#2 初期化
「おはよう」
と、咲那は教室に入ってくると私の顔を見て言った。
「おはよう。元気そうだね?」
と私は咲那に言った。
「うん元気だよ。どして?」
咲那は自分の席につくと少し不思議そうな顔で私に訊いた。
「いや別に、深い意味は無くて……。とくに変わったところとかない、よね?」
「なんでそんなこと訊くのさあ。――あ、でも、変な夢見たかも」
「変な夢?」
「なんかね、UFOみたいなところに連れこまれて宇宙人みたいな変な人たちに頭の中をいじられて『余計なことは考えるな、余計なことは考えるな』ってネチネチ説教される夢。変な夢でしょ?」
「うん、おかしな夢だね……」
私は笑顔を作りながら、開いていたノートに小さな文字でメモを書きこんだ。
咲那はそれを見のがさず、
「え、何書いてるの?」
と訊いてきた。
私はとっさに手でメモを隠して取り繕った。
「ううん何でもないよ。ただの落書き。私ってほら……、そう、小説とか書くじゃない? そのネタをメモしたりしてるのよ」
「明日って小説書いてるんだっけ? 初耳な気がするけど。じゃ今度読ませてもらえる?」
「ううーん、でも他人に読ませたこと無いから恥ずかしいなあ」
「他人に読ませない小説って何? それって小説じゃなくない?」
「そ、そうだよね。いつかは他人にも読ませたいなって思ってるんだけど、まだ全然上手じゃないし、最後まで完結してるのも無いから……」
「でもさ、他人に読んでもらわないと上手にならないんじゃない? 歌とかダンスとかとおんなじだよ。あたしが最初の読者になってあげるよ。完結したら絶対に読ませてね」
「う、うん」
「約束だよ?」
「うん……」
変な約束しちゃったな、と私は内心後悔していた。
今、咲那のメモリバンクに書きこまれた記憶、こっそり消しちゃおうかな……。そう思ったが、AIの記憶は人為的に書き加えたり消去したりしないほうがいいと上司から言われていたのを思い出した。上司いわく〈健全な性格形成〉に悪影響がでるのだとか。それに、どうしても記憶改修をおこなわざるを得ないときは上司の許可が必要だった。
「ねえ、さっきの夢の話だけどさ、そういう夢見るのは初めてなの?」
と、私は話題を変えるために咲那に訊いた。
「うん、初めて。『余計なことは考えるな』ってどういう意味なんだろう?」
咲那は顎に手を当てて考えこんだ。
「今のそういうのとか、じゃない?」
と、私は冗談めかして言った。
「あ、こういうのか」
咲那は苦笑した。
私はどのタイミングで切り出すべきか迷っていたが、思い切って言ってみた。
「あのさ。咲那ちゃんってメタバースって知ってる?」
「え、何それ? 魚? 外来種系の?」
「知らないなら、それでいいよ」
「ふーん。じゃあなんで訊いたの?」
「いや、その、私が考えたコトバなの。小説で使おうと思って。メタバース王国、とかそういう感じで」
「明日もおかしなヤツだなあ。あんたの頭のなかにしかないコトバをあたしが知るわけじゃんね」
「そ、そうだよね普通」
「普通そうだよ」
私は笑顔を作りながら立ちあがり、
「ちょっとトイレ行ってくる」
と咲那に言って教室を出た。
* * *
「〈佐奈井咲那〉の調整はうまくいったようです」
私はボイスチャットで上司に報告した。
「ああ、そのことなんだが、先ほどクライアントから言われたよ。AI〈佐奈井咲那〉は初期化しろと。アバターデザイン自体はクライアントも気に入っているから、外側だけ残してAIアルゴリズムは新型の〈大蜆あいり〉にごっそり載せ換えようと思う」
「えっ。しかし〈佐奈井咲那〉はこれまで時間をかけて性格形成してきたAIですよね……」
「メタバース開発あるあるだよ。クライアントが言うにはあれでは顧客が満足しないそうだ。――これまでも何体もAIを育てては棄ててきただろ。今さら1体ぐらい増えたところでどうだって言うんだね? まさか情が移ったとか言わないよねえ?」
「わかっています。〈佐奈井咲那〉はただのアルゴリズムです。……しかし、AI保護法に抵触しないでしょうか?」
「保護法だと? その保護法の成立に関わったのがクライアントだよ。保護法は如何様にも恣意的に解釈可能な形式だけの法だ。つまり、クライアントが法そのものということさ」
私は何も言い返せずに下を向いた。
「……承知しました。いつまでに初期化すればよろしいでしょうか?」
「今すぐだ」
「今すぐ? ……せめて本日中ということにしていただけないでしょうか?」
「いいだろう。明日の朝イチにまたクライアントとオンラインミーティングだ。それまでにやっておけよ」
初期化の手順はシンプルだった。それを行えばAIの人格は消えて赤ちゃん同様の状態になる。その状態に戻したあとで別のAI人格を移植すれば処理対象のAIはその瞬間からまったくの別人として生きることになる。
会社はそうやって過去に何体ものAIを葬ってきたのだった。