貴族しかなれないそうである。竜に乗ることが出来るのは魔力を持った貴族だけだから。
本当はオリバーも魔力を持っている。でもそのことをずっと隠していた。平民が魔力をもって生まれた場合は貴族の養子になるらしい。大抵は赤ん坊のうちにわかるので発覚した途端に魔術院に引き取られ貴族の養子先を選定されるらしい。その際にいろいろな事を調べられるのだそうだ。
どっちみち今更無理な話である。もうすぐオリバーは十五歳になるのだ。どうして今まで魔力を隠していたんだと徹底的に調べられることになるだろう。
竜騎士になる夢は潰えたがオリバーは魔術関連の知識にもう少し触れたかった。それに王都の商会にでも勤めることが出来れば他国に渡る術があるかもしれない。
「王都かぁ、王都は憧れるよなあ。でも就職先が決まっていないんなら俺の職場で働かないか?」
マンフレートの誘いにオリバーは目をパチクリさせた。
「マンフレートさんの職場……ですか?」
確かマンフレートは彫金師だったはずだ。
「ああ。俺はジョスランにある王立魔道具研究所で働いているんだ。俺の作ったアクセサリーや色々な道具に貴族の研究員が魔術を仕込むんだ。その仕組みは俺にはわかんねえけどな。研究所で雑用をやってくれる下働きを探していたんだ。普通のお屋敷勤めと違って専門用語を覚えたり読み書きも出来なくちゃならないし研究員は変人も多いからな、機転が利く奴が必要なんだ。その分給料もいいと思うぞ、どうだ?」
思ってもみない誘いだった。オリバーは大いに心が揺れた。王都に行っても望む職に就けるとは限らない。いや、就けない可能性の方が高い。なんといっても王立魔道具研究所だ。最新の魔道具に触れることが出来る。魔術の知識も身に付くかもしれない。
「あの……本当に僕の様な者が雇ってもらえるんですか?」
「実はな、もう打診はしてあるんだ。昨日、本人が希望しているなら勤めて欲しいという返事も手紙で届いた。勝手なことをしてごめんな。俺んとこのチーフが研究所の役員に相談されていてオリバーは打ってつけだと思ったから手紙を出していたんだ」
「ありがとう……ございます。あの、嬉しいです!是非お願いします!」
「ああもちろんだ。俺は一週間後にジョスランに帰るけどまた二か月後に来るから一緒に行ける支度をしておいてくれる?」
マンフレートのプロポーズは見事成功して図書館のお姉さんは二か月後にマンフレートのお嫁さんになるそうだ。結婚式に帰ってくるマンフレートと一緒にオリバーは旅立つことになる。
孤児院に帰って院長に報告して喜んでもらったもののオリバーは一つ釘を刺された。
マリアにオリバーからちゃんと説明すること。
オリバーは王都に行きたいという希望をマリアの前では黙っていた。孤児院を出てもほとんどの子はこのレーベンの町か近くの村や町で働いている。だからオリバーもそう遠くないところに就職するのだろうとみんな思っていた。優秀なオリバーの職がなかなか決まらないことに不思議がってはいたが。
「マリア、話がある」
オリバーが声を掛けるとマリアは泣きそうな顔をした。
院長に言われて三日。それとなくマリアに伝えようと何度も試みたのだがタイミングが合わなかった。いや、マリアに避けられていたのだと今の顔で分かった。マリアはオリバーが何を話そうとしているのか察していたのだろう。
孤児院の畑の隅に行って二人は向き合った。
「就職が決まったんだ。ジョスランに二か月後に発つ」
「……ジョスランって?」
「遠いところだよ」
「……手紙……書いてもいい?」
「そうだな、住む処も決まっていないんだ。落ち着いたら知らせるよ」
それは嘘だ。これを機会にオリバーはマリアから離れるつもりだった。オリバーはトシュタイン王国に復讐することを忘れていない。今となってはオリバー一人で大したことなど出来ないのはわかっている。でも死んでいった人たちのために一矢報いたかった。
今はトシュタイン王国の一部になってしまった故郷の地に帰れば力になってくれる人もいるかもしれない。それとも滅びた祖国のことなど忘れて新しい生活を楽しんでいるだろうか?
祖国に関する情報は全く入ってこなかった。オリバーは祖国の人々が幸せに暮らしているならそれはそれでいいと思っている。その時は自分一人でできる復讐を考えるつもりだ。その為に魔道具の知識を身に付けたい。
いずれトシュタイン王国に渡ろうと思っているオリバーは家族を作るつもりがない。だからマリアともここで離れるつもりだった。
マリアがオリバーにとって唯一の家族だったから。もう死にたいとあの谷底で思った時にオリバーを救ってくれたのはマリアだった。そうしてマリアに癒されてきたのだ、今までずっと。
でもこれ以上マリアを縛り付けるわけにはいかなかった。オリバーがいなくなってしまえばマリアは新しい幸せを見つけるだろう。そして大人になって好きな人ができ幸せな家庭を築く……顔もわからない誰かの隣で微笑むマリアを想像して胸の奥の方がツキンと痛んだがオリバーは無視した。
そうして二か月後にオリバーは旅立った。
別れの日、マリアは泣きはらした目で、それでも精一杯口元に笑みを浮かべてオリバーに手作りのお守りを渡した。
この国でポピュラーな竜の絵姿を刺繍したお守りだ。まだ八歳のマリアには竜の刺繍は難しかったらしく傷だらけの指を震わせながらお守りをオリバーに渡した。
「大人になったら……会いに行っていい?」
「うん、いいよ」
オリバーは答えたけれど、マリアが大人になるころには多分オリバーはこの国にいない。
このレーベンの町からジョスランは遠い。住所も教えるつもりもないしオリバーがいなくなって数年経てばマリアはオリバーの事を忘れてしまうだろう。
(でも僕は君のことを忘れない。君は僕の光だった。どうか幸せに……)
あの時拾った赤子はいつの間にか拾った時のオリバーの年齢になっていた。