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「殿下!ご無事ですか!」
バター―ンと扉が開けられ数名の騎士たちがなだれ込んできた。
彼らは部屋に入るとすぐにこの部屋の異常性に気づきオリヴェルトの元に駆け寄った。
「殿下!これは殿下が?……いや……なんてすさまじい……」
「ともあれ殿下が無事でよかった。すぐここを脱出しよう!殿下?殿下!」
「……イヴァン」
何度も体をゆすられてオリヴェルトの目に光が戻った。
「イヴァン……無事だったのか……」
「ははっ俺はそう簡単にやられたりしませんよ。殿下こそご無事で何よりでした」
「イ、イヴァン……父上と……母上が……」
オリヴェルトの瞳に見る見るうちに涙が膨れ上がる。
滂沱の涙を流しながら震える指でオリヴェルトが射した指の先。
全ての人や物が破壊しつくされているこの部屋に唯一無傷で残されている国王夫妻のベッドとその上に横たわる二つの躯。
イヴァンはそっとその亡骸に近づきシーツで覆った。
この部屋に駆け付けてきた皆で暫し冥福を祈る。
「さあ、一刻も早く脱出しましょう!オリヴェルト殿下はこの国の唯一正当な後継者です。いつの日か国王陛下や王妃様たちの無念を晴らすときがきっとくるでしょう。その為にも生き延びねばなりません」
その時に初めてオリヴェルトはイヴァンや騎士たちをしっかり見た。
みんな満身創痍だった。
イヴァンは片目を布でグルグルと巻いていた。その布が赤く染まっている。
その他にも片手が使えない者、足を引きずっている者、脇腹を押さえている者……無傷な者など一人としていなかった。
「殿下!この部屋の隠し通路の入り口はわかりますか?」
「あっああ、こっちだ」
国王一家の肖像画の裏、幸せだった父上と母上と私の……オリヴェルトは再び緩みそうになる涙腺を何とか奮い立たせて止めると肖像画の裏を探って隠し通路を開ける。
シーツに覆われた両親に短く祈りを捧げオリヴェルト達は王宮を脱出した。
王宮の裏手の森から脱出してまずオリヴェルト達が頼ったのは乳母の家だった。
王宮から脱出してわかったことはトシュタイン王国の兵士たちは王都の平民たちも蹂躙していたことだった。
深くフードを被り路地の暗がりを駆け抜けながらオリヴェルトは何度平民たちをいたぶり切り付ける兵士たちの前に飛び出したいと思ったことだろう。抱え上げられ連れ去られる娘たちを何度助けたいと思ったことだろう。
その度に「今は……今は耐えてください」と窘められた。
わかっている、たった八歳の子供に出来ることなど何もないと。イヴァンたち騎士の方が悔しい思いをしているのだということを。
オリヴェルトの乳母はアリーナ・アレンス子爵夫人。オリヴェルトの乳母を務めた彼女は今は子爵邸にいるはずだ。
オリヴェルトに付き従っている騎士は十名。たったのこれだけであるが十名をひと処に匿うのは貴族の屋敷でなければ無理だろう。
アレンス子爵邸は門扉が固く締められ静まり返っていた。
屋敷の塀際や門を油断なく数名の男たちが守っている。
オリヴェルト達を暗がりに残し一人の兵士がその男に近づく。
程なくオリヴェルト達は屋敷にこっそりと招き入れられた。
「ああ!殿下!ご無事で何よりでした!」
駆け寄って来てオリヴェルトを抱きしめたのは乳母のアリーナだ。
そのふくよかな身体と懐かしい香りにオリヴェルトは胸がいっぱいになる。
「アリーナ……父上と母上が……」
「お可哀そうに……でも殿下だけでも無事でようございました。未だ混乱はしておりますがわかってきたことも少々ございます」
そう言って彼女は後ろに立つ夫を振り返った。
アレンス子爵は穏やかに微笑みながらオリヴェルトや騎士たちを食堂に招き入れた。
真夜中であるにも関わらず食堂には手軽に食べられる食事が湯気を立てて並んでいる。
騎士たちは「これは有り難い!」と食事にむしゃぶりついた。子爵邸の数少ないメイドたちは騎士たちの傷の応急手当もしている。
至れり尽くせりな対応にオリヴェルトは礼を述べた。
「殿下はお怪我は?」
「私は無事だ。皆が守ってくれた」
「ではお召し上がりになって下さい。咄嗟の事でこんなものしか用意できませんでしたが」
「いや、十分だ。アレンス子爵、本当に感謝する」
「その言葉は殿下が本当に逃げ延びて成長されこの国を取り戻した時に受け取りたく存じます。今はご自身の命を一番にお考え下さい。あなたはこの国の人々すべての希望となったのです」
その言葉の重みにオリヴェルトはごくりと唾を飲み込んだ。
「してイヴァン第一隊長、殿下をどこにお連れするつもりだ?この屋敷まで捜索の手が伸びるのはもう少しかかるだろうがここではいつまでも殿下を匿っておけない」
アレンス子爵の言葉にイヴァンは考えながら答える。
「俺は……ヴェルヴァルム王国がいいのではないかと思っている」
「「ヴェルヴァルム王国!!」」
アレンス子爵とオリヴェルトはそろって声を上げた。
「ヴェルヴァルム王国など国交もない国だ。南のヘーゲル王国か北のウーリヒ王国の方がいいのではないか?」
「国交がない国だからだ。それにヴェルヴァルム王国は何度もトシュタイン王国に攻め込まれながらその全てを跳ね返してきているとも聞いている。ヘーゲル王国やウーリヒ王国では万が一オリヴェルト殿下の身元が知られたときにトシュタイン王国との取引材料に使われかねない」
「ふうむ……しかしヴェルヴァルム王国に行くには今この国を攻めてきているトシュタイン王国を横断しなければならないのだぞ」
「そこが盲点なのではないかと俺は思っているのだが……」
二人はそろってオリヴェルトを見た。
「やはり殿下の髪色は目立つな。顔立ちが秀麗な上にこの髪色ではオリヴェルト殿下がここに居ると言っているようなものだ」
「どこかで鬘を手配できないだろうか?」
その時おずおずと一人騎士が手を上げた。
「あの、お話し中すみません、適当に引っ掴んで来たんですけれどこれらは何かの役に立ちますか?」
彼がマントの中から出したのは宝物庫に収められていた魔道具の数々だった。
「大きいものは持ち出せなかったんですけど奴らにくれてやるのも癪だと思って」
「これは……殿下、使い方などわかりますか?」
アレンス子爵の言葉にオリヴェルトは頷いた。宝物庫の魔道具なら全て試したことがある。
出された魔道具は五つ。その内の小さい箱をオリヴェルトは手に取った。
「アリーナ、私のピアスを外してこれに着け替えてくれないか?」
言われた通りアリーナがオリヴェルトの耳にピアスをつける。
オリヴェルトが魔力を流すと……
「「おおっ!」」
周りの人達から感嘆の声が上がった。オリヴェルトの髪色が輝くような銀髪から平凡な栗色に変化したのだ。
「これは……なんてうってつけな……」
感動に震えているアレンス子爵をよそにイヴァンがマントのような魔道具に手を伸ばした。
「殿下、これは?マントのように見えますが」
「ああ、これは……」
オリヴェルトがマントを羽織り魔力を通す。
「あれ?殿下?」
オリヴェルトはそこにいる。それはわかっているのだが印象が薄くなったというか、注意していないと見逃してしまいそうだ。
「認識阻害の魔道具らしい」
「なんて素晴らしい!!魔道具とはすばらしいものですな!」
イヴァンの言葉にオリヴェルトは苦笑した。試した時はこんな魔道具使い道は無いなと思っていたのだ。髪色を変えて何になる?リードヴァルムの王家は国王でさえ気軽に街に出かけるのだ。王室一家の顔など誰でも知っている。それに認識阻害の魔道具など勉強を抜け出す時か盗み食いをする時しか使い道はなさそうだ。これが国宝なんて、と思っていたのだ。
今この状況になってこれらの魔道具が役に立つのは何とも皮肉なものだった。魔道具をオリヴェルトに試させたのはこの国にトシュタイン王国の軍勢を引き入れた宰相デーニッツだったのだから。
イヴァンが三つ目の魔道具に手を伸ばした時バタバタと一人の使用人が駆け込んできた。
「旦那様!トシュタイン王国の軍勢がこの屋敷に向かってきます!!」
「なに!?予想より早いな。高位貴族の屋敷から制圧していくと思ったが……」
アレンス子爵は一瞬迷ったもののすぐに指示を出した。
「女子供は地下へ!男どもは集まれ。裏口に馬車と馬の用意は?」
「整っております。当座の食料や衣類なども積み込み済みです」
アレンス子爵はオリヴェルトに向き直ると口を開いた。
「殿下、裏口に粗末な馬車を用意しました。出入りの商人が使うような馬車です。少しなら誤魔化せましょう」
「アレンス子爵は?」
「私はここで少しでも時間稼ぎをします」
「それは駄目だ!あの軍勢に逆らえば皆の命は……」
「殿下、これでも若い頃は騎士並みに剣技が得意だったのです。私の腕前を直接見ていただけないことが残念ですが」
「いや駄目だ!降伏するんだ。生きてくれ!」
アレンス子爵はそれに応えずイヴァンに向かって「殿下を頼むぞ」というとアリーナを呼んだ。
「お前は殿下について行ってくれ。殿下をお支えするんだ」
「あなた……」
アリーナとアレンス子爵はしばし抱き合うとアリーナはオリヴェルトの手を引いた。
「さあ殿下、急ぎましょう」
「いやだ!駄目だ!」
首を振るオリヴェルトをイヴァンが抱え上げた時食事室に一人の少女が駆け込んできた。
「「ラウラ!」」
アレンス子爵夫妻はその少女を抱きしめる。
子爵夫妻の一粒種でオリヴェルトの乳兄妹でもある少女だ。
「ラウラ、早く地下に隠れるんだ」
「お父様、お母様もどうかご無事で!」
精一杯抱き着きながら少女は言うとオリヴェルトに顔を向けた。
「殿下もどうかご無事で」
「ラウラ!君からも言ってくれ!トシュタイン王国の軍に降伏するように。無駄に命を散らすことが無いように」
「お父様もお母様も私も今できる最善の事をします。私は足手まといにならないように一生懸命隠れます。殿下、いいえオリバーは必ず生きて!全力で生きて!約束よ」
ラウラはオリヴェルトを幼い頃のオリバーという呼び名で呼んだ。そうして微笑んで子爵夫妻とキスを交わすと執事に連れられて地下室に去って行った。
その執事にアレンス子爵は小声で指示を出した。地下室で女性と子供を守っていること。殿下たちが十分逃げ延びてもし自分が打たれたら素直に降伏すること。
「殿下、俺たちも急ぎましょう」
抱え上げられて馬車に放り込まれる。アリーナを共に乗せて馬車は静かに裏口から出ていった。数騎の騎馬を従えて。
馬車の窓からオリヴェルトが屋敷を振り返ると裏口で微笑むアレンス子爵と戦いに備える男たちが見えた。