黒騎士
「………くん」
「…さひくん」
「あさひくん」
「…はい」
まだ重たい瞼を持ち上げ、その声の主を確認する。相変わらず無表情の女性があと少しで唇同士がぶつかりそうなほどの距離にいた。
「あら、驚かないわ」
「これで驚かなかったのは朝日君が初めてよ」
「ユナさん、シナさん、おはようございます」
「「おはようございます」」
深々とお辞儀をして挨拶した二人は淡々と朝日の準備を進めていく。相変わらずの無表情で、会話と言えば、宜しいですか、苦しく御座いませんか、などの業務的なものだけ。
それもでも、一度準備が終わればまた先程のように無表情だが、話し始める。それがなんだが可笑しくて朝日はぷくぷく、と変な笑い方をする。
「あら、朝日君が笑ったわ」
「本当ね、笑ったわ」
「ユナ、シナ、何してる」
「旦那様、朝日君が笑ったわ」
「ユナ、敬語を忘れてるわ」
「あら、旦那様。申し訳ありませんわ」
「わざとは辞めなさい」
わざとだったんだ、と朝日はキョトン、とした顔でその様子を眺めている。
「朝日くん。君は倒れたんです」
「…うん」
「倒れる前、震えていたと聞きました」
「早めに言えば良かったわ」
「…」
「朝日君が話したくないなら大丈夫です。無理に聞きません。でも、いつか話してくれますか?」
「…うん」
そう言って頷く朝日だが、その身体は倒れる前程ではなかったが、小刻みに震えている。心配するセシルはどうにかしようと朝日をただ抱きしめた。
「それはそうと朝日くん。怖い思いをさせてすみませんでした」
「…」
朝日は無言だが、首振って違う、と目で訴える。
「ここだけの話ですが、ロードは大の兄好きなんです。これも秘密ですが、ある日彼の元にとある女性から求婚の手紙が届きました。彼は彼女の真剣なアプローチにより恋に落ちた。どうなったか分かりますか?」
ブンブン、と首を振る朝日の顔をセシルは両手で優しく包み混んで自身の方に向かせる。
「彼女が本当に好きだったのは彼の兄だったんです。兄は既に婚約者がいて、仲も良かった。彼女はその間を引き裂こうとあの手この手を尽くしたが全て上手くいかず、最終的に結ばれなくとも近くにいたい、と弟のロードに求婚したんです」
「…え」
「まぁ、よくある話です」
「こんな事、よくなんてありませんよ。朝日君」
「クロムさん!」
「はい、クロムです」
何気なく会話に入ってきたクロムだったが、朝日が嬉しそうにするのでセシルは再び朝日の両頬を両手で挟み、自身に向ける。
「よくある話です」
「うん?」
何故か必死なセシルに朝日は首を傾げ、クロムは声は出さないが楽しそうに微笑み、双子は相変わらず無表情だった。
「そういえば、セシルさん」
「何でしょう」
「僕セシルさんがいい匂いだと感じたんです」
「…な、何の話ですか?」
「ロードアスターさんに聞いたんですけど、魔法には相性があって、相性がいい時は暖かく感じたり、いい匂いがしたりするって」
「…ゴホン。その通りです」
そんな事だろうとは思ったが、相変わらず勘違いされそうな話し方に思わず慌てるセシル。
「慌てる旦那様、初めて見たわ」
「私もよ」
「私もです」
三人とも驚いたような表情なのに何故少しニヤけている。楽しそうだな、と朝日はニコニコと笑い返す。
よく分かっていないようだ。
「皆さんにはまたご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。皆さんに最後に会えて良かったです」
綺麗に身支度されていた朝日は近くにあったポシェットを肩にかけたと思ったら、深々とお辞儀をしてさよならの挨拶をする。
「朝日君。その話なんだけどね」
「はい」
「…あー、なんかごめんね〜。まぁ、言ったことは本当だからさ〜」
「はい、分かってます。だから僕はこの街を出て、又前みたいに森で過ごそうと思ってます」
突然現れた、ロードアスターに当然だと、頷いて見せた朝日の表情は頑なで、無表情で、光を帯びていない。
「…いや、だから…本当の事を言ったんだけどな〜」
「はい。分かってます」
「ロード、此処でなら君を殺しても上手く処理できますね。きっと君のあの可愛い部下も協力してくれる事でしょう」
「あー!もう、分かってるって!だから〜、悪かったって!」
「…?」
朝日はその目に何も写さず、宿さず、ただひたすらに無表情のような、真剣なような表情で見据えている。何が悪かった、なのか、ロードアスターのその言葉の意味だけをただひたすらに考えていた。
「朝日君」
「はい」
「ロードアスターは“兄狂い”です」
「…はい」
「“兄狂い”は元婚約に裏切られたんです」
「…おい!その話は辞めろ!」
「…?」
「そして、“兄狂い”の彼は兄が大好きなんです」
「だから!」
セシルが一つ一つ理解させようとはっきり、ゆっくり、言葉を置くように話す。
セシルと朝日の会話を止めようとするロードアスターをクロムは笑みを浮かべたままいとも簡単に止める。
「…ロードアスターさんはお兄さんが大好きで…」
「そうです」
「その大好きなお兄さんの事が大好きな女の人と婚約して」
「はい」
「その女の人は大好きなお兄さんの婚約者の人に嫌がらせをしていて…」
「はい、その通りです」
「ロードアスターさんは、裏切られた」
「そうです、そして…」
「そして…?」
「ごめん!朝日、本当悪かったと思ってる!だから、許してくれ!」
朝日はロードアスターの謝罪にまた視線を晒そうとするが、その前にまたセシルの両手に阻まれる。
「彼はね、何もいえなかったんだ。兄も好きだし、その婚約者も好きだから、だって。でもそのせいで人間不信になっちゃって、チャラ男のフリしてるって言うね」
「…ロードアスターさんは、本当に優しい人です」
途端に向けられる哀れみの表情にロードアスターは青ざめていく。朝日にだけは同情されたくなかった。
「ロードはだから、言った通りの八つ当たり何です」
「でも、迷惑かけたのは本当で…」
「いえ、あれは迷惑なんかではありません。ほら、冒険者がよく言いますよね?名誉の負傷?出したか」
「…名誉の負傷…」
「君は英雄と呼ばれているんですよ」
「英雄…?」
少しずつ目の輝きを取り戻していく朝日。
「ゼノ氏の愛刀を見つけて、窮地に立たされていた冒険者達を救い、街を疫病という天災から救い出した英雄です」
「…僕が?」
「そうですよ。朝日君、君は英雄です」
ゆっくりと頬を伝って落ちた雫はそのまま朝日の両頬に添えられていたセシルの手に溜まる。ポロポロと流れて行くそれをセシルは拭くことも堰き止めることもない。ただ自然に流れ続けるのを見ていた。
それはクロム、ユナも、シナ、そしてロードアスターも動かず同じく見ていた。
やっと彼の心の見せてくれたように感じたから。
「だから、そんな英雄を他の街に見す見す渡すわけにはいかないのです。私、騎士ですから」
「僕…僕は…どうしたらいいの?」
「君は今まで通り此処にいてください」
「…迷惑じゃない?」
「何故君は英雄なのに迷惑なのですか?」
「僕…」
「そして、これは私の我儘ですが」
「…」
朝日の大きなビー玉の瞳がセシルを捉えている。ふとそのビー玉に自分の姿が見える。セシルはその瞳の中で見たことない程に優しい顔をしていて微笑んでいた。
あぁ、これが愛おしい、という事なのだろうか。
セシルはそう思った。
「また、こうしてお泊まり会をしたいです」
「…お泊まり会」
「あとは、騎士団にも来て欲しいですね。疲れが取れるので」
「疲れが取れるの?」
「はい、君は私の癒しです」
ふふふ、赤く腫れて涙に濡れたままだが、優しい顔で微笑む朝日をそっと抱きしめる。
「君がいないと私はストレスで死にます」
「死ぬのはダメです!」
「はい、私も困ってしまいますね」
「僕、僕はセシルさんに必要?」
「そうです。とても必要なんです」
嬉しいなぁ、とまだ濡れたままの顔をゆるゆるといつものように緩ませた朝日は今日は確認するように両頬を揉んだ。




