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火を囲みながらダンガスはぽつぽつと話をした。
彼は元々リッケルト男爵領というところで猟師をしていたらしい。そこはここよりもっと北の方で自然は厳しいが奥さんと三歳になる男の子がいたそうだ。
しかし二年前奥さんと子供を流行り病で亡くしてダンガスは荒れた。心配してくれる周りの人たちと喧嘩してダンガスは故郷を捨てた。各地を渡り歩いて根無し草の生活をしているらしい。
本当はこの山は勝手に入ってはいけない場所なんだそうだ。ソヴァッツェ山脈の一部であるこの山は隣国トシュタインに通じる山道にほど近いので山に入れるような場所には簡単な柵が設けられているそうだ。
「でもな、この山には貴重なキノコが生えている場所があるんだ」
「キノコ?」
「おう。物凄く貴重なキノコで王都では金貨で取引されるんだと。俺はひょんなことからその情報を仕入れてこの山に入ったんだ。そりゃあいけないことだし捕まるかもしんねえけど俺には失うもんなんて何にもねえからよ、貴重なキノコとやらを沢山採って金を儲けたら女房と子供の墓にちょっといいものでも供えてやろうかと思ってよ」
苦笑いをしながらダンガスは続ける。きっと彼は故郷に帰りたいのだ。でも帰り辛いからお金を儲けて帰ろうとしている。
「ここから下ったところにあるブライセル侯爵領ってところは結構ひでえところだろう?」
ダンガスの問いかけに曖昧に頷く。ブライセル侯爵領どころかヴェルヴァルム王国のことさえ何も知らない。
「坊主が生まれる前だから知らないだろうが前の領主様はいい人だったらしいぞ?今の領主様に代わって税がかなり上がったらしい。この辺りの人たちは食うに困ってこっそりこの山に入って狩りをしたりキノコや山菜取りをしているらしいな。それで俺も来たんだけどよ、子供まで捨てるほど困っているとは知らなかった」
それに関しては何も言えなかった。オリヴェルトは捨て子ではない。でもこの赤ん坊は捨て子だろうからやはり生活に困って子供を捨てた者がいるのだろう。
「国は……王様は何にもしてくれないのですか?」
「さあな、俺には王様なんて雲の上の人のことはわかんねえな。それより坊主はこれからどうするんだ?」
そう聞かれてオリヴェルトは困った。どうしたらいいんだろう?
「親のところに戻りたいか?」
そう聞かれて首を振る。そもそもそんな親は存在しない。
「んーー、俺は根無し草だからお前らを育てることは出来ねえ。孤児院に入るのが一番いいと思うけどここの領は駄目だ」
ダンガスは暫く考えた後で言った。
「ここの隣のペーレント伯領まで連れて行ってやるよ。そこで孤児院を探すんだな」
「え!?そんなことまでしていただ……もらっていいんですか?食事までいただ……食べさせてもらったのに」
「まあ乗り掛かった舟だ。お前らが死んじまうようなことがあったら俺も寝ざめが悪いからよ。俺もちょっとは悪いことをしてきたしお前らを助けたら天国に行った後女房に叱られないかもしれないからさ」
悪いことをしてきたと言うけれどダンガスさんは絶対に人がいいだろう、とオリヴェルトは思った。彼の人の好さは故郷の人々に似ている。平和で暢気で人が良かった故郷の人々を想いまた涙が滲みそうになって慌ててオリヴェルトは四本目の肉を頬張った。
オリヴェルトはペーレント伯領まで連れてきてもらってダンガスと別れた。
「坊主、辛いこともいっぱいあるかもしれねえけど頑張りな」
「うん、ダンガスさんも」
「おう、坊主に言われた通りもう一遍故郷に帰ってみるわ。女房と倅が墓の中で寂しがっているかもしれねえ」
「故郷の人達にちゃんと謝ってね。ダンガスさんのことを心配してくれたんでしょう。その人たちもダンガスさんにとってかけがえのない人達だよ」
「わかったよ。これ、少ねえけどとっとけ」
ダンガスはオリヴェルトの頭をくしゃくしゃにかき回し、袋に入った銅貨を渡すと去って行った。
それから赤ん坊を背負ったオリヴェルトは旅を続けた。
結局ペーレント伯領の孤児院は訪ねなかった。無意識ではあるがソヴァッツェ山脈に近い場所を嫌ったのかもしれない。
そうしてオリヴェルトは西に向かいレーベンという町にたどり着いた。ロットナー伯爵領の領都でなかなか活気のある町だった。
レーベンにたどり着くまでに沢山の人たちにお世話になった。赤子を背負った子供のオリヴェルトに人々は同情を寄せた。可哀そうな者に同情を寄せることが出来るのはこの国が豊かであることの証だった。ダンガスはブライセル侯爵領は生活が厳しいと言っていたがオリヴェルトが通ってきた町や村は一つとしてそんなことは無かった。人々は概ね安定した生活を送っており治安も良かった。もちろん悪い人もいるだろうし物騒な目に合う人もいるだろう。幸運なことにオリヴェルトはあまり危ない目にも合わず農家のおばさんに食べ物を分けてもらったり赤ん坊に貰い乳をしながら旅をすることが出来た。隣町まで行く荷馬車に乗せてもらったことも何度かある。
旅をしながらオリヴェルトはいろいろな事を学んだ。
一番最初は赤ん坊の性別が女の子だったことだ。
ダンガスと麓の町に出たときに赤ん坊がむずがって泣いた。それを通りがかった農家のおかみさんが見て「おむつが濡れているんじゃないかい?」と教えてくれた。
まごまごしているダンガスとオリヴェルトを見ておかみさんは笑いながら自分の家に連れて行ってくれた。替えのおむつがないとわかると隣の赤ん坊を産んだばかりのお嫁さんに声を掛けてくれおむつを替え赤ん坊に乳も飲ませてくれた。赤ん坊が女の子だとわかるとオリヴェルトは真っ赤になってそっぽを向いた。
「あれまあ、この子の肌着は上等な布だねえ」
おかみさんの言う通り赤ん坊は粗末な衣服を着ていたが肌着だけは上質な布だった。
「ここに何か書いてあるね」
肌着の端に縫い取りがある。
「マリ……ア」
「坊主、字が読めるのか?」
「あっ!いえ、この子の名前……マリアがいいかなって」
肌着の縫い取りはマリアと読めた。その後にもう少し続いていたようだが擦り切れて読めなかった。
「マリアか。うん、いい名じゃねえか」
ダンガスは「おい、マリア坊」と呼んで赤ん坊の頬をつつく。赤ん坊はおむつを替えてもらいお乳も飲んで上機嫌になりキャッキャと笑っていた。
それからこの国ヴェルヴァルム王国の事。
宰相のデーニッツはこの国は魔術を教える学校があり人々は竜に乗って移動していると言っていたがそんなことは無かった。
いや、まったく嘘というわけではない。魔術の学校に通えて竜に乗ることが出来るのは貴族だけらしい。そもそも魔力を持っているのは貴族だけなのだとか。
それを聞いてオリヴェルトは魔力があることを隠すことに決めた。貴族にしか無い魔力をオリヴェルトが持っていたら身元を探られるに違いない。もしかしたらオリヴェルトがリードヴァルム王国の王太子だと知って救いの手を差し伸べてくれるかもしれない。でもそうでない可能性の方がずっと高かった。
国交などまるで無かった国の王太子なんて厄介な存在に決まっている。恐ろしいのは面倒を恐れてトシュタイン王国に身柄を引き渡されてしまうことだ。この国の王様がどんな考えを持っているかなんてオリヴェルトは知る術がない。だから魔力を隠して平民として生きていくことに決めた。
大人になるまで。両親の、大事な人たちの仇を討てるくらい力をつけるまで。
マリアを背負ったオリヴェルトはレーベンの孤児院を訊ねた。
オリヴェルトは「マリアの両親と自分の両親は共に行商をしながら各地を転々としていたが盗賊に襲われて命を落とした。自分はマリアを抱いて必死に逃げてここにたどり着いた」と孤児院の職員に作り話をした。旅をしながら必死に考えた作り話だ。職員がオリヴェルトの話を信じたかどうかはわからない。
それでも二人は孤児院に迎え入れられた。これから先は孤児のオリバーとして生きていく。
大人になるまでにできる限りの力をつけよう。そしていつかきっと……