25
最終話です。
居酒屋に落ち着いてオリバーはあれからのことをドミニクに語った。
「そうですか……隊長とアリーナさんは……でも殿下……じゃなかったオリバーが無事で良かったっすよ。オリバーがちゃんと成長してこの国で立派に生きていることを隊長もアリーナさんも喜んでいるんじゃないっすか」
そうだろうか?僕はみんなの犠牲の上に生きながらえてそのくせマリアとの幸せを選んだ臆病者だ。
「……ドミニクは」
「俺は……俺とクルトはあん時トシュタイン王国の奴らに切りかかって……それでもあの場にいた奴らは倒したんすよ。でもすぐに追手がかかって俺らは捕まった。トシュタイン王国の王都に護送されることになって……罪人を護送する馬車に入れられて俺たちは王都に向かった。俺は左腕を切り落とされてクルトは脇腹と左足に深手を負っていた。止血と最低限の手当てはされたけどいつ死んでもおかしくなかった。護送される途中にクルトが言ったんですよ、逃げ出そうって。あいつは自分がもうもたないことをわかっていた。だから俺だけでも逃がしたかったんでしょう。あいつは俺に言った。『生きて、生きて、生き抜け!この世界のどこかで幸せを掴め。俺の分も幸せになれ』……あいつを一人残していくのは嫌だった。でもあいつが死にかけていることもわかっていた。あいつは結局おとりになって俺を逃がしてくれた。……それからは必死に生きました。野垂れ死にそうになったことも何度かあったけどそのうち俺はヘーゲル王国にたどり着いた。そうして今こうやって生きているんです」
ドミニクはへへっと笑った。
「ドミニクは今幸せなのか?」
「幸せですよ。俺はヘーゲル王国の商会の船乗りをしているんです。海を渡るような船はわかりませんがメリコン川を渡る船なら俺みたいに片腕が無くても出来る仕事はあるんですよ。それに片腕でも剣の腕はそこいらの奴には負けませんからね。それにねえ……女房と子供もいるんです」
その言葉はオリバーにとって一番嬉しい言葉だった。
「こんな俺でもいいって言ってくれた女がいましてね、そいつと所帯を持って子供が二人、いや腹の中にもう一人いるんです。俺は女房と子供を守って一生幸せに生きていく。そうすればクルトの奴も幸せになるんじゃないかと思ってるんです」
「そうか……良かった。ドミニクが幸せで本当に良かった」
オリバーは嬉しかった。嬉しかったし衝撃を受けていた。
幸せになる事が犠牲になった者が報われること……ドミニクはそう言ったのだ。
そうして二年前マリアが言ったことが蘇った。
「犠牲になるのは残された人たちに幸せになって欲しいからだわ。犠牲になったのに、いいえ、せっかく大切な人たちを守ったのにその大切な人が苦しんだりましてや復讐をして死刑になったりしたら守った甲斐がないじゃない。私は大切な人たちが幸せに暮らして、そうして時々は私のことを思い出して笑顔で思い出話をしてもらいたいわ」
イヴァンやアリーナが最後に言った言葉も
「殿下は俺たちの光だ。でも殿下が復讐に燃えて苦しむのは違うんじゃないかと。俺たちの無念を全て殿下に押し付けるのは違うんじゃないかと。俺は殿下が好きだ。国王陛下も王妃様も好きだった。だから助ける。せっかく助けるのだから幸せになって欲しいだろう?」
「国王陛下や王妃様はとてもお優しい方でした。きっと殿下が復讐に燃えて苦しい人生を歩むよりも心穏やかに幸せな人生を送ることを望んでいらっしゃるでしょう」
「彼らに報いるには幸せになる事ですよ。あなた様は竜神様の血をひく竜神様の生まれ変わり。私たちは世界のどこかで殿下が幸せに暮らしているとそれだけを信じていられたらそれでいいんです」
そうだ、二年前も衝撃を受けたんだ。そして復讐をすることが死んでいった者に報いることなのか疑問を持った。それなのに僕はまたいつの間にか復讐をしなければいけないと、死んでいった者たちに責められると思い込んでいた。自分の中の罪悪感や生かしてもらったことへの引け目を死んでいった人たちに転嫁して彼らに責められるから早く復讐しなければと思い込んでいた。
結局マリアを捨てられなくて、マリアと暮らす幸せを手放したくなくて僕は復讐を諦めた。諦めたくせに罪悪感の虜になっていた。
「でん……オリバーは結婚は?」
「半年ほど前にしたよ」
「そうですか!そりゃあ良かった!王様も王妃様も喜んでいますね、きっと!」
ドミニクは手放しで喜んでくれた。そして父上も母上も喜んでいるという。幼い頃、父上と母上は僕をとても可愛がってくれた。愛する人を得てリードヴァルム王国の民を守って幸せに生きていって欲しいと言っていた。そうか、父上と母上は喜んでくれるのか。オリバーは胸の内が暖かいもので満たされるのを感じていた。
「お元気で」と名残惜しい思いを残しつつドミニクと別れ帰宅したオリバーはその夜夢を見た。
いつもと同じ懐かしい人達が出てくる夢。もういない人たちの夢。
いつもと違うのはその人たちが一向にオリバーを責め立てず微笑んでいたことだ。
「オリヴェルト、ようやくあなたに会えたわ。ずっと心配していたの」
母上が微笑む。
「大きくなったなオリヴェルト。お前も家庭を持つ歳になったんだな。一家の主として家族を守っていくんだぞ」
父上が僕の肩に手を置く。
「父上、僕は復讐を諦めてしまいました。僕はリードヴァルム王国の王太子だったのに父上と母上の無念を晴らすことなく……」
僕は頭を低く垂れる。そんな僕の顔を上げさせて父上は言った。
「リードヴァルム王国という国はもう無いのだよ。国を滅ぼしたというのなら平和の上に胡坐をかいていた私が責めを負うべきだろう。私はただ君が幸せになって欲しい。幸せに暮らして私や妃が生きていた証を、この血を未来につないでいって欲しい」
「……それでいいんでしょうか、あの憎きトシュタイン王国の奴らがまだこの世にのさばっているというのに」
「いいのよ、オリヴェルト」
母上が僕の頭を撫でる。僕は母よりもうこんなに背が高いのに。
「そうね、この先の未来、あなたやあなたの子供がトシュタイン王国を亡ぼすかもしれない、滅ぼさないかもしれない。でもあなたが戦うのは大事な人たちを守るためよ。トシュタイン王国の者たちだけでなくあなたの大事な人たちを傷つける者がいたらその時は大事な人たちを守るために戦いなさい」
「大事な人……妻ですか?」
「そうよ、彼女はあなたにとって一番大事な人。だけど彼女だけじゃなくこれから生まれてくる子供やあなたを慕ってくれる人、あなたを助けてくれた人、あなたが好きな、あなたを生かしてくれるみんなを守るためなら戦いなさい。死者の為ではないわ。復讐は何も生まないの」
「母上……」
「王妃様の言う通りですよ、だから俺は殿下を守り切ることが出来て満足しているんです」
割り込んできた声に驚いて顔を上げるとイヴァンが微笑んでいた。その後ろでアリーナも微笑んでいる。
「殿下、早く私にお子様を見せてくださいな。殿下のお子様は私が面倒みると申したでしょう」
アリーナが言うと母上が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あら、それはもうすぐ叶うんじゃないの?だってほら……」
「まあまあ本当でございますねえ」
え?それはどういう意味———
オリバーは起き上がった。
辺りはまだ暗い。傍らでマリアがスースーと安らかな寝息を立てている。
オリバーはそっとその身体を抱きしめた。
———ああ、僕は幸せだ。
それから二日後、オリバーは子供が出来たとマリアに告げられることになる。
五年の月日が流れた。
オリバーとマリアの子供、ヴィヴィは今日も元気だ。
回らない舌で良くお喋りをし、トテトテと近所のちょっと大きな子供たちの後をついて走り回る。
生まれてすぐにオリバーが苦労したのはヴィヴィの魔力を抑えることだった。ヴィヴィはオリバー譲りなのかかなり大きな魔力を持っていた。
産後の肥立ちが悪くマリアは一か月ほどベッドから離れられなかった。そのおかげでと言ってはおかしいがオリバーはヴィヴィの育児にてんやわんやしながらもヴィヴィの魔力に気づかれることなく魔力を封印する魔道具をヴィヴィに付けさせることが出来た。
リードヴァルム王国には封印の魔道具など無かったのでオリバーは幼い頃の魔力暴走には苦労した。
しかしこのヴェルヴァルム王国には封印の魔道具がある。これは貴族の犯罪者に付けられるものでごつい手枷なのだが、魔道具研究所でその改良に携わったことがあったのだ。その知識をフル活用してカチューシャ型の封印の魔道具を作り上げた。
そこから改良を重ね、現在ヴィヴィは可愛らしいちょうちょを模した髪飾り型の封印の魔道具をつけている。マリアは産後の肥立ちこそ悪かったもののその後は順調に回復し、元気いっぱいに子育てを楽しんでいる。
「ただいま」
「おとうさん!おかえりなさい!」
仕事から帰るとヴィヴィが飛びついてくる。
それを抱き上げキスを落とし、腕に抱いたままマリアとキスを交わす。
「オリバー、お腹空いたでしょう?すぐご飯にするわね」
一家で夕食をとっている時に激しいノックの音が響いた。
「アルバおばさん!どうしたの?」
飛び込んできたのは近所に住むアルバおばさんだ。
「大変だよ!!トシュタイン王国の奴らが攻め込んできたんだって!!」
オリバーは椅子を蹴立てて立ち上がった。
「どういうことだ!?」
ヴィヴィが怯えた顔を見せた。マリアがヴィヴィを抱き上げ慰める。
トシュタイン王国は過去に何度もヴェルヴァルム王国に攻め込んできている。しかしそれはソヴァッツェ山脈の山道を通って攻めてきたのだ。オリバー達が通ったあの山道だ。
このフェルザー伯領は隣国との境目にあるがその隣国はヘーゲル王国でヘーゲル王国を通らなければトシュタイン王国が攻めてくることなど出来ない。
「おい、一人で先に行くな!」
アルバおばさんを追いかけておばさんの夫のヤムスさんもやって来た。
「トシュタインの奴らが攻めて来たって本当ですか?」
オリバーが聞くとヤムスさんは難しい顔をして頷いた。
「メリコン川は兵士の乗った小舟で埋め尽くされているそうだ。一早く川を渡った兵士たちはフェルザー伯爵が抱える兵士たちと戦闘状態になっていると聞いた。サルバレーの人たちはこっちに逃げてきているようだ」
マリアがぎゅっとヴィヴィを抱きしめる。
「竜騎士団は?」
「まだらしいが、もうすぐ到着するだろう。竜騎士団が来ればトシュタインの奴らなんか一網打尽だ!」
ヤムスさんは怯えた表情のマリアとヴィヴィに笑いかけ「家の外に出ない方がいい」と言ってアルバおばさんと帰って行った。
「オリバー、大丈夫だと思う?」
マリアが震える声で聞く。
「ああ、竜騎士団が来さえすればトシュタインの奴らなんかすぐにやっつけてくれるよ」
安心させるようにオリバーは微笑んだが、本当は心配だった。
竜騎士団が心配なのではない。竜に乗った騎士団、彼らの強さは圧倒的だ。魔術も駆使して戦う彼らはまさに無敵の存在なのだ。
心配なのは彼らの到着まで時間がかかるだろうということだった。
トシュタイン王国の奴らが攻めてくるのはいつもヴェルヴァルム王国のもっと北の方だった。ヘーゲル王国と境界を接するこの地がまさか攻められるだろうとは誰も思っていなかったのだ。
いくら竜が速いと言っても竜騎士団が駆け付けるには時間が必要だろう。
でもその隙にフェルザー伯の兵士たちが負けたら?トシュタイン王国の奴らがここまで攻め込んでくるだろうか?それに船着き場の人足仲間のことも心配だった。
「マリア、ちょっと様子を見てくる」
「オリバー!!危険な事は止めて!」
「大丈夫、遠くから見るだけだよ」
「でも……」
オリバーはヴィヴィごとマリアを抱いて落ち着かせた。
「マリアよく聞いて、僕は絶対に帰ってくるから。僕の帰るところはマリアの隣りしかない。マリアとヴィヴィが僕の全てだ。君たちを守って僕は生きていくと決めたんだ。だから絶対に戻ってくるから」
マリアは不安ながらも頷いた。オリバーがただ様子を見に行くだけだとは思えなかった。だけど、オリバーは約束した。必ずマリアの元に帰ると約束したのだ。
「気を付けて……」
オリバーはマリアとヴィヴィにキスを落とすと家を出た。
そのままメリコン川に向かう。
オリバーが考えていたのは竜巻を起こすことだ。
トシュタイン王国の奴らから逃げた時、ソヴァッツェ山脈のあの渓谷で起こした大きな竜巻だ。あれ以来魔力は使っていないがあの規模の竜巻を起こすことが出来ればメリコン川に浮かぶ舟を沢山巻き込むことが出来る。それは兵士たちの動揺を誘い、侵攻を遅らせることが出来るだろう。
大丈夫、僕は出来る。僕は大切な人たちを守るために戦う。
僕は決めたのだから。この世界の片隅で愛する人とひっそりと生きていくと。
マリア、君の元に帰るために―――
オリバーは川に向かって足を早めた。
———(お終い)———
最後までお読みくださってありがとうございました。
オリバーがうだうだと悩むのでイライラしましたが何とか完結できました。
この話は拙作『竜の国』のヴィヴィの両親の話です。
『竜の国』にその後が書かれておりますが結局オリバーはこの後再び運命に翻弄されてトシュタイン王国を亡ぼすために立ち上がることになります。
もし興味がありましたら読んでいただけると嬉しいです。(長いですが)
できましたらブクマや評価をいただけるともっと嬉しいです。




