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 マリアはオリバーの腕の中に泣きながら飛び込んできた。

 それを抱き留めながら院長を見ると院長は困ったようにため息をついてオリバーに事情を説明した。


「こちらの御夫婦はマリアを引き取りたいと申し出てくださっているの」


 その言葉を聞いてオリバーは頭をこん棒で殴られたような衝撃を受けた。

 赤ん坊のマリアを拾ってからずっと一緒だった。世界で一人きりになったような寂しさから救ってくれたのはマリアだった。オリバーは自分が思っているよりずっとずっとマリアの存在に依存していたことに気が付いたのだ。


「こちらの御夫婦は二つ向こうの町で家具を作る工場を営んでおられるの。三年前病で娘さんを無くされてマリアを娘として引き取りたいとこちらに見えられたのよ」


 夫婦の身なりは立派だった。何人も職人を抱える工場を経営しているらしい。十二になる息子がいるそうだが遅く生まれて溺愛していた娘を失ってどうにも寂しく、いい子がいたら引き取りたいと孤児院を回っていたらしい。この孤児院にも先日視察に来たそうだ。


 孤児は十五になると孤児院を出る。大抵は農家や工場に働きにでたり女の子はお針子や大きなお屋敷の下級メイド、男の子なら人足や商家の下働きになったりする。

 ごく偶に養子として引き取られることがあるが、無償労働の人材として使い潰されることが無いように引き取りたいと申し出る人物には調査が入る。

 つまり目の前の夫婦はちゃんとマリアを娘として迎え入れてくれるということだ。マリアにとっては凄く幸運な申し出である。マリアは輝く金髪と青空の瞳を持ったとても愛らしい容姿をしている。五歳にして読み書きも出来る。養女にしたいという人物が現れてもおかしくなかったのだ。


「いや!ぜったいにいかない!」


 泣いてオリバーに縋りつくマリアの前にしゃがんで目線を合わせオリバーは言った。心臓に刃を突き立てられるように胸が痛んだがマリアの幸せのためだと封じ込めた。


「マリア、どうして嫌なの?これから幸せになれるのに。こちらの方たちを見て?とっても優しそうだよ」


「だって!オリバーとはなれちゃう!」


「それは……しょうがない事だよ。大丈夫、優しいお父さんとお母さんが君を可愛がってくれるよ。僕の事なんかすぐ忘れる」


「わすれない!おとうさんもおかあさんもいらない!オリバーがいいの!」


「マリア……お兄さんもいるんだって。きっと僕の代わりに―――」


「おにいさんなんかいらない!おにいさんじゃない!オリバーがいいの!」


 マリアは首を振って泣きじゃくる。オリバーは困ってしまった。困ってしまったけど心の底では嬉しかった。世界で一人きりでもマリアだけは僕のことを一番に思ってくれている。マリアがいる限り僕は一人じゃない。そんなことを思ってしまう自分のことを嫌悪した。


「すみませんアーバルドさん、マリアは一緒に孤児院に来たオリバーのことを兄と慕っておりまして離れたくないのですわ」


 院長の言葉にマリアが反論した。


「ちがう!いんちょうせんせ、オリバーはおにいさんじゃなくてみらいのだんなさまなの!」


「まあ、マリアちゃんはオリバー君のことが好きなのね?それじゃあお家に来てもっといろいろな事をお勉強して大人になったらオリバー君に会いに来たらいいんじゃないかしら?」


 アーバルドさんと呼ばれた夫妻の夫人の方が優しくマリアに問いかけた。

 それでもマリアは首を振る。


「だめよ。マリアはオリバーとずっといっしょにいるの。オリバーのおよめさんになるの。オリバーはもてるの。ビアンカもクリスタもオリバーのおよめさんになりたいっていってたもん。ゆ?ゆだん?できないの」


 マリアは必死で言い募るが大人たちはそれをほほえましく受け止めた。今は一緒に育ってきたオリバーのことを好きだと言っているが時が経ち大人になれば忘れるだろう。


 わかってくれない大人たちに焦れてマリアは部屋を飛び出した。


「あっ!マリア!」


 マリアは事務室に飛び込むと鋏を手に取った。


「「マリア!!」」


「マリアちゃん!」


 追いかけてきた大人たちに向かって「こないで!」と叫ぶとマリアは自分の髪の毛をバサッと鋏で切った。


 バサッバサッと鋏で髪を切っていく。肩の下まで会ったマリアの美しい金髪が無残に床に散らばっていく。


「やめろ!やめてくれマリア!」


 オリバーはマリアに駆け寄り鋏を取り上げ抱きしめた。


「マリアやめてくれ……僕がマリアを離さないから。どこへも連れて行かせないから」


「うん、オリバーはマリアがいなくちゃだめなの。オリバーはマリアがまもるんだもん」


 マリアは幼い腕をオリバーに回してしがみつく。その時はマリアの言葉の意味に気が付かなかった。



 結局マリアの養女の話は流れた。あんなに慕っているオリバー君と引き離しては私たちがマリアちゃんから恨まれるでしょうとアーバルド夫妻は寂し気に笑って帰って行った。






 それから二年、オリバーは十四歳、マリアは七歳になっていた。


 この二年の間に数度マリアに養子縁組の話が持ち上がったがその全てをマリアは拒否した。なんとオリバーにも一度養子縁組の話があった。オリバーの優秀さを見込んだ養子縁組だった。オリバーはもちろん断った。オリバーは大人になって力を蓄えたらこの国を離れるつもりだ。だから家族を持つつもりは無かった。



 ある日オリバーは図書館で衝撃を受けた。

 図書館の受付近くで役人風の男たちが話しているのを漏れ聞いてしまったのだ。


「聞いたか?トシュタイン王国の国王が代わったらしいな」


「ああ、アッポンディオとか言う第三王子が国王になったらしい」


「第三王子?第一王子じゃないのか?」


「なんでもリードヴァルム王国って国を攻め亡ぼして領土を広げた功績を評価されたらしい」


 頭にカッと血が上った。あの男!父上と母上を殺した狡猾そうな眼付きの黒髪の男だ!()()?父上と母上を、リードヴァルム王国の数多の人たちを蹂躙し殺すことが()()と称えられるのか!ふざけるな!!


 目の前が真っ白になってオリバーはふらふらと床に座り込んだ。久しぶりに暴走しかけた魔力を抑えることで精一杯だった。


「オリバー君!顔が真っ青よ、大丈夫?」


 毎日通ったことで顔なじみになった図書館のお姉さんが心配して駆け寄ってきてくれた。


「だ……いじょうぶ……です」


「ううん、大丈夫じゃないわ。どうしよう……私は受付があるし……」


「僕が付き添って送って行ってあげようか?」


 声を掛けてくれたのは初対面の人だ。


「あら、マンフレート帰ってたの?」


「ああ休暇中なんだ。だから暇ってわけ。おい、少年立てるか?」


 初対面の男の人は受付のお姉さんと知り合いらしかった。




 マンフレートは近くの公園のベンチでオリバーを休ませると果実水を買ってきてくれた。

 その甘さが身に染みわたり少し落ち着く。


「ありがとうございます。もう大丈夫です」


「少年無理すんな。こういう時は大人に甘えていいぞ。さあ立てるのなら送って行こう」



 


 オリバーは孤児院までマンフレートに送ってもらって彼と別れた。オリバーが孤児だと知って少し驚いたようだった。


 孤児院に着くとオリバーは食事もとらずにこっそりと庭の隅にある物置小屋に向かった。

 オリバーの部屋は三人部屋で一人にはなれないからである。今は誰とも顔を合わせたくなかった。

 物置小屋の雑多な道具に囲まれながら膝を抱えて蹲る。膝に顔を埋めるとこらえきれない嗚咽が漏れだした。近頃はあの夢もたまにしか見なくなっていた。久しぶりにまざまざと当時のことを思い出した。父上と母上に突き立った剣、粉塵と血の臭い、人々の悲鳴、アレンス子爵が屋敷の裏門から微笑んで見送っていたこと、敵に剣を振りかざして突っ込んでいくクルトとドミニク。谷底に落ちるイヴァンの乗った馬車、そして橋から身を投げるアリーナ。

 ああ、みんなの犠牲の上に僕は今ここでのうのうと生きている。みんなの犠牲を忘れて日常のささいなことに笑ったり楽しんだりしている……そんな資格なんて無いのに。早く、早くみんなの無念を晴らさなくちゃいけないのに。




 背中がほんわりと温かくなった。


 誰かがこの物置小屋に入って来てオリバーと背中合わせに座ったのだ。

 その誰かは一言もオリバーに話しかけず、ただ背中合わせに座っているだけだった。ただずっと……



 夕暮れが迫って来て物置小屋に漏れ入る陽の光がだいぶ翳ってきたころオリバーは膝から顔を上げた。

 小さな窓しかない物置小屋はかなり暗い。立ち上がり後ろの小さなぬくもりの主を確かめようとすると。オリバーというささえを失って後ろの人がコロンと転がった。


「マリア……」


「ん……んう……オリバー、もう大丈夫?」


 眼を擦りながらマリアが立ち上がる。


「寝ていたの?」


「ね、寝てなんかいないわ。ここで休憩、ちょっと休憩してただけよ」


 顔を真っ赤にしてそんなことを言うマリアが可愛くてオリバーはマリアの頭をポンポンと叩いた。


「オリバーもう寒くない?」


「寒く?」


「うん、オリバーが寒い時はいつでも私が温めてあげるね」


 そうだ……背中から伝わるじんわりしたぬくもりにオリバーは救われたのだった。

 








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