お祖母ちゃんとギャグ
祖母は、笑わない人だった。
父に聞くと、厳格な家に育った人で、笑ったところを見たことがないという。
「まあ、ばあさんの家は厳しかったことに加えて、親も短命で、そのうえじいさんも早死にして、ああいう暗い性格になってしまったのかもな」と父は言った。
「だから、俺は笑子と結婚したんだ。名前からして、そうだろう。よく笑って冗談をいう明るい女性がよかったんだ」
「それで、お父さんは今幸せ?」
「ああ、毎日が楽しいよ」と父は、少し照れ気味に笑った。
父の言う通り、対照的に、母は明るく、よく笑う女性だった。
冗談もいうし、ギャグもよく飛ばす。
関西人は何か面白いことを言わなければ気が済まないのか?と思えるほど、ノリつっこみに長けていた。
漫才をしているわけでもないのに、受け答えやギャグが遅れると、「遅いわ!」と突っ込まれる始末であった。
そんな家族のにぎやかな会話を尻目に、お祖母ちゃんは、離れの別室で一人食事をとっていた。
私が、「お祖母ちゃんも一緒にご飯食べよ」と誘っても、
「あんたたち、うるさくてかなわんわ」と不機嫌そうな顔をするのだった。
お祖母ちゃんは悪い人ではなかった。
お母さんがおおらかなせいで、おっちょこちょいだった私に注意もしてくれたし、礼儀作法にも口うるさく、おかげで私は同年代の子に比べて、言葉遣いや立ち振る舞いもきちんとできる子に育ったと思う。生け花や茶道も教えてもらった。
「お祖母ちゃん、どうしたら笑ってくれるんだろうなぁ」と私なりに考えて、
当時はやっていたギャグを不意打ちでかましてみたり、物まねをしたりしてみるのだが、お祖母ちゃんはニコリともせず、こちらを見つめているので、「…失礼しましたぁ」と退散する他なかった。
年月が流れ、私は大学生になった。
家から離れて、1人暮らしにも慣れたころ、祖母は病にかかり、入院生活を送っていた。
私は、休みのたびに、帰省して祖母を見舞った。
そして、性懲りもなく、つまらないギャグを言っては、祖母を笑わせようとしていた。ギャグは不発に終わったが、私の見舞いを祖母は喜んでいるようだった。
ある日、祖母危篤の連絡が入った。
知らせを受けて、すぐに始発の新幹線に飛びのって帰宅したのだが、30分ほど前に、祖母は臨終を迎えていた。あと一歩で、間に合わなかった。私が泣いていると、父が言った。
「亡くなる前にな、お祖母ちゃん、笑ってた」
「え?」
「お前のギャグを思い出してたみたいでな、詩織って面白いわ…って言って、クスクス笑ってた」
祖母の顔を見ると、口元が微笑んでいて、優しい表情をしていた。
お祖母ちゃん…遅いよ。
もっと早く笑ってよ。
私は、泣き笑いの顔で、お祖母ちゃんに心の中で文句を言った。