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お世話



 「目が覚めたか」


 目が開いているのに動かない。

 視線だけを声の方に向けた朝日は強張ったままの顔を何とか笑顔に変える。その痛々しい表情ときたら、思わず目を背けたくなる程。


「飲んどけ」


 ゼノは何やら深緑色の小さな塊を薄く開いていた朝日の口に押し込む。口の中でじわじわと広がる苦味と鼻をつんざく様な青臭い匂いに朝日は顔を顰める。

 その顔を見たゼノはぷはッ、と今まで見せた事のない潑剌とした笑顔で笑いを堪えながら、水差しを朝日の口に差し込んだ。


「ゼノさん、此処どこ?」


「俺の部屋だ」


「ゼノさんの部屋?」


 何とか苦々しい薬を飲んだ朝日だが、まだ上手く状況を飲み込めないでいる。

 全身がまるで金縛りにあったかのように動かない。薬が効いてきたのか、辛うじて指先や口、目を動かせるがこの状態では何も出来ない。

 力を入れようとしても身体が言う事を聞かず、些細な動きでも節々が軋む感覚が離れない。


「薬草ありがとうな。お前のお陰で多くの人が助かった」


 内心怒られるのでは、と危惧していた朝日だったが、ゼノのありがとうの言葉で笑顔が溢れ出る。


「本当!?良かった!薬師さんちゃんと薬作ってくれたんだね」


 聞きたい事、言いたい事、怒りたい事は山のようにある。でもそれよりも今は彼がとにかく安心して静養を取れるか、ゼノはそれだけが気がかりだった。


「お腹減ってるだろう、女将に何か軽いものを頼んでくる」


「ありがとうございます」


 この一週間の不安な日々。

 正直言って今もまだ不安だ。

 朝日はあの日から一度も目覚める事なく一週間寝続けた。常に熱に侵され、魘され、苦しそうにしていたのを見ていたゼノは代われるものなら代わってやりたい、とどれほど思ったことか。


 目を覚まさずずっとこのままなのでは?


 そんな不安が常にあった。

 街の感染者も騎士団の感染者ももう3日前には皆、目を覚ましていたのだ。それなのに彼だけが目を覚まさない。

 不安になるのは仕方のない事だ。


 部屋を出たゼノは先程まで隠していた喜びをその握りしめた手で表す。今はまだ朝日の快復を喜ぶ、それだけだった。


「…やっと出て来たかい」


 階段を降りるゼノに声をかけたのは女将だった。

 この数日朝日に付きっきりで女将が部屋に食事を届けなければご飯も食べない程ベッタリだった。不安なのはわかるし、女将もゼノが朝日を連れて来た日から出来る事ならなんだってやってやる気持ちでいた。なんなら女将は不安で痩せてしまったほどだった。


「朝日が目を覚ました。何か食べさせてやりたい」


「任せな!柔らかいものがいいね。少し時間がかかるから部屋に行って風呂でも入りなさい。アンタ、少し匂うわよ」


 少し涙を浮かべた女将はゼノに背を向けてそう言い放った。大きな桶を用意してくれた女将の行為に甘えて、ゼノはそのまま部屋に引き返す。


「メシは出来たら持って来てくれる。俺は風呂に入る」


「ゼノさん、僕もいい?」


「あぁ、そうだな」


 いくら寝汗を拭いてやっていたと言っても、気持ち悪いのだろう。ゼノは朝日に近づき背を起こしてやる。

 冒険者は長く旅に出る事も多い。

 道中、湖や川があれば水浴びをする事もできるが、森や山間にそう都合良くあるものでもない。だから一週間水浴びすら出来ないのはゼノからすれば良くある事で慣れているが、朝日はそうではない。

 何ヶ月も森を彷徨っていた、と言うことは聞いたが出会った時も臭くはなかったし、当然汚くも無かった。


「先に入ってこい」


「…ひとりで?」


「…」


 既視感を覚えるこの会話。

 ゼノは深いため息を吐いて、頭を掻く。


「いつもどうしてたんだ」


「やって貰ってた…」


「…」


 彼が臭かったことはない。それは覆らない。嘘でもない。では、誰かにやって貰っていたのか。森に居た間も?グルグルとまた状況を飲み込もうと考える。


「…ひ、一人で頑張ってみる」


「いや、一緒に入ろう」


 が、考えるのはやめた。

 今は頼める人も居ないのだから仕方がないし、身体がまだ不自由なのだ、滑って転んで頭を打った、なんて事になれば大変だ。

 意を決して上を全て脱いだゼノは朝日を小脇に抱えて風呂場へ向かう。

 風呂場、と言っても湯船があるわけではない。そんなのがあるのは最高級のお貴族が泊まるような宿で、それでもひと部屋あるかどうかだろう。

 ここは小部屋になっていて、床はタイル張り。水が流れる管があるだけでそれ以外は何もない。

 ゼノが木桶に水を張る。


「ゼノさん、魔法使えるの?」


 目を輝かせている朝日は桶とゼノの手に視線を行き来させながら言う。


「こんなのは誰だって出来る」


「僕にも出来るのかな?」


「後でやってみろ」


 そう言いながらゼノは桶の中にあった二つの石同士を打つけてカンッと音を鳴らす。ほんのりと赤く色づいたその石を桶に投げ入れる。

 ぽこぽこと気泡を出している石に朝日の視線は釘付けだ。

 軽く水の温度を確かめたゼノは朝日の服をひん剥いて桶の中に朝日をゆっくりと優しく下す。


「あったかい…」


 ふーぅ、と吐息を漏らした朝日は気持ちよさそうに目を瞑る。本来ならその桶の中の水を別の小さな桶で掬って少しずつ浴びるのだが、朝日ひとりならピッタリのサイズの桶だったのでゼノは迷わずそうした。

 桶の中には石と小さな桶の他に木の実が3つとタオルが入っていた。ゼノは慣れた手つきで木の実をお湯に少し付けて手ですり潰す。

 ゼノの手にモコモコとした泡が出来て来て、朝日の頭に乗せる。何をしていても朝日の視線がついて回りやり難い。


「…身体は自分でやってみろ」


「うん!練習する!」


 ゼノは安心したような表情をして、頭を洗ってやる。シャカシャカとリズミカルなその音に朝日はふふふ、と楽しそうな声を出す。


「お父さんとお風呂に入るってこんな感じなのかな?」


「…俺はそんな歳じゃない」


「そうだね!じゃあ、お兄さんかな?」


 ゼノは朝日の発言にそんな深い意味はなかったのは分かっていたが、返す言葉がなかった。

 一人で服を着れない、風呂に入れない、それが朝日と親との遠すぎる距離感を感じさせた。


「身体は洗えたか」


「うん!大丈夫!」


「目と口閉じとけ」


「んッ!」


 朝日がギュッと目と口を閉じたのを確認したゼノは小さな桶に用意しておいた綺麗なお湯を朝日の頭からかける。


「さっぱりだね!」


「身体は…ふけるか?」


「やってみる!」


「頭だけやってやる」


 朝日はやれないだけでやる気はある。少しづつだが動かせるようになった身体で楽しそうに大きなタオルでワタワタと格闘しながら頑張る姿に小さな笑みが溢れる。


「こっちこい」


 被ったままのタオルで上から頭を拭いてやる。きゃっきゃと楽しそうな声をあげて喜んでいる朝日を見ればゼノの不安が少しずつ和らいでいった。

 部屋に戻ると女将が丁度二人の食事を持って来たところだった。


「なんだい、二人で入ってたのかい。本当に仲のいい兄弟みたいだねぇ」


「俺はこれからだ。メシ食わせておいてくれるか」


「あぁ、任せな」


 嬉しそうに笑った女将はまだタオルに包まったままの朝日の着替えの手伝いをし始めた。

 ゼノは再び風呂場へ戻る。

 部屋の方から楽しそうな二人の笑い声を微笑みながら聞いていた。


「まだボタンは出来ないのかい?」


「…うん」


 良い身なりで帰ってきた日、朝日はゼノに着替えの手伝いを申し出る事が出来ず、女将を頼った。

 と言うのも、ボタンが出来ない=着る事は当然、出脱ぐ事も出来ない。ゼノはあの時、着替えは手伝わず、メイド達に任せた。だから、やってくれないと朝日は思ったのだ。


「練習はしたんだけど…」


「気にする事ないよ。やった事がなかったんだから」


 女将はそう言いながらも、今時そんな子がいるのか、と心底不思議に思っていた。ただ、世話焼きな女将からすれば、世話を焼かせてくれる朝日は寧ろ貴重な存在だったりする。

 お客に世話を焼きすぎると嫌がられるので普段は女将が納得出来るほどまでの世話はしないようにしている。だが、朝日は世話を焼けば焼くほど喜んで可愛い顔で笑ってくれる。女将の心を鷲掴みだった。


「ひとりで食べられないだろう。ずっと寝たきりで身体を動かすのも辛いはずだよ」


「うん、さっき薬を飲んたから少し動かせるようになったけど、まだ身体は痛い」


「そうだろうね。どれどれ、食べさせてやるからベッドに座りなさい」


 寝間着を着せた朝日をベッドに座らせて腰まで布団を掛けると、女将もそこに腰掛ける。お盆を膝の上に置いて出来立てのスープにふーふー、と息をかけて冷ましてやる。


「熱いからね、気をつけて食べるんだよ」


「うん、ありがとう」


 小鳥のように口を開けて待つ朝日。

 女将はやりたいだけやらせてくれる相手をやっと見つけ、とても嬉しそうだった。

















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