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叔父上



「朝日君?」


 小さな黒猫を追おうと扉のノブに手をかけたその時。セシルに肩を掴まれて静止される。


「セシルさん。今ね黒い猫ちゃんがいてね」


「追いかけようとしてたの?」


「うん?たぶん」


「そっか。でも、もうユリウス達との約束の時間だよ」


「あ!シェフと約束してたんだった!」


「そしたら宿に戻ろうか」


 セシルは朝日の手を引いて店を出る。

 流石にもう黒猫の姿は見当たらなかった。



 宿屋に着くと待ってました、と言わんばかりにクリスが大きく手を振って出迎えてくれた。

 相変わらず何やら資料と睨めっこしているユリウスは朝日達が見えると掛けていたソファーから立ち上がりスタスタと先にレストランへ向かう。


「今日はあのボソボソ食べないといけないのか」


「大丈夫だと思うよ!」


「朝日、また何かやらかしたか?」


「僕、何にもやらかしてないよ!」


 揶揄うクリスに本気で向き合う朝日の姿がとても可愛らしい。セシルにはそんな細やかな時間がとても大切に思えた。


 レストランに着くと昨日よりもとても混み合っていた。ウェイター達が忙しなく料理を運んでいるが、頼まれているのはみんな同じ料理だった。


「朝日、まじで何やらかした」


「朝日君?」


「え?シェフが昨日のお肉が欲しいってギルドに依頼に来てたから売ったんだ。なんか気に入ったみたい」


「この先も当てにされるかも知れないぞ」


「シェフはそんなに馬鹿じゃないみたい。僕が帝国の人間じゃないって分かってちゃんとギルドに依頼出して帰ったから」


 トリプルホーンは普段余り食べられる食材じゃない。と言うのもその巨体が大き過ぎて持ち帰るのが困難だと言う事と、三つの角が素材としてそれなりの価格になるのでそちらを優先するからだ。

 だから高ランク冒険者の間では美味しい肉だと有名だが、一般市民や貴族達が味わう機会は無かったのだ。


「本日は新メニュー、ホーンステーキのコースがお勧めです」


「じゃあそれを4つ」


「かしこまりました」


 ウェイターが注文を取って足早に厨房へ入る。それとすれ違うようにしてシェフが足早に朝日の元へ向かってくる。

 直ぐにセシルが席を立ってシェフを止めると彼は少し立ち話をした後、何も言わずにまた厨房へ戻って行った。


「セシルさん、何話してたの?」


「朝日君が食材提供者だとバレない方が良いと思ったんだけど、遅かったみたいだね」


「…僕、ギルドで出しちゃった」


「シェフもそう言ってたよ」


 その後すぐに料理が運ばれてきた。

 セシルに怒られないで済んだ、と朝日はすぐにサラダに手をつけた。やはりこれはそんなに美味しくない。塩味、それ以外に表しようがない。

 でも、周りを見ると信じられないくらい美味しいものを食べた、と言わんばかりに深いため息が至るところから聞こえてくる。


「みんな朝日君に感謝するね」


「セシルさん、怒ってる?」


「え?私が何故朝日君を?」


「怒ってないの?」


「怒るわけがないよ。朝日君は皆んなに美味しいものを食べて貰っただけ。守るのは私達の仕事だからね」


 今もなお自分は彼らに守られる存在である事を忘れていたようだ。朝日は少しシュン、として顔を伏せってしまう。

 セシルは朝日の頭をまるで毛並みを整えるかのように優しく撫でる。


「朝日君がしたい事をしたいままにすれば良い。君がしたい事をすればみんながこうして幸せになるからね。それが君の冒険者としての仕事。それで朝日君が危険になるならそれは戦いが得意な私達の仕事だよ」


「僕の仕事…」


「そう。出来る人が出来る事をする、農家は畑、漁師は漁、狩人は狩、騎士は国民と国を守る。それが国を回すんだよ」


「うん!」


 セシルの優しく温かな手に撫でられて艶々とした髪がハラリと舞う。急に抱きつく朝日を簡単に受け止めたセシルもまた歴とした騎士なのだ。


「お待たせ致しました。ホーンステーキです」


「昨日までのボソボソは何だったのでしょう」


「…あ!ユリウス先食べんな!」


「朝日、上手い」


「ユリウスさんほっぺにタレついてるよ?」


 膝に乗せていた真っ白なナプキンでユリウスの頬を拭う。ユリウスも特に気にする事なくそれを受け入れる。


「貴方は子供ですか…」


「だから、いちゃつくなと言ってるだろ!」


 呆れるセシルと怒れるクリスをも無視する二人は一体周りには何に見えているのだろうか。



「ふぅー、美味かったな。あのステーキだけ」


「中々だった」


「ユリウスさんが褒めた!」


「あれは私でも食べ易くて美味しかったです」


「柔らかかったもんね!」


 料理の感想を語りながら部屋へと戻る。

 ナイフで簡単に切れる柔らいのにしっかりと食べ応えのある肉質と程よい脂身。その脂の甘さとソースの塩気が絶妙で、添えられた真っ白なペーストはマッシュポテトのようにまろやかで何もかもを中和させてくれる。


「だろ?俺も満足している」


「シェフ!」


「坊主のお陰で助かった。最近は思うようにいかなくてな、少しムシャクシャしてたんだ」


「ほっぺた落ちそうだった!」


「あぁ、最高の褒め言葉だ。本当に感謝している。これが肉と野菜の代金だ」


「うん!あとね、僕一個良いアイディアあるんだけど…」


 朝日はまたポシェットに手を突っ込む。シェフは思わず朝日に駆け寄って朝日が何をしでかしても良いように辺りを見渡す。


「これね、帝都に来るまでの森によく映えてる野草何だけど、これ僕の国ではよく食べられてたんだ」


「なんだ?凄く青臭いな…」


「これ、茎の方から茹でて胡麻和えとか美味しんだけど」


「“ゴマアエ”?」


「あ、これが胡麻だよ。これをすり鉢で擦って…」


「皆まで言うな。ベリンレルの料理長としての威厳があるんだ」


 腕を組んで、朝日を上から見下ろすシェフは言う通り威厳たっぷりだ。朝日は満面の笑みで頷き、“ほうれん草もどき”を手渡した。


「やっぱりお前はやらかしてたな」


「僕はお仕事したんだよ」


「そう、朝日君は冒険者のお仕事をしたんだ。寝てばかりで何にもしてないクリスにとやかく言う権利はないよ」


「何もしてないだと!?俺は昨夜も…!」


「お前は何もしてない」


「…あ、いや…まぁ、してないな」


 ユリウスの凄みに負けたクリスは先にとぼとぼと部屋へ向かって歩き出す。三人が何かしているのは知っている。夜居なくなっている事も。

 それでもあえて何も聞かないでいた。

 昨日の夕刻時に三人の会話を聞き損ねてから気になり続けているが、さっきセシルに『冒険者としての仕事をする』と言われて思った。朝日に冒険者としての仕事があるように、彼らには騎士としての仕事があるのだと。

 全く気にならないわけではないが、隠そうとしている事を無理に書き出す訳にもいかないし、それにはきっと彼らなりの理由があるだろうから。


「あー、俺少し腹ごなしに散歩に行ってくるわ」


「僕もついて行っていい?」


「ん?別にいいけどぷらぷらするだけだぞ?」


「うん」


「んじゃ、行ってくるわ」


「行ってきます!」


 クリスと2人っきり、と言うのはあまりなかったなぁ、とふと思う。

 クリスはかなり自由人で好きな時に寝て、好きな時起きて、好きな時に食べて、好きな時に出歩く。夕食はセシルに言われて一緒に取るようにしているが朝、昼はいなかった。


「今日ね、セシルさんとお店に行ったんだ」


「あ~、エルガバフのところだろ?」


「うんと、叔父上って呼んでた」


「それがエルガバフ。セシルの本物の叔父さん。確か母方の兄弟だよ」


「エルガバフさんも暗殺屋さん?」


「あの人はただのアクセサリー屋だろ」


「ふ~ん」


 エルガバフにあった時、何か気になる事があった。でもその何かは分からない。ただとにかく何かが気になったのだ。


「後ね、お店に黒い猫ちゃんがいて、自分で扉を開けて出て行ったんだよ?」


「猫が店に?そんな事ありえねぇと思うけどな」


「どうして?」


「アクセサリー屋って結構狙われるからな。色々と面倒な魔法をかけてんだよ」


「そうなんだ」


 詳しくは説明してもらえなかったが、普通は入れない空間に何故か子猫が入り込んでいた。

 朝日はその黒猫のことが何故だか妙に気になった。








 


 

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