先生
パーティーを終え、馬車に乗り込んだ二人の間には沈黙が続いていた。
別に悪い空気ではない。
沈黙が続いても気にならないくらいに二人はお互いを認識出来る距離感にいるだけだ。
ユリウスにもたれかかる朝日はウトウトと目を閉じかけていて、ユリウスはそれを邪魔しないように窓の外に視線を逃していた。
パーティーでの朝日の姿はとても凛々しく見えてユリウスは心底安心し、心底不安になった。
誰にでも分け隔てなく接し、全てを受け入れて来た朝日にも一応彼なりの優先順位と言うものが存在していて、あの場では何よりもユリウスを優先的に見ていたのだと分かったからだ。
そこに内容の大小は関係ない。
だから、例え誰かが目の前で怪我をしようが、苦しめられていようが、ユリウスが迷惑そうにしていればそれを優先する。
多分それはセシルにもクリスにもゼノにも適応されていて、分け隔てなく接するのはそれ以外が皆、朝日の中では貴族であろうと平民であろうと、騎士であろうと農民であろうと、同じ価値にしか見ていないからだ。
「朝日様、寝ちゃいましたね…」
「あぁ」
顰められた声にユリウスは小さく反応する。
窓の外から覗く月明かりが横で安心し切った顔をしている朝日を照らしている。
カイトがしたかった事を知った時、もし、朝日が同じ目にあっていたのなら自分でもそうしたかもしれない、とそう思った。
二人は昔から仲が良く、ユリウスが此方に留学していた間に婚約していたので顔も知っていた。それなりに世間話を交わしたこともあった。
だから、傷物になった彼女を見て少なからず、あの公爵令嬢を陥れられたことにスッキリした気分にもなった。
「朝日様はどうやって御令嬢の傷を?」
「多分、王女の時に使ったホーリーストーンに近い物だろう。治癒の最上級版だろうな」
「…そんな物を使ったと知れ渡ったら…」
「…知れ渡る事はまず無いだろう。カイトが何とかするだろうし、そもそもそんな伝説級の代物の存在自体誰も信じない」
「でも、もし…この話しが“片喰”側に伝われば…」
「…動きが活発になるかもしれないな」
一抹の不安を感じながらも、片喰との決着がつくかもしれない絶好の機会が訪れたことに、ユリウスはまさかな、と小さく呟いた。
それからユリウス達は丸一日観光を楽しみ、二日かけてユリウスの領地ルーメナーに戻った。
「ユリウス様、お手紙が届いております。火急との事です」
戻ったばかりの二人の元に少し慌てた様子でシャルナークが一通の手紙を持ってきた。差出人はセシルで手紙の内容はオルブレンが見つかった、との事だった。
実際にオルブレンを見つけたのはアルメニアとウルザボードの国境近くで、保護した時の彼の精神状態はかなり危なかったとも書いてあった。
「届いたのはいつ頃だ」
「今朝のようです。なので昨日にはもう見つかっていたのでしょう」
「…明日、予定通り立つ。準備を進めろ」
「かしこまりました」
時刻はお昼を回っている。
明日の早朝には此方を出ることになるのでルーメナーを見て回れるのはこれが最後になる。
ただ、長い旅路と連日の観光ですっかり疲れている朝日は今もまだウトウト中だ。
それならもう屋敷でゆっくりするのも悪くない、とユリウスは腕の中でもぞもぞと動く朝日を自室に連れて行く。
「お着替えをお手伝いに参りました」
「…あぁ」
服のシワなど全く気にしないユリウスは既に首元のボタンだけ外して朝日に布団をかけようとしているところだった。
メイドは慣れた様子で朝日を起こすことなく服を脱がせていく。その様子を横で見ていたユリウスが感心したように一息つくと、彼女は小さくお辞儀をする。
最後にいつもの朝日らしいワンピースのような寝間着を着せて、ユリウスのお茶まで用意すると、速やかに部屋から退室する。
「ユリウス…しゃん」
用意されたお茶を飲もうと、カップを手に持ったところで少し掠れたような声が聞こえてくる。
ユリウスはカップを置き、ゆっくりと朝日に近づく。まだ閉じられたままの目を見て一応確認する。
「…起きてしまったか?」
「僕…お魚釣ったよ」
「…フッ」
何の夢を見ているのか。
可愛らしい寝言と掴まれたシャツを見てユリウスは小さく笑う。ベッド脇に置いたままになっていた本を手に取って、そのまま深い眠りになるようにと優しく頭を撫でながら本を開いた。
「朝日様、お着替えをお手伝いに参りました」
「シャルさん、ユリウスさんまだ寝てるの」
まだ横になっているが目をぱっちりと開けている朝日の横に寄り添うように寝息を立てる主人の姿を見てシャルナークは笑ってしまった。
朝、部屋に入ればもう起きて支度を整えている。ユリウスがまともに寝ているところなんてもう何年も見てなかったシャルナークにとっては嬉しさ反面、可笑しさが込み上げてきた。
何年もまともに寝れなかったのにこんなに簡単に、しかも部屋に誰かが入って来ても起きないほどに熟睡しているのだ。
「朝日様、起こして差し上げてください」
「でも、ユリウスさん。凄く疲れてるんじゃ無いかな?」
「えぇ。でも、朝日様と夕食を共に出来なかったと知ったらお怒りになられるはずですから」
「そうなの?もう一回夕食食べる?」
朝日の可笑しな提案にシャルナークは再び込み上げてきた笑いを抑えて、ニッコリと微笑む。
「朝日様は少食なのですから、難しいんじゃありませんか?」
「うーん。…ユリウスさん、起こすね?」
「はい、そうされて下さい」
ユリウスの揺らす朝日を横目にシャルナークはユリウスの着替えも用意する。
久しくしていなかったその行為に懐かしさと嬉しさが込み上げてきて、もうずっと朝日様がお屋敷にしてくれたら良いのに、と小さく呟いた。
「ユリウスさん、ご飯食べるよ」
「…夕食か?」
「うん、寝ちゃってごめんなさい」
「フッ、釣りは楽しかったか?」
「釣り?」
何のことだか分からないと首を傾げる朝日の頭にユリウスはポンと手を置いた。
「此方を」
「あぁ」
シャルナークから手渡された服に着替えるユリウスの横で朝日も着替える。
「ボタンの練習したの。……ほら!首のはまだ、出来ないんだけど…」
「朝日様、お上手ですよ!ボタンは少しコツが必要ですから。見てください。首のだけ穴が横になっているんです」
「本当だ!そっか、だから難しいんだね」
こんなに不器用なのに良くポーションや錬金術をこなしてたな、とユリウスが感心していると、朝日は首元のボタンにも挑戦し、見事に成功させる。
「朝日様には先生が足りなかっただけなのです。きちんとやり方を知れば、何でも出来るようになりますよ」
「…シャルが先生してくれる?」
「私で良ければ是非させて下さい」
「本当?嬉しい!」
シャルナークが心の中でヨッシャー!と叫んでいるとは知らない朝日は零れ落ちそうなくらいに頬を緩ませて笑う。
「ユリウスさん?」
「いや、その…柔らかそうだったから」
「そうなの。僕、豚さんになっちゃうかも。最近みんながほっぺを触るんだ」
「大丈夫だ。まだまだ足りてない」
自分の頬を触りながらどうしよう、と困った表情をする朝日にユリウスは真顔で足りない、と言う。
「シャル、僕が豚さんになりそうになったら教えてね。みんな僕のこと豚さんにしたいみたいだから」
「かしこまりました。私が責任を持って朝日様を立派な男性になれるようにお支え致しますのでご安心ください」
「うん!」
「…みんな待ってるぞ」
すっかり仲良くなった二人を見てユリウスはそう言って自室のドアを開けて待つ。
朝日の着替えを終わらせたシャルナークに元気よくお礼を言ってユリウスの手を握る朝日。
(もう、十分ご自分の方が仲良くなってると分かってないのかな?)
シャルナークの小さなため息が誰も居なくなったユリウスの部屋に響いた。