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オリヴェルト達はトシュタイン王国北部の平原を旅していた。
アレンス子爵の屋敷を出てから数度戦闘を繰り返し付き添っていた騎士は今やイヴァンを含め三名に減っていた。イヴァン、クルト、ドミニク、乳母のアリーナ、そしてオリヴェルトが一行の全てである。
現在は幌付きの荷馬車に乗り御者台にはイヴァンとクルトが座っている。皆行商の商人のような出で立ちだ。このまま西に進めばあと一~二日でソヴァッツェ山脈の麓にたどり着く予定だった。
ソヴァッツェ山脈とはトシュタイン王国とヴェルヴァルム王国の間に跨る山脈で標高が高く険しい難攻不落と言われている山脈だ。
昼食と休憩を兼ねて小さな町で馬車を停める。アレンス子爵邸を出た最初の馬車に食料や衣類だけでなく子爵は貴金属や金貨なども乗せておいてくれた。
「いいんですよ、屋敷に置いていてもトシュタイン王国の奴らに取られるだけなんですから」
アリーナはそう微笑んだ。オリヴェルトは深く頭を下げた。アレンス子爵を始め伯爵家や侯爵家など数家がトシュタイン王国の軍勢に抵抗しその全ての当主が打ち取られたと風の噂で聞いた。残りの貴族家は降伏したようである。トシュタイン王国も全ての貴族を亡ぼすわけにはいかない。いずれ残った貴族の中でトシュタイン王国に恭順の意を示し他の貴族に睨みを利かせられそうな者をトシュタイン王国の貴族として取り立ててリードヴァルムの地を治めさせていくのだろう。
「アリーナ……アレンス子爵邸は……私が……私がアレンス子爵邸を頼らなければ生きて……」
「殿下、私たち夫婦は幸せ者ですよ。私たちは殿下に頼ってもらえて嬉しかったのです」
「しかし……」
「今リードヴァルム王国に残っている者はトシュタイン王国に恭順の意を示しました。でも本当にトシュタイン王国の人間になりたいと思っている人なんか一人もいませんよ。それは断言できます」
そう言ってアリーナは頭を深く下げたオリヴェルトを優しく抱きしめる。
「リードヴァルム王国に残っている誰でも殿下が頼って下されば同じ行動をとったと思います。彼らは殿下のお役に立てた私たち夫婦をうらやんでいるでしょう」
「私には!私にはそんな価値など!」
「あるんです。殿下は私たちの光です。竜神様を信仰する私たちにとってリードヴァルム王家は神です。でも国王陛下も王妃様もそれはそれはお優しい方でリードヴァルム王国は幸せに溢れておりました。小さな国でしたけれど作物は豊かに実り治安も良く私たち貴族だけでなく領地の平民たちもいつも国王陛下に感謝していました。あの地は一旦はトシュタイン王国のものになるでしょう。でも皆の心の奥底にはいつかまたリードヴァルム王国が再建されるという希望があるのです。その時に殿下の力になるべく今はトシュタイン王国に恭順の意を示しているだけなのですよ」
「でん……オリバー、アリーナ、昼食を買ってきたぞ」
馬車の外からイヴァンの声が聞こえアリーナとオリヴェルトは外に出た。
オリヴェルトはオリバーと名乗りイヴァンとアリーナの夫婦の子供ということになっている。クルトとドミニクを加え荷馬車の近くの芝生に腰を下ろしイヴァンが買ってきた肉や野菜を甘辛く炒めた物を固いパンに挟んだものを頬張る。水筒の水で喉を潤しながらイヴァンがみんなに言った。
「やはりあと二日ほどこの街道を進めばソヴァッツェ山脈の麓に着くらしい」
「いよいよ山越えですね。あともう少しだ」
クルトが勢い込んで言う。
「ソヴァッツェ山脈を越えてヴェルヴァルム王国に続くルートは二つ。ここから西に二日ほど行ったところと南のトシュタイン王国の王都からほど近いところにあります。南は王都に近いだけあって警戒も強いでしょう。北のルートは比較的警備も緩いようです」
「そのルート以外にソヴァッツェ山脈を越えることはできないんですか?」
ドミニクが聞くとイヴァンが頷いた。
「ああ、ソヴァッツェ山脈は標高が高く険しい山脈が続いている。未だ超えられたものはいないそうだ。二つのルートは標高が低い場所を切り開き整備したものでそこでさえルートを外れると切り立った崖があったりとても登れないようなゴロゴロした岩山があったりして進むことは困難だそうだ。それに広大なソヴァッツェ山脈で迷うことは間違いないな」
「というとやはり北の街道を通ってヴェルヴァルム王国に行くしかないということですね」
「ああ。街道の入り口は一応封鎖されている」
「一応?」
「詰め所があり常時数名の兵士が詰めているらしい。と言ってもそんなに厳格に守られているわけではないんだ。ソヴァッツェ山脈は山菜やキノコの宝庫らしくてな、近隣の者たちはよく山菜取りやキノコ採りに山に入っているらしい。入るのは山の麓に近い部分に限られているが」
「それでは俺たちは山菜取りの平民だと見せかければいいわけですね」
クルトの言葉にイヴァンは頷くが難しい顔をしている。
「そうだな。しかしこの荷馬車をどう言い繕うかが問題だ。山菜取りの人たちは徒歩で入山しているからな」
「じゃあ俺たちも徒歩で―――」
「馬鹿だなドミニク、馬車無しでどうやって山越えするんだ?」
クルトが言うとドミニクもあっ!というような顔をした。
上手い言い訳も考えつかずオリヴェルト達は二日後ヴェルヴァルム王国に続く北の街道の入り口までやってきていた。
「俺が交渉してみる。袖の下を握らせれば通してくれるかもしれん」
イヴァンはクルトを伴って詰め所に向かった。
「あの、すみません」
「ん?なんだ?見かけない顔だな」
「私どもは旅の行商をしておりましてこの山が山菜の宝庫だと聞きました。入山させていただきたいのですが」
「ああ、そうらしいな。俺もたまに貰うが美味いぞ。しかし山菜というのは地元の人間が知っている場所にしか生えないと聞いた。お前らのような新参者が探しても無理なんじゃないか?それに地元の人間が採りに行く場所を荒らされても困る」
「いえ、地元の方々の邪魔をするつもりはありません。それで我々はあの荷馬車で少々山の深くまで分け入ろうと思っているのですが」
「あ゛!?駄目だ駄目だ!馬車なんか通すわけないだろう!」
応対していた兵士と別の兵士が出てきて居丈高に言う。
「あの!ほんの少しですがこれを」
すかさずイヴァンが紙に包んだ一目でお金とわかるようなものを差し出すと最初に応対に出た兵士が目に見えて相好を崩した。
「おい、いいじゃねえか荷馬車の一台くらい」
後から出て来た兵士は暫く考え込んで「荷馬車の中を検める」と外に向かった。
「この者たちは?」
兵士は鋭い眼をアリーナとオリヴェルトに向ける。
「私の女房と倅でございます。一家で旅をしながら行商をしておりますので」
イヴァンが急いで言う。
「ふうん、だが山に女子供を連れて行く必要もないだろう。この者たちは宿にでも置いていけばよいのではないか?」
「い、いえいえ!私の女房は山菜を見つける名人なのです。倅も商売を覚えるためにいつも連れて行っています。お役人様、もし山菜が十分採れましたらもう少しお礼を差し上げられますが」
イヴァンが焦って言うと最初に応対した兵士が「おい、いいだろう?女子供連れで何ができるって言うんだ?もうちょっとお礼をくれるって言うんだから」と仲間の説得に回ってくれる。
「……そうだな」
兵士の言葉を聞いてイヴァンたちがホッと息を吐きかけた時兵士が首を傾げた。
「……ちょっと待て、つい最近王宮から手配書が回ってこなかったか?七~八歳の子供と中年の女、数名の兵士……ちょっと確かめてくる」
詰め所に戻ろうとする兵士を咄嗟にクルトが隠し持っていたナイフで刺した。
「ぐあっ!!な……何を……」
「ひ、ひやぁぁぁ」
もう一人の兵士は悲鳴を上げながら詰め所に走って行く。
「隊長!調べられては厄介です!おい、ドミニク!」
「おうよ!!」
二人は荷馬車に隠してあった剣を抜き放った。
「隊長お元気で!殿下を必ずお守りください!」
「俺らはここでお別れですけど一緒に旅が出来て楽しかったっす!」
「いや待て」
「早く行ってください!追手がかかる前に!」
そう言うと二人は詰所からわらわらと出てくる兵士たちに向かって剣を振りかざし向かっていく。
イヴァンは一瞬ためらった後すぐさま御者台に飛び乗り馬車を走らせた。
「殿下、アリーナ夫人、飛ばすからしっかり掴まっていてください!」
「イヴァン!!彼らを置いていくのか!」
オリヴェルトの悲鳴は宙に消えた。オリヴェルトもわかっていた。今ここで自分たちが残ってもどうしようもないことを。そればかりかクルトやドミニクの献身を踏みにじってしまうことを。
「クルト……ドミニク……どうか、どうか生き残ってくれ!」
必死に祈る事しかオリヴェルトには出来なかった。