メンデルの花占い
友達だと思っていたのに。こんなことなら最初から信用しなければよかった。
階段の踊り場まで逃げた私は、その場に屈んで顔を伏せた。泣き出したい気持ちが溢れてきた。
どうして裏切られたんだろう。
応援してる。そんなふうに言ってくれたはずなのに。
***
麗子との出会いは教室だった。
彼女は前の席に座っていて、座ったまま身体だけをこちらに向け、何の前触れもなく言った。
「血液型、当ててあげる」
よく見ると、彼女の机には血液型占いの本が置かれている。私は思わず笑ってしまった。
「そんなことできるわけない」
「性格さえわかれば楽勝よ」
性格と血液型との因果関係に科学的根拠はない。もし当たってもまぐれだ。
「三つだけ質問をさせて。イエスかノーで答えられる簡単な質問。それをヒントにして当ててみせる」
「いいよ」
「嘘偽りなく答えてね」
私は頷いた。すると麗子は椅子ごと私の方を向いて座り直し、少し声を落として訊いてきた。
「あなたは……A型ですか?」
「シラミつぶしかい!」
私はつい突っ込んでしまった。
***
「好きな人ができた」
麗子にカミングアウトしたのは、相談に乗ってくれると思ったからだ。彼女は目を丸くして驚いている。
「マジか! 応援してる」
「ありがとう」
「だれ?」
「杉道くん」
麗子は何度か頷いてから言った。
「杉道って結構モテるんだよね。うちのクラスにも狙っている子が何人かいるみたいだし」
「そうなんだ……」
知らなかった。でも考えてみれば当たり前かもしれない。あんな素敵な人が人気がないなんておかしい。
私の不安を悟ったのか、麗子は私の肩を叩きながら笑った。
「出し抜こうよ、協力する」
その言葉を聞いて安心した。麗子に相談して良かったと思う。
その日の放課後、空き教室で作戦会議が開催された。麗子はなぜか伊達メガネをかけている。ホワイトボードまで用意して準備万端だ。
「まず、相手に自分のことを意識させることが大切です」
「具体的にはどうするんですかー?」
私は手を挙げて質問した。すると麗子が教壇から降りて私のほうに迫ってくる。
「ちょっと、麗子?」
私は思わず後ずさりをした。しかし麗子の勢いはさらに増すばかりである。
ほとんど鼻が触れるような距離にまで接近したところでようやく止まった。彼女のきれいな目が近い。心臓がドキドキと早鐘を打つ。
「ゴミ、ついてるよ」
麗子は私の前髪に触れた。どうやら前髪についたゴミを取ってくれたらしい。彼女は目を細めて微笑んだ。
「ドキドキした?」
「はい……」
「がんばってね」
私は胸を押さえながら呼吸を整えた。
***
それから数日後、あの空き教室の扉が開いているのに気が付いた私は、中に足を踏み入れた。
窓際の席に座って外を眺めている麗子をみつけた瞬間、私は息を呑む。
そこには杉道くんがいたのだ。
二人は私の存在に気付かないまま、談笑している。私は耳を傾けた。
「あなたは……A型ですか?」
聞こえてきた麗子の声に驚いた。なぜか嫉妬心が沸いた。うまく説明できないけれど、私たちの出会いが蔑ろにされたような感覚。この場にいる自分が恥ずかしくなった。
「あ」
麗子が杉道くんのほうに顔を向けて口を開いた。
「じっとしてて」
杉道くんは麗子の指示に従った。
すると麗子が彼に顔を寄せた。ほとんど鼻が触れるくらいの距離まで接近したところで止まる。彼女は彼の前髪に手を伸ばした。
「痛っ」
杉道くんが呟いた。
「あ、ごめん。ゴミがついてたから取ろうと思ったんだけど……。髪まで抜けちゃった?」
「大丈夫。ありがと」
これ以上、聞いているのが辛くて私は逃げ出した。廊下を走り、階段の踊り場で屈んで顔を伏せる。涙が出てきた。
***
翌日、喫茶店に麗子を呼び出した。昨日の件について問い詰めるためだ。
「ちょっと待っててねー」
遅れてきた麗子は、席に座らずにそのままトイレに向かった。彼女の顔に悪びれる様子はない。私が気付いていないと思っているのだろうか。
ふと、テーブルに置かれた麗子のスマホに視線が泳ぐ。きっと彼女は本当のことを言ってくれない。嘘をついて乗り切ろうとするはずだ。だったらここで決定的な証拠を見つけておくのも、アリなのではないか。
私は麗子のスマホに手を伸ばした。パスワードでロックがされている。麗子の誕生日はいつだったか。……なかなか思い出せない。
早くしないと彼女が戻ってくるかもしれない。私は焦った。ひとつ思い当たる節があり、その四桁を試してみる。
……開いた。
できれば開いてほしくなかった。
開いた時の画面を見て、私は強い衝撃を受ける。それはとあるサイトだった。姓名判断ができるサイト。名前から運勢を調べる占いだ。
麗子が調べていたページには『佐々木麗子』という名前の占い結果が書かれていた。麗子の苗字は『南川』である。それでは『佐々木』とは誰の苗字なのか。
……杉道くんの苗字だ。
私は千円札と麗子のスマホを置いて店を飛び出した。
『ごめん、先に帰る』
メッセージを送った。
麗子のスマホのパスワードには、佐々木杉道くんの誕生日が設定されていた。
***
それから私と麗子の関係は崩れた。彼女を見かけても無視をする。話しかけられても答えない。
そんなある日、駅前で大学生の男と話す麗子を見かけた。二人とも神妙な表情をしている。
麗子は私が見ているのに気付くと、走りながら近付いてきた。
「ねえ、話があるの」
私は無視を続ける。
「聞いて。大事な話」
「杉道くんとはもう別れたの?」
強い語気で言った。友達の恋を邪魔するだけ邪魔して、遊び終えたら今度は年上の大学生。ふざけるなと思った。
「え?」
麗子はピンと来ていない様子だった。
「……なにか誤解してる。とにかく話を聞いて。杉道も関係する話だから」
***
私たちはまたあの喫茶店を訪ねた。
どんな言い訳を考えたのだろうか。私は仏頂面でストローをくわえた。
すると麗子が鞄の中からいくつかの資料を取り出した。難しい言葉が並ぶ資料のとある単語に目線が奪われる。
DNA鑑定……?
麗子はコホンと咳払いし、衝撃の告白をする。
「どうやら私、南川麗子は佐々木杉道と双子の兄妹だったようです」