暗殺者は
セシル達に声をかけて朝日はそのウェイターと共に厨房へ向かう。セシルが嬉しそうに笑っていたので、よっぽど料理が嫌だったのだろう、と朝日は可笑しくなった。
厨房へ向かう二人の後ろを窓際で控えていたジョシュもいつの間にかついて来たが、それが彼の仕事なのだろう。
「…何だ、坊主。この私に文句でも言いに来たのか?」
「シェフ、この方が食材を提供するので是非腕を振るってただきたいと」
「…どうせ大した物じゃないだろう」
久しぶりにその腕を存分に振るえるかもしれないこの話しにはとても興味はあるが、多分良い腕を持ってしても食材が残念過ぎるあまりに思うように腕が振るえず、それなのに客から文句が来るのだから鬱憤が溜まっているのだろう。
「セシルさんは多分お肉よりお魚や海老の方が好きだからこれとこれにして…クリスさんとユリウスさんはお肉!塊が良いよね。あれ使っちゃおうかな!」
「後は付け合わせ用の野菜を数種類、その他スパイスなどの調味料などが有れば宜しいかと」
「分かった!」
ジョシュ言われた通りに素直に肩に掛けられているポシェットから次々と物を出していく朝日。
シェフ達からの驚愕と困惑の声も全く気にする事なく笑顔で問いかける。
「皆んなは何が好きかな?」
「皆んな、とは?」
「ユリウスさんとクリスさんのとこの執事さんとかクロムさんとかユナさんとか」
「使用人達ですか?確か、執事長はお酒が好きです。後塩辛い物もよく好みます。目が冴えるそうです。ユナさんはパイをよく食べているのを見かけます。表情が変わらないので好きかどうかは…」
「お酒と塩辛いもの、パイ…」
「あと、ユリウス様とクリス様の従者の方々ですが、数日ご一緒させて頂いきましたが、旅ですので携帯食が多く好みまでは把握しておりません。ただ、ユリウス様の従者の方は良くナッツやクフンを口にしておりました。クリス様の従者方はどちらかと言えば干し肉や魚などの乾物を召し上がっていたと記憶しております」
「クフンって甘酸っぱいジュースとかに使われてる果物だよね?」
「えぇ、赤く一口大の小さな木の実です」
「ジョシュは良くみんなを見てるんだね」
一瞬何と言われたのか脳が上手く処理しきれず、ジョシュは思わず言葉を詰まらせる。彼からすればそんな事は当たり前。仕事であり、訓練でもあるから出来て当然のことだ。その筈なのだ。
なのに朝日は自分が本当に凄いことをしているのか、と錯覚するほどに褒める。それも上辺ではなく、何故か心に響くのだ。
あたかも心の中を覗かれているかのような、理解されているかのような、そんな不思議な感覚だった。
「ジョシュは何が好き?」
「私ですか?」
「うん!」
ジョシュは少し考える為に無言になるが、暫くすると首を振ってしまう。
暗殺者は色んなことを身に付けるが、特に重要なのは心を殺し、感情を消し、我をなくす事。任務を忠実にこなす為には情け容赦は要らない。小さな心の乱れで逆に殺されてしまった者も少なくないのだ。
クロムや双子は上手くそれを切り替えられるようだが、未熟な彼にはそれはまだ難しい。
「特にないです。きちんとお答えしたかったのですが、朝日様、大変申し訳ありません」
「じゃあ、ジョシュは疲れた時何食べる?」
「…果物を少々…」
「シェフさん!デザートも出来ますか?」
「…あぁ、俺に出来ないことはねぇ」
「じゃあ、これで!美味しいのをお願いします!」
朝日はそう言うと楽しそうにルンルンと鼻歌を歌いながらジョシュの手を引いて厨房を後にする。
閉じ掛けた扉の向こうから何やら騒ぐ声が聞こえてくるが、当然の如く朝日は何にも気にしていない。
「朝日様!」
「あ、ごめんなさい」
「…主人やエナミラン侯爵閣下、ランダレス卿とお手をお繋になるのは全く問題はありませんが、使用人とはいけません。それと、私に謝罪など必要はありません。ぶつかったり、蹴ったりしても貴方様は決して使用人に謝る必要はないのです」
「僕蹴ったりしないよ」
「比喩です」
「んー、でもクロムさんもユナさんシナさんもラムラさんも手繋いでくれる」
「ラムラは別ですが、その三人は貴族家のご出身です。私やラムラの様な末端の人間にはダメです」
「ジョシュ、手を繋ぐって言うのはね色んな意味があるんだよ。守りたい、安心させたい、大好き、愛してる、とかね。僕はジョシュと仲良くなりたい!だから手を繋いでる」
「…私と仲良く?」
「うん!」
言葉にまではしないがあり得ない、と言いたげな表情をするジョシュ。彼が頑なに壁を作るのには何か理由があるのだと朝日は理解してあげたかったし、受け入れてあげたいのだが、それと同時に彼が自分自身を拒否するような、きちんとは説明できないがそんな姿を見たくないと思ってしまった。
「ジョシュ、楽しみだね?」
「何が…楽しみなのでしょうか?」
「ご飯だよ!」
お腹すいたなぁ、と呑気なことこの上ない朝日にジョシュは何故だか目が離せなくなっていた。
「おかえり」
部屋に戻るなりセシルが声をかけてくれる。使用人達が用意したのだろう紅茶の良い香りが部屋中に立ち込めていた。
セシルに招かれるまま隣に腰を下ろすと、目の前に湯気がたった入れたての紅茶がすかさず用意される。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「どうだった」
素っ気なくも一言漏らしたユリウスに朝日は微笑む。
普段食事にあまり感心のないセシルでさえあの絶対に崩さない表情を歪ませたのだ。食に関して感心のあるユリウスなら今回の食事に関しての不満は相当なものだったのだろう。
「今度は美味しいの食べれると思うよ!ユリウスさんとクリスさんのためにトリプルホーンも置いて来たし!」
「まじか!あんなでっかいの良く厨房に置けたな!流石ベリンレルってとこか。でもそれなら解体に時間かかりそうだな」
「うん?」
「朝日様は既に解体済みの物を出しておられてました。直ぐに出来上がるかと」
「は?いつの間に解体してたんだ?」
「解体してくれるんだ」
「誰が」
「ボックスさんが?かな?」
朝日も原理に関してはよく理解していないようだ。そうして欲しいな、と思うとそうなっているのだから分からなくても仕方がないのかもしれない。
「しかし、本当に状況は悪いですね」
「食料もないもんね」
「そうだね。こんな事態になっても物というものはあるところにはあるんだよ。なのに、先程のレストランの様子を見るにこの国の貴族ですらこの状況を理解していたんだ」
「じゃあ貴族さん達も逼迫してるってことだね」
「貴族ですらこの状況…いつ謀反が起きても可笑しくないが、皇帝が魔法石を持っている以上負け戦だ」
魔法石の利用価値については朝日もチェルシーから良く聞いていた。ポーションに関して言うなら薬草や素材の育成や複製、消耗品の道具なども魔法石での修復、複製が可能で、瓶なんかもそれで大量に作成していた。
当然そうなると武器や防具などの作成、複製は勿論、修復も可能で帝都には既に武器や防具は不足している。
ましてや戦となれば食料はとても重要だ。どれだけの時間がかかるかも分からないから持久戦も見越してそれなりの量が必要となる。
何もかもを魔法石で作り出せる向こうは完全防備、何もかもを外国からの輸入に頼るしかない此方は裸で戦わなければならない。そんな状況で勝つなど奇跡が起こらなければあり得ないことなのだ。
ただ、その戦いに奇跡を起こすことのできる存在があるとしたら?彼らはどんな手段を使っても引き込もうとするだろう。
それが他国の要人なのか、はたまた商人なのか、そして…。
(朝日君を連れてくるべきではなかったかもしれない…)
セシルに漠然とした不安が押し寄せる。
今更帰すわけにも行かない。まだ此処でやらなければやらない事もたくさん残っているし、朝日を王都へ帰すとしたらジョシュしか送れない。
今彼と離れることは寧ろセシルに不安しか与えない。
ーーーコンコンッ
「お食事をお待ちしました」
「どうぞ」
今は折角朝日が手を尽くしてくれて美味しい料理を食べられるのだから、とセシルは一旦考えるのをやめた。




