12
隣町まで送ってもらってオリバーとマリアはヘインズさんと別れた。
二人でお礼を言うとヘインズさんは笑って言った。
「いいってことよ。こんな事しか力になれなくてすまないな。しかしマリアちゃんはこんないい男の彼氏がいたんだなあ。レーベンの町のどんな男にも靡かないわけだ」
うんうんと頷いてヘインズさんの荷馬車は去って行った。
「もう!みんな誤解して!まだ彼氏じゃないのに」
マリアはプンプンしていたがオリバーを振り向いて言った。
「みんな親切だったね。私みんなに迷惑かけちゃったのに」
「ああ、そうだな。みんなに感謝しなくてはいけないな」
みんなが親切なのはマリアがそれだけみんなに好かれていたからだろう。孤児院にいた時は図書館と孤児院の往復でそれ以外に知り合いもいなかったオリバーに対し、マリアはオリバーがいなくなった後その寂しさを埋めるように積極的に町に出ていたようだ。困っているお年寄りを助けたり、農家の手伝いをしたり、役場が主催するバザーなどは売り子を務め町の人気者だったと院長が言っていた。
「さあ、行こう」
オリバーが促すとマリアはオリバーの顔を覗き込んだ。
「今は恋人じゃないけど……いつかオリバーのお嫁さんになってみせるから!」
そう言ってマリアは走ってオリバーを追い抜きくるっと振り向くとアッカンべーをした。
二日後、次の停留所のある町に着いた。
二人で歩きながら色々な話をした。喋っているのは主にマリアだったが。久しぶりに会ってお淑やかな白薔薇のような美少女になったと感じたマリアはお淑やかそうなのは外見だけで実は結構気が強いことがわかった。ちょっと気が強くておしゃまで、でも困っている人を見るとほうっておけないお人好しで。オリバーの記憶の中のマリアと全く別人のように感じた再会の時からどんどん昔のマリアが蘇ってくる。今目の前にいるマリアがオリバーのマリアと根元の部分で変わっていないことが感じられてオリバーは嬉しかった。嬉しかったと同時に戸惑いもある。目の前のマリアはもうあの頃の子供ではない。マリアのふとしたしぐさに色気というか女性らしさを感じて胸の奥の方が疼くのだ。そんな自分の中に生まれた感情にオリバーは上手く対処できずにいた。
停留所の近くまで来た。
レーベンの時のように不用意に停留所に近づくことはしない。物陰からこっそりうかがう。
停留所にはガラの悪い男たちはいないようだった。
ホッとしてマリアと停留所に向かう。遠距離乗合馬車に乗って出発を待っていた時だった。
外で揉めているような声が聞こえる。何でも男と駆け落ちをしようとする妹を連れ戻しに来たようだ。と、二人の男が馬車に乗り込んできた。
「マリア!見つけたぞ!お兄ちゃんは悲しいぞ。お前はその男に騙されているんだ!」
乗り込んできた男の一人が大袈裟に嘆く。アボット男爵の手の者だ。やられた!男たちも物陰から停留所を見張っていたのだ。そうして家出娘を連れ戻すという芝居をしてマリアを連れ去ろうとしている。
「あなた誰!?私はあなたなんて知らないわ!」
「ああ、やっぱりその男に誑かされているんだな。ほら、大人しく帰るぞ!」
男がマリアの腕を掴もうとするのでマリアは怯えてオリバーの陰に隠れる。オリバーはマリアを庇いながら鋭く男を睨んだ。
「僕たちはあんたなんか知らない。いや、知っているのはあんたたちがアボットだ―――」
「おおーーっと!それは口に出さない方がいいぜおにいさん」
男は他の乗客に見えないように懐からナイフを少し見せた。
「マリア、馬車を降りよう。このままでは他の乗客に迷惑がかかる。僕たちが乗っていたらこいつらは素直に馬車を出発させてくれないだろう」
マリアは悔しそうに唇を嚙んだ。
馬車を降りて男たちと向き合う。馬車に乗り込んできた二人と別にあと三人。馬車を降りた二人を取り囲んだ男たちはもう小芝居もせずオリバーに向かって凄んだ。
「兄ちゃんよう、随分嘗めた真似をしてくれたよなあ」
「おお、とんだ手間だぜ。こんなところまで追っかけてよう」
「そんなの知らないわ!どうして私を追いかけるのよ!私はあのスケベ男爵の妾になんかならないんだから!」
「ヒュー気が強い嬢ちゃんだなあ。でも男爵様はその気の強さもお好みなんだとよ。気の強い若い娘を屈服させて跪かせるのが楽しいんだと」
「へえ……それってあの恐ろしい奥方様に尻に敷かれている反動ってヤツ―――」
「バカ!お前は黙ってろ。とにかく男爵様はじゃじゃ馬を乗りこなすのが好きなんだとよ。暴れ馬は特にな」
その言葉を聞いてマリアはぞっとしたように身体を震わせた。オリバーも胸糞が悪い。
「マリアを攫ったら誘拐だぞ」
一応オリバーは言ってみるが目の前の男たちが引き下がるとは思えなかった。
「うひゃひゃ、お兄ちゃん誘拐じゃないよ。男爵様はちゃんとマリアをメイドとして雇うんだから」
「その話は断った筈よ」
「大丈夫だよ、これからお前を連れて行って雇用契約書にサインさせればいいんだからなあ」
「そんなものサインする訳———」
「さあ!話は終わりだ」
男の言葉と共に蹴りがオリバーに向かって飛んできた。すんでのところでそれを躱すがマリアと距離が空いてしまう。すかさず手が伸びてきて一人の男がマリアの腕を掴んだ。
「嫌!放して!」
「マリア!!」
オリバーはなんとかマリアに近づこうとするがマリアの腕を掴んだ男以外の四人の男が襲い掛かってくる。防戦一方のオリバーはやがて地面に這いつくばった。
「オリバー!!やめて!オリバーに酷いことしないで!」
地面に転がったオリバーを更に男たちは蹴りつけナイフまで取り出したのを見てマリアは悲鳴を上げた。
「死ぬわ!!これ以上オリバーに何かしたら死んでやる!!あんたたちは私を無傷であのスケベ男爵のところに連れて行くのが仕事なんでしょう!やめなさいよ!」
マリアは自分を捕まえていた男の懐からナイフを抜き取り自分に突き立てようとした。男たちの動きがピタッと止まった。
「嬢ちゃん、そんな物騒な物は渡すんだ」
手を伸ばそうとする男をナイフで威嚇してマリアは叫んだ。
「オリバーを放して!オリバーは私を逃がそうとしてくれただけだわ!私があんたたちと一緒に行く!でもこれ以上オリバーに何かしたら私は私を傷つける。この顔でも身体でも傷つけるわ!」
「……放してやれ」
四人の男たちはオリバーから離れた。オリバーは蹲ったままだ。
やがて人の去って行く足音と「オリバー、ありがとう……さよなら」というマリアの声が聞こえた。
男たちが去ってもオリバーはまだそこを動けずにいた。たった五人の男に敵わない自分が惨めだった。
もし手元に剣があれば状況は少しは違っていたかもしれない。オリバーは嘗て退役した騎士に剣を教えてもらっていたから。本当の騎士には敵わないまでもならず者のような男たちには負けなかったかもしれない。まあそれも負け惜しみかもしれない、実戦経験など一度もないオリバーなのだから。
それでも今回魔力暴走を起こさなかったのはまだ希望があるからだ。魔力の無い平民として生きてきたオリバーが魔力を見せる訳にはいかない。だから必死に抑えた。今度こそ目の前で大切な人を奪われたくないと膨れ上がる魔力を必死で抑えながらオリバーは男たちと戦っていたのだ。
マリアに救われた自分が惨めだった。マリアにあんなことを言わせてしまった。僕はいつもそうだ。周りの大切な人の犠牲の上にこうして生きながらえている……
一度目を瞑って決意を新たにしオリバーは起き上がった。
今度は奪わせない。僕の大切な人は守ってみせる。まだ勝負はついていない、反撃はここからだ。
「お兄さん大丈夫かい?」
遠巻きに伺っていた町の人が恐る恐る話しかけてくる。
「大丈夫です、ありがとう」
口の端の血を拳で拭ってオリバーは訊ねた。
「馬を一頭買いたいんですけど売ってくれるところを教えてくれませんか?」
さあ、あまり離れるわけにはいかない。馬に乗ったオリバーはポケットから楕円形の球を出した。周囲に向けるとある方向で反応があった。
追跡の魔道具だ。研究所で勤めていた時にオリバーが手慰みに作ったものだ。その時はもっと大型の追跡の魔道具の改良をしていたのだが試験版としてこっそり小型版の追跡の魔道具を作った。オリバーは魔力が無いということになっているので作ったのは内緒だ。研究所を辞めるとき試作で作った魔道具は全て持ってきた。この追跡の魔道具は片割れを持った相手のいる方向がわかる。その片割れはマリアの首にかかったペンダントだ。
万が一はぐれた時のことを考えてマリアにペンダントを掛けさせていたのだ。これがあるからマリアが連れ去られてもお終いじゃないと思えたのだ。まだ希望はあると。
そのまま逃げ切れればそれで良かった。でもマリアは連れ去られてしまった。どこかわからないが屋敷に連れ込まれてしまえば救い出すのは厄介になる。でももう終わりじゃない。マリアは生きている。まだ取り返すことが出来るのだ。
絶対に取り返して見せる!
決意を胸にオリバーは馬を走らせた。




