心配事
「此処が…」
「はい、此処が目的地の冒険者が集まるギルドです。仕事の仲介、素材の買取、情報提供、冒険に関する事なら何でも取り扱っている所です」
「おっきい建物ですね…」
見上げるほど高い建物に呆気に取られている朝日は
首が折れるのではないか、と言うほどに上を見上げている。
このくらいの建物なら割と見かけるとは思うが、彼はそれでも興味津々で4階建のギルド窓の数を数えたり、ギルドに入っていく冒険者へ羨望の眼差しを向けている。
それならば、と朝日が気が済むまで待つ。そんな無駄な時間を過ごす事にも何も感じない。セシルは自身の心境の違和感を飲み込めなかった。
「みんな強そうですね」
「ギルドはランク制を取ってまして、達成した依頼の難度、量、質、それからその個人の資質などを加味してランクを決めます。初めはみな、Fランクから。銅で出来たプレートを貰えます。依頼は自ランクの一つ上まで。なので初めはEとFを受けるとこになります」
「凄く詳しいんですね」
「我々王国の騎士は教養も求められますから」
「それより、朝日はどんなスキル持ってんだ?」
「スキルは…秘密です」
「何だよ、ケチ臭いな」
「クリス、辞めなさい。無理矢理スキルや情報を聞き出すのはご法度です」
「それくらい知ってる」
「あの…クリスさん心配しないで。僕元々闘えないですし、魔物退治とか危ない事はしないですから」
「うぐッ……」
「ふふふっ」
心配からそう言っていたんだと本心を突かれて狼狽えるクリストファー。そうだったのかと、とさっきの仕返しとばかりにクスクス笑うセシル。
何もかも物珍しそうに眺めていた無知な少年だが、対人となると相手を良く見ているものだな、と感心する。
「此処からは我々騎士団は介入出来ない領域になります。ギルドと国はお互いに協力はしても干渉はしない、相互不干渉と決められておりますから」
「その…もし、セシルさんとクリスさんに会いたくなったら、どうしたら良いですか?」
「「…」」
彼ら二人は周りからかなり恐れられている部類の人間だ。
ハイゼンベルク伯爵家の次期当主という誰もが羨む地位にいながら、白日の騎士団副団長という二つの顔を持ち、常に微笑みは絶やさないが、何事も傍観に徹して、敵の嫌なところを突く『笑顔のすげない人』と謳われているセシル・ハイゼンベルク。
そして、代々有能な騎士を輩出しているランダレス子爵家の次男で自身の家を継ぐことはないが、剣術において天性の才能を持ち、白日の騎士団の特攻隊長という地位と同時に騎士爵位を叙爵された故に、自分ができる事は他人も出来ると思い込み、無理難題を押し付け敵味方を問わず『狂乱の鬼』と恐れられるクリストファー・ランダレス。
彼らは常に人々の羨望と嫉妬と恨みの対象だった。そんな彼らに純粋な好意のみで会いたい、と言ってくる人はどれほどいるだろうか。
これは我々に取り入るためなのか、これまでの行動ももしかして…、と小さな疑いが頭の隅に過ぎる。
「我々は基本、団の本部に詰めています。白日の騎士団本部に来て頂ければ…」
「…あ、すみません。我儘を言いました。とても話しやすいのでつい、お二人がとても偉い方なのを忘れてしまって。またいつか、お会い出来たらお礼させてください」
「…」
さっき感じたばかりだったはずだ。彼が他人の機微にとても敏感で良く周りを見ている子なのだという事を。
たった一瞬、頭をよぎった小さな疑いのせいで、傷つけてしまった。これまでただ純粋な好意から心を開いてくれていた少年が途端に心を閉ざしてしまったことに酷い落胆と後悔がセシルに押し寄せた。
「此処まで送って頂き本当にありがとうございました」
何と声を掛ければ良いのか、セシルには全く分からなかった。そしてどうして胸のあたりが痛むのか、理解できなかった。
「あー、コイツは割と忙しい。頭使う仕事してってからな。その代わり、俺は基本訓練が仕事だからいつ来ても良いぞー」
こんな時だけはこの単細胞な男を少しばかり羨ましく思う。クリストファーの言いたいことを包み隠さず素直に伝えられる所と剣の才能だけは認めている。
「その、訓練の邪魔は…」
「こう見えて、クリストファーは剣の才能だけは本当にありますから、一ヶ月くらい休んでも問題ありません」
「ふふふ、そんなにですか?」
「それと私は忙しくしてるのではなく、団長とクリスのせいで忙しくさせられているだけです。貴方がまともな人間なら私の為に少しは考えて行動してほしいですね」
「あん?俺が何したって?」
「呆れましたね。昨日も店を壊したり、捕まえた犯人を尋問する前に瀕死にしたばかりでしょう」
「それどうしようもなくね?あの男が弱すぎなんだよ」
「言い訳はいりません」
二人のやり取りをニコニコと嬉しそうに見ていた朝日をその視界の端に捉えて酷く安心する。
「ご迷惑でなければ、騎士団に寄らせて頂きます」
「はい、いつでもいらっしゃってくださいね。何なら屋敷でも大丈夫ですよ」
「お屋敷…」
「コイツも俺も一応貴族だからな。見えねぇだろ?まぁ、俺はこっちに屋敷を持ってないから騎士舎にいるがな」
「セシルさんは貴族っぽいです」
「…っこの!生意気な坊主め!」
あははは、と戯れ合う二人を見据える。
その時間がとても心地良く感じ、同時に胸の奥に引っかかるものを感じる。
「では、行ってきます。送って頂き本当にありがとうございました」
「お気を付けて」
「頑張れよ」
礼儀正しくペコリと辞儀をして別れを告げた朝日の背中に送る2人の眼差しはとても優しい。
そして同時に少し肌寒く感じる。
いなくなった所為ではなく、離れてしまった心の距離感の所為かもしれない。
「お前が取り乱すなんて珍しいな」
「今回は感謝しておきます」
素直に感謝を述べるセシルにこんなに不器用な奴だったか?、とクリスは小さく呟く。
「…クリス。私そんなに良い匂い、何でしょうか」
「お前、ずっとそんな事考えてたのかよ」
「匂いを褒められたのは初めてで。どうでしょうか」
「おい、辞めてくれよ!この俺が野郎の匂いを嗅ぐと思うか?アイツが良い匂いだと思ったんならそうなんだろーよ。そう言う意味ない嘘つくタイプじゃねーだろ。えーと、あー…それよか行かせてよかったのかよ。保護したんじゃなかったのか?」
「はい。勿論そうなのですが、あの団長に本人の好きにさせろ、とも言われたんです。だからギルドに入りたいならやらせてあげないと」
「おー、怖」
そんな気ない癖に、とわざとらしく自身を抱き締めるようなポーズを取るクリストファーにセシルは更に笑顔を送る。
本気の殺気に思わず身震いしてしまったクリストファーは視線を逸らす。
「つか、お前らしくないな」
「私らしく?団長の指示に従ったまでですよ」
自分でも感じていた違和感。
自分で言った言葉も言い訳のように感じてクリスの視線から逃れるようにその歩調を少し早める。
「いーや、そもそも普段ならこんな指示無視してるだろうが。子供なんていつも鬱陶しいってわざわざ家業の顔まで使って追い払ってるくらいなのに、頬なんか赤らめたり、挙動不審になったり、不器用かましたり、今日のお前気持ち悪かったわ」
「…それは君も同じじゃなかったですか?」
「…ウルセーよ」
たった数時間と言う時間の中ではほんの少ししか彼の事を知れなかった。のにも関わらず、心配させられるくらいにまでは懐柔してされてしまった。
彼は何か特別な事をしたわけではない。彼はただそのままの、ありのままの姿を見せてくれていただけ。
無闇に近づかず、探らず、引き際を弁え、嘘偽りが出来ないほどに変わる表情と、何も知らないような無垢さ、純粋さ。妙に惹きつけられる。だからついつい心を許してしまう。
普通の子が日常的にやっているような事を彼はあのビー玉のような薄い灰色の目を輝かせて見つめる。
いつもは子供はただただ馬鹿で、アホで、しつこくて、五月蠅く、煩わしく、話す内容もめちゃくちゃで理解出来ず、本当に面倒だと思っていた。当然、可愛いと感じたことは一度もない。なのに…。
「しっかし、しっかりしてるのに危なっかしい奴だったな」
「2人付けてます」
「はぁー。大変過保護なことで」
「貴方も今言ったばかりじゃないですか。彼が危なっかしいと」
「んで?誰付けたんだよ」
「…クロムとミューズを」
「ゲッ。あの2人かよ。つか、あのちっちゃいの。お前にゾッコンだからセシルだなんて呼ばせてるって知れたらアイツに何するか分からないぞ?俺にだって平気で剣抜いてくる奴なのに大丈夫かよ」
「それは貴方が面白がって彼女を揶揄うからでしょ?彼女にはきちんと言い含めてます。それにクロムもいるので問題ありません。それよりもこれから盗賊達の尋問です。彼らを自首に導いかせたのは何だったのか。聞き出さなくてはなりません」
「だからって、あの執事まで付けるかね?どれだけ懐柔されてんのやら」
やれやれ、と言った感じで両手を頭の後ろで組み、やる気のないように言うクリストファーに何か言うわけでもなく、ただ前を見据えるセシルは早足で騎士団の詰所へ急ぐのだった。