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咲き初めの薔薇を思わせるとても美しい少女がオリバーの目の前に立っていた。
マリアだ。マリアなんだけどオリバーの覚えているマリアではなかった。
別れたときは子供だった。赤子の時から世話をしてちょっとおしゃまになった子供だったのだ。
七年の歳月は子供を女性に変えた。多少の幼さとマリアの面影を残しつつ彼女は花がほころびかけた少女に成長を遂げていた。
「オリバー……会いたかった……」
目の前の少女は眼にいっぱいの涙を溜めている。それでも以前のように飛びついてきたりはしなかった。それにホッとしつつ寂しい気持ちも感じてオリバーは戸惑った。
七年前マリアの手を離し一切連絡を取らなかったのにまだオリバーはマリアの一番で居たかったのだ。
そんな自分の身勝手な感情をオリバーは嘲笑った。
「……マリア、大きくなったな」
口をついて出るのはそんなありきたりの言葉だった。
「マリア、オリバーとこの町を出なさい」
院長の言葉にマリアは戸惑った。
「オリバーはそのために戻ってきたのです。オリバーならあなたを任せられますから」
「でもそうしたらこの孤児院に迷惑が……」
「あなたが本当にここに居ないとわかればそれ以上手出しはしないでしょう。行先は聞きません。知らなければ答えようがないですから」
オリバーはまだ引き受けるとも何とも言っていないのにいつの間にかマリアを引き受けることになっていることに苦笑した。
しかし男爵はかなり圧力をかけたようで初めにマリアが勤めるはずだった織物の工場は男爵が依頼したと思われるならず者に工場の施設を壊されたり放火されそうになったらしい。その後も店先で暴れられたり他の従業員が絡まれたりしてマリアを雇ってくれるところは無くなった。マリアを嫁にと望んでくれる人たちも軒並み被害にあったそうだ。嫁に関してはマリアも拒否したそうだが。
「マリア、一緒にこの町を出よう。僕が君を安全なところまで連れて行くよ」
院長に確認されるまでもなくオリバーの心は決まっていた。
ここに来るまでは院長の話は大袈裟なのではないかと思っていたのだが、マリアを見て納得した。今のマリアを見れば男爵が執着する気持ちがわかったような気がした。
この国は貴族の成人は十七歳だ。魔術の学校を卒業すると成人するらしい。平民の成人はもう少し早く十五歳だ。だから孤児院も十五歳で出なければならない。十五歳で成人すると大抵は働きに出る。王都や大きな都市の平民は初等学校から更に上の学校に通う子供もいるらしいがこの町には初等学校しかないし孤児はそれすら通えない。それでも飢えることもなく十五歳まで育ててもらえるのだからこの国の福祉は手厚い方なのだろう。
「オリバー……いいの?」
「もちろんだ」
マリアは唯一の家族だから。あの全てに絶望したとき、死への誘惑から救ってくれたのはマリアだったから。
翌朝、まだ朝靄が街を包む時間にマリアとオリバーは孤児院を出た。
最低限の荷物をまとめたマリアとオリバーは町の停留所を目指していた。朝一番の遠距離乗合馬車に乗るためだ。遠距離乗合馬車でゴルトベルグ公爵領のセルティックまで行くつもりだ。セルティックは王都に次いで大きな街だ。そこで少し腰を落ち着けてマリアの勤め先を探すか南のアウフミュラー侯爵領まで行くか悩むところだった。王都は断念した。王都にはアボット男爵の屋敷がある。どこかでマリアの姿が目に触れるかもしれない。
不意にマリアがオリバーの手を引っ張った。
停留所にガラの悪い男が三人ほどたむろしていた。
「あいつらか?」
青ざめた顔でマリアが頷く。
「まさか……こんなところまで見張っているなんて……」
マリアの言う通りオリバーにも想定外だった。マリアが十五になるまであと一か月近くある。それなのにマリアが逃げることを想定してこんなところまで見張っているとは思わなかったのだ。
時間がきて遠距離乗合馬車の乗車が始まっていた。馬車に乗って行く人々を男たちは鋭い目で睨んでいる。
「どうしようオリバー……」
「遠距離乗合馬車には次の停留所から乗ろう。ここから三つ西の町だ。歩いて二日ぐらいか……マリア、歩けるか?」
「うん、大丈夫よ。隣村までは歩いて行ったこともあるわ」
方向転換して町のはずれに向かおうとした時だった。
「やあ、マリアちゃんこんにちは」
二人の目の前に立ったのは停留所にいるガラの悪い男たちと似たような男だった。
「いやおはようか。こんなに早くどこ行くの?旅支度しているように―――」
皆まで言わせずオリバーはいきなり目の前の男を蹴り飛ばした。
マリアの手を引いて走り出す。
「この野郎!!」
「追え!男は痛めつけろ!」
後ろで怒号が聞こえるが振り返っている余裕はない。オリバーとマリアは細い路地に逃げ込んだ。
路地をくねくね走って逃げるが追いつかれるのは時間の問題だった。
「あっちへ行ったぞ!」
「そこを曲がった!」
叫び声が近づいてくる。
ある路地を曲がった途端裏木戸が開いた。
「マリアちゃん、こっち!」
そこは織物工場の裏手だった。
「奥様!」
「早く入って!」
マリアとオリバーが入ると木戸がパタンと閉まる。
程なく路地を掛ける男たちの叫び声が聞こえてきた。息を潜めてやり過ごす。
声と足音が聞こえなくなってやっとふうっと息を吐き出した。
「奥様、ありがとうございます。私のせいでご迷惑をかけたのに助けていただいて……」
マリアと一緒にオリバーも頭を下げる。
ここはマリアが勤めるはずだった織物工場なのだろう。
「迷惑なんて思っちゃいないよ、悪いのはマリアちゃんじゃなくてあいつらだからね。それよりごめんよ、あいつらの圧力なんかに屈したくは無かったんだけど他の従業員もいるし生活もあるからねえ」
「いえ、十分良くしていただきました。それに今回も助けていただいてありがとうございます」
そこで織物工場の奥様は視線をオリバーに向けた。
「町を出るのかい?」
「はい、今までありがとうございました」
マリアが答えると奥様はつとマリアに近づき囁いた。
「いい男だねえ、マリアちゃんにこんな素敵な彼氏がいるなんて知らなかったよ」
マリアは真っ赤になって否定した。
「違います!オリバーです!七年前に孤児院を出た」
「ああ、昔孤児院にいた天才児!マリアちゃんの初恋の人!」
その言葉を聞いてオリバーは咳き込みそうになった。確かにマリアは小さい頃オリバーのお嫁さんになるとか言っていたが……
「あっ!こうしちゃいられない、あいつらがいつ戻ってくるかわからないからね。そうだ!マリアちゃん、これからヘインズさんのとこに行きな、今日は隣町まで染料を運ぶって言ってたから荷馬車に乗せてもらうといいよ」
そう言って奥様は走り書きでマリアの事情と隣町まで荷馬車に乗せてやって欲しいと書いてくれた。
ヘインズさんというのは染料を作っている工房の主だそうだ。通り二つ北側にあるヘインズさんの工房でマリアがメモを見せると快く引き受けてくれた。
染料の缶が沢山乗せられた荷馬車の奥にマリアとオリバーは身を潜めた。一応鼻と口はタオルで覆う。
「ちょっと臭いけれど我慢してくれよな」
そう言ってヘインズさんは荷馬車を出発させた。
町を出る辺りで荷馬車が急に止まった。外で何やら揉めている声がする。突然荷馬車の幌が引き上げられ男の声がした。
「うわっ!くせえ!」
「ちょっと!あんた達!これは商売道具だ。悪戯されたりダメにされる訳にはいかないんだ。触らないでくれ!」
ヘインズさんの鋭い声が聞こえる。マリアとオリバーは更に身を縮めた。
「こんな臭いところに乗っているわけないか。いいぜ、行け!」
「ふん、あんたらに命令されなくても出発するに決まっているだろ!」
ヘインズさんの声が聞こえてすぐに荷馬車は動き出した。
ホッと息を吐きマリアの方を見てオリバーはギョッとした。マリアの顔が思ったよりも近くにあったからだ。身を縮めたときにマリアとオリバーはほとんど抱き合うような格好になっていた。
急いで飛び退こうとして後ろにあった缶に頭をぶつける。
「~~~!!」
後頭部を押さえて蹲るオリバーにマリアはいいこいいこというように頭を撫でた。
ああ、マリアだ。二歳の頃、夜中にうなされるオリバーの布団に潜り込んで来てマリアはよく頭を撫でてくれた。何回部屋を抜け出しちゃ駄目だよと言ってもオリバーがうなされていると不思議とマリアがやってくるのだった。小さい身体で精一杯背伸びをして、回らない舌で一生懸命オリバーを慰めてくれた。
その頃のことを思い出して涙が滲みそうになった。




