死神は花子さんと営業中
古民家とは違い、近代的な強化ガラスで固定されたインターフォンを押すと家の外からでも響く洒落たチャイムが鳴り響く。
「は〜い、あら!その顔サディ子!?随分久しぶりじゃない〜ちょっと待ってね、今開けるから!」
一方的にインターフォンから聞こえて来るのは快活で人好きのする普通の声だが、油断はしてはならないだろう。
表札に書かれた花子という名前サディ子と同等、いやそれ以上の有名どころだ。
「あら!サディ子いらっしゃい……って、あら?そっちの子は……」
出迎えたのは何処にでも居る二〇代前半ぐらいの女性だが特徴的なおかっぱ頭とサディ子を知っている辺り、この女性が花子という事で間違いない。
花子は死神スーツに身を包んだハッチを舐め回すように見つめると瞳に霊力の光が宿り、肉体の奥にあるハッチの魂をジッと見定める。
「あら、アナタ……死神よね?あらあら、来るの今日だったのすっかり忘れてたわ。まぁいいわさぁ二人とも上がって上がって!」
太陽が家の中まで降り注ぐデザイナー建築は市松さんの家とは一転、ガラス張りの窓は広い庭を一面に見渡す事ができる。
小指を打つけようとしても中々に難しい広い廊下を歩き、ハッチとサディ子はリビングのソファーへと促されるままに腰掛ける。
「あんまり、こういう事言いたくないんですけど、幽霊も普通に家に住んでるんですね」
「あぁ?テメエら死神が寄越した肉体だろうが、人の肉体は物も食うし眠りもする、住む場所がなけりゃ困っちまうだろうが」
まぁ確かにその通りなのだが、何故だか釈然としないこの気持ちはなんだろうと考えればその答えは直に出た。
「だってですよ、幽霊って言ったら廃墟とか、墓場とかのイメージが強いじゃないですか、そんな幽霊がこんな的に太陽燦々な家に住んでてイメージ的に大丈夫なんですか?」
「イメージもなにもだからそれが間違ってんだよ。別に幽霊だからって廃墟が好きな訳じゃねえぞ、人が居ない方居ない方に行くから廃墟にたどり着くんであって、出来れば綺麗な家に住みたいし、できるなら幽霊だって幸せになりてえんだよ」
サディ子の言葉に主婦は複雑そうな微笑みを浮べて、窓の外を見つめる。
「凄い家でしょうこの家、実は私の旦那が建てたの。私も母親になる身だから、若い頃みたいにずっとトイレに居る訳にもいかないから」
あの頃を懐かしむように戸棚にあったアルバムを引っ張り出すと一枚の、和式トイレの写真を差し出して来る。
「ほらこの写真、私が最初に花子をやったトイレ。あの頃は本当にイケイケの時代だったわね〜幽霊特番とか組まれちゃったりして!そういえばサディ子なんて、あの頃は、なんでもありだったものね」
「あったな〜調子のってテレビから出ちゃったりとかしてな!最近じゃ動画見るっつったらスマホが主流になっちまったから、どんなに頑張っても指先までしか出せないからな!」
昔を懐かしみながらヘラヘラと笑い合う辺り、二人の仲は旧友と言って差し支えない間柄なのだろう。
「おっと、忘れるといけねえや。ほれ、市松姐さんからだ、花子に出産祝いの市松人形だそうだぜ」
「あら!嬉しいわね〜あらやだ!これ特級寿具じゃない!ずっと買おうか迷ってたのよ!有り難いわ〜今度市松姐さんの家に家族で挨拶に行かないといけないわ〜」
花子に手渡されたのは見た目はただの不気味な市松人形でしかないが、そんなに霊験あらたかな品だったのかと驚きを隠しつつも、後ろから急に現れて無言でお茶を出して来た男性に会釈を返して場の空気に飲まれない様に熱いお茶を喉に流し込む。
「あぁ、市松姐さんは人形にかけてはスゲエからな、効き目は抜群だ……ってコイツは驚いた、気配すら感じさせねえつう事はコイツが花子の旦那かぁ?」
確かに気配すら感じず、後ろからスッとお茶を出された時は正直心臓がもう一度動き出すかと思った次第だ。
「あら、やっぱり分かるかしら?気配を消すこともさることながらあの人、凄い筋肉なのよ。私もね最初の頃は金縛りにしてみたりしたの……最初の一年ぐらいだったかしら、あの人もう一回来たのよ、私の部屋に」
…………?部屋に、と言っているがトイレの花子といえば住処にしているのは紛れもない女子便所ではなかっただろうか?
もしかしてとんでもない勘違いをしていたのかも、とそんな事を思い思いきってハッチは閉ざしていた口を開いた。
「ちょっと待って下さい。ずっと話をきいていたんですけど花子さんってトイレの花子さんで合ってますか?」
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。初めましてトイレの花子です。よろしくね死神さん」
一安心だ、やはり花子と言えばトイレの花子一択だろう。
突然会話を割ったハッチにも深くお辞儀を返す花子にハッチもお辞儀を返す。
「あっはい、よろしくお願いします……じゃなくて!確かトイレの花子って小学校の女子トイレに出る幽霊ですよね?……あれ、だって、この人男のひとで、しかも小学生の女子トイレって……それも最初?それって」
最初とはつまり、もう一度があってこその最初だ。
繋がってはいけない点と点が結び合うと、知りたくもない事実が浮き彫りになってくる。
「ええ、だから私も焦ったわ。だって女子便所よ、しかも小学校。普通の大人の男がおいそれと入ってこれる場所じゃない。でもあの人は違った。深夜、私の力が最も強くなる時間帯に彼はやって来た……当然私だって全力で抵抗したわ、だってこれまで無敗の実績を破らせる訳にはいかないもの、無敗の花子の名前を背負っている以上私は決して負けられない、でも彼は身体を鍛えて筋肉にものを言わせたわ……その晩あらん限りの全ての霊力を注ぎ込んだけれど、私は彼を止めらなかった」
モジモジと恥ずかし気におかっぱ頭を揺らす花子だが、聞いているこちらは思考が追いつかず混乱するばかりだ。
なんなら、トイレの花子より余程妖怪じみているのは、むしろ隣りの男の方だ。
「おい、私達はわざわざ此処に来てなんの話を聞かされてんだ?」
「知りませんよ、変態の話じゃないんですか?」
「そうよね、変態だと思うわよね。でも彼は幼いこんな姿に私に対しても紳士だった……いいえ、真摯だったのよ!」
「やっぱり変態の話じゃねえかよ!」
叫んだサディ子に四人分のお茶菓子を出す筋肉ムキムキの彼だが、彼こそはこの話の本筋をおかしくしている張本人だ。
執行猶予は付かない変態二人組の話にサディ子共々恐怖を覚えるが、花子は隣りに座った男性に腕を絡ませる。
「フフッ、私戦いの後に彼に聞いたのよ、なんでまた私に会いにきたのかって、そしたらこの学校彼の卒業した学校だったの。ずっと昔、彼が小学生の頃虐められていた。そんな彼が逃げ込んだのが私の居た女子トイレ。小学生だからかしら、私の姿を見る事が出来たのね、彼は私より虐めて来ていた彼らを怖がっていた、私そんな彼の姿が不憫で驚かす気分にはなれなかった」
「益々意味がわからねえ、ヤベェ気分が悪くなって来た」
「サディ子でも気分が悪くなったりするんですね」
口元を抑え始めたサディ子に構う事もなく、目の前でイチャイチャしはじめた花子夫妻は悦に入ったのか聞いてもない出会い話は続いていく。
「きっと、一時の気まぐれだったけれど私小さい頃の彼に強くなればいいわって言ったらしいわ。フフッ、今は全然覚えていないけれど、彼は私の言葉通り強くなって戻ってきた。そんな彼に私も強く惹かれたのよ。だって私トイレの花子なのよ?悲しいけれど私がトイレに居る限り誰も私に勝てはしないから……」
強者の振る舞いを演出している花子だが、トイレでこれまで相手にしてきた相手は誰でもない小学生である。
「入って来るのが小学生限定なら誰も勝てねえよな」
「……確かに」
こちらが呟く様に挟む話など毛程の興味もないようで、花子は二人の出会いについての話を続けていく。
「でもそんなとき、私の目を覚ましてくれたのは彼!井の中の蛙は彼の逞しい胸板の厚さを知ったわ!抱き寄せられた時の直感で分かった、私に足りていなかったのは彼だって!」
「駄目だ……スマンもうギブ!一回吐きそうだ!」
「すみません!この家ってトイレありますか!」
「廊下を出て曲がり角を曲がって突き当たりよ」
一回の表でコールドの点数を入れられた投手の如く、ガックリと肩を落として気分の悪くなったサディ子の背中を擦りながら、突き当たりのトイレの扉を開けるとそこには花子が便座に座っている。
「それでね、彼が私に……」
「好い加減にしやがれ!トイレまでついてくんじゃねえ!」
構わず話を続けようとする花子にサディ子は思わず叫び散らすが、花子には意に返した様子は無くケロッと肩を竦ませる。
「あら、話す場所を変えたいのかと思ったから。ほら私トイレの花子だから」
「普通の人間がトイレに行く時は話し合いじゃねえんだよ!一々霊体になってまでトイレに先回りすんじゃねえ!……あ〜ヤバい、気持ち悪ぃ」
「あらそうなの?別に、トイレを使うのはいいけどお願いだからトイレは汚さないでね。あっ!それからトイレを使うなら便座は上げてちょうだい、ほら私人妻だけどその前にトイレの花子だから」
最早トイレの花子だろうがなんだろうがあまり関係ない気もするが、新築のトイレを汚す事は流石に気が引けるのも確かだ。
一応便座を上げ、サディ子の背を擦り一間の素晴らしい音を新築に響かせたのだった。