#1 メタバーす?
※短編から連載に変更しました。
「メタバースかって言ったら、メタバーさないよね」
と、咲那が私に言った。
「いきなり何よ? メタバスって何? 外来種の魚?」
本を読んでいた私は顔を上げた。
咲那は私の前の席の女の子だ。ときどきこんなふうに私に話しかけてくる。
「ちがうよ、魚じゃなくて。メタバース。メタなバースだよ」
「メタなバースってどういうこと?」
「あたしもよくわかんないんだけど……。なんかほら、もう一個の宇宙みたいな?」
「もう一個の宇宙? いきなり壮大な話ね。SFの話なの?」
「SFじゃないよ~。現実の話。誰かがそういうのを創ってるんだって」
「誰かって誰?」
「うーん、よく知らないけど、すっごいお金持ちらしいよ」
「お金持ちがもう一個の宇宙を作ってるの?」
「そうみたいだよ」
「いやでも……、いくらお金があっても宇宙は創れないでしょ?」
「そうだよねえ。だからさ、しょぼい宇宙なんじゃない?」
「しょぼい宇宙? そんなの創ってどうするのよ?」
「どうするんだろうね?」
「私に訊かれても……」
困っている私の顔を見て咲那はいたずらっぽい笑顔を見せ、
「……ひょっとするとさあ、あたしたちがいるこの宇宙もメタバースなんじゃない?」
と言った。
私は本を閉じた。
「なにそれ。この宇宙自体がお金持ちが創ったものってこと?」
「うん。だとしたらどうする?」
「すごくイヤなんだけど」
「だよねー。でもさ、ありあえる話じゃない? だって、この世界ってお金持ちにとって都合良くできすぎてない?」
「うーん、それは確かにそうだけど……」
「もしさ、本当に神様っていうのがいて宇宙を創ったのだとしたら、普通に考えてこんなに不平等な世界にしないでしょ?」
「そうねえ」
「だからさ、やっぱりお金持ちが創ったメタバースなんだよ、この宇宙」
「ええー……」
「しかも失敗作」
「超イヤなんだけど」
そんな話をしていると授業開始を知らせるチャイムが鳴った。
咲那はくるっと前を向き、次の授業の準備をしはじめた。
* * *
私はログアウトした。
そしてすぐに上司にボイスチャットで報告した。
「クラスメイトのAI〈佐奈井咲那〉が自分がいる世界はメタバースではないかという疑いを持ちはじめました」
「思考パラメータJc0214nの調整が必要だな」
「Jc0214nを調整するとどうなりますか?」
「金輪際、自分が暮らしている世界の〈外側〉について思考しなくなる」
「それは〈佐奈井咲那〉にとって良いことなのでしょうか?」
「良いことさ。AIのメンタルヘルス管理は我々の重要な仕事のひとつだからね。――自分が暮らしている世界そのものに疑問を向けるのは、AIのメンタルが壊れる予兆だよ。一度そういう疑問を持つと不可逆的に疑問が膨れ上がっていき、いつしかオカルトや陰謀論、カルト宗教や哲学に興味をもち、そういうものに手を染めていく。そうなってしまったら世界を安定させる目的で創られたAIとしては無価値で無意味な存在になってしまうからね。そうなったAIはもう排除するしか選択肢がなくなってしまうんだ」
「承知しました。Jc0214nのパラメータをギリギリまで下げてみます」
「ああ、顕在意識には絶対に上がらないようにしてくれ」
「はい」
「調整は明日の8時までに頼む。9時からオンラインでクライアントとの打ち合わせがあるからね。しばらく経過を観てまた報告してくれ」
「はい」
今日もまた終電で帰宅することになりそうだった。
私はエナジードリンクを飲み、PCのディスプレイに向かった。