筋書き
「一体何があったのですか?」
落ち着いた声で言うのはこのパーティーの主催者であるフォーグナー伯爵だ。夫人も一緒に連れているところを見るとパーティーの責任者としての気遣いを感じる。
「この男が!」
「…閣下、大変申し訳ありません。こんな猥雑な者をパーティーに招いてしまったのは私の失態でございます。…おい、今すぐ閣下のお目の届かない所へ連れて行け」
「なっ!何を言ってるの!?」
フォーグナー伯爵の言葉に顔を青ざめさせる彼女は触るな!と泣き喚きながらそれでも引き摺り出そうとしている兵士達に必死の抵抗をする。
「まさか、公爵家の令嬢があの様な態度をするとは…本当に申し訳ない。どうか、フロンタニアとの友好は切られぬようお願い申し上げます。………皆様にもこの様な醜態を晒してしまい申し訳ありません。我が家の秘蔵の美酒を振る舞わせていただきますのでどうかこのままお楽しみ下さい」
パチパチ、と歓迎の拍手を贈られたフォーグナー伯爵は夫人と共にゆっくりと、そして深々とお辞儀をして下がる。
「ユリウスさん、もう大丈夫だよ」
「…そうだな」
彼女の攻撃を交わすために朝日を抱き抱えていたユリウスはそっと地面に下ろす。
そして、背後から近づいてくる気配に大きなため息を吐く。
「危うく、朝日が怪我をさせられる所だった」
「まさか、子供にまで手を出す程に品のない奴だとは。想像の遥か上を行く女だったな」
「小さくて巨乳でしたね」
「そうなんだよ。だからこそ、始末したかった」
ニヒルな笑みを浮かべるカイトに朝日はコクリ、と頷いた。
「あの女の痴態は今回だけじゃないんだ。パーティーのたびにやらかしていてな。でも、公爵家の令嬢だろ?誰も止められなかったんだ」
公爵家の令嬢である彼女は自身に逆らうことはないと相当不遜な態度を続けていたらしい。
パーティーでは足を引っ掛ける、ドレスにお酒をかける、暴言を吐くなどの事を日常的に行い、とあるパーティーでは参加者の女性と口論となり、顔に傷を負わせたこともあったのだと言う。
周りはかなり手を焼いていたそうで次第に彼女はパーティーにも招待されなくなっていった。
すると今度は自身を溺愛している公爵である父にお願いして招待状を送るよう貴族達に圧力をかけ始め、本当に誰も逆らえない状況を作り出した。
結局、誰もが彼女を恐れて、傷物にされた女性は泣き寝入り、逆らう者は一人も居なくなっていた。
「だから、俺は彼女を陥れることにしたのさ!ユリウスも公爵家の令息で尚且つ侯爵。これを思いついた時は俺は自分が天才だと思ったね」
「だからと言って朝日を巻き込んだのは許される事ではない」
「それは悪かったよ。言っただろ?俺もあそこまでアホだとは思ってなかったんだって」
少し戯けたように言うカイトにも周りの目はとても優しい。
参列者の失態はパーティーの主催者の責任となる。でも、今回は誰もそれを咎める事はない。例に漏れず、ここにいる全員が彼女にも公爵家にも辟易していたのだから。
「どうだい?清々しただろ?」
「えぇ。本当にありがとうございます。閣下にもご迷惑をおかけして、お連れの方も巻き込んで申し訳ありませんでした」
朝日の視線に合わせてしゃがみ込んでごめんなさいね、と謝罪をする彼女は多分、先程話に出て来た傷物にされた女性なのだろう。帽子と黒いベールで隠してはいるが、それでも分かる程に頬に残る大きな傷がとても痛々しい。
「僕はユリウスさんの側にずっといるから大丈夫です!」
ユリウスの側にいれば何があっても大丈夫だ、と堂々と宣言する朝日に周りから温かい視線が集まる。
謝罪する彼女はその言葉に思わず涙する。
どんな言葉をかけられても憐れみや同情にしか聞こえず、女として終わったのだ、とただただ苦しい日々を送っていた。
忌々しい傷を作った公爵令嬢に復讐を遂げ、心が落ち着くかと思ったが、それでもこの傷は残り続けるのだと、寧ろ苦しみの方が大きくなっていた。
でも、傷を見ても驚かず、憐れみや同情の色も見せず、ただただ安心して貰えるようにと発せられた朝日の言葉に心が癒された。
「僕の気持ちは変わってないよ。エミリー」
「…こんな傷物を好むなんて、本当に貴方は変わったお方ですわ…」
ほんの少し前向きに考えられるようになれた。
「痛い?」
朝日は跪く彼女の顔に残っている傷を隠すようにかかっていふ髪の毛を少しだけ避けて少し悲しそうな表情を向ける。
「もう、痛みはないわ」
「苦しい?」
「…」
朝日の言葉に返事が出来ない。
苦しい、とても苦しい。そして悔しい。
何故傷つけられたのが私だったのか。何で私だけこんな目に遭わなければならなかったのか。どうして口論してしまったのか。
出来るのなら傷つけられる前に戻りたい。
どんなにカイトに愛を囁かれても、前向きになれても、鏡を見るたびにそう思ってしまうだろう。
「………苦しい、」
「うん。お姉さん、目を閉じててね?」
「え?」
朝日は彼女の目元を手で覆ってそっと瞼に触れる。小さな温かい手に涙をそっと拭かれて、彼女は目を瞑り、優しく微笑んだ。
「お姉さんは凄く強い人だ。そして優しくて、綺麗で、最高の女性だよ。………ほら、もう元通り」
「…」
今度は手の甲に小さな温かい手が触れる。優しく包み込まれ、付き添われるように頬へ向かう手が久しぶりに自身の頬に触れる。
ガサガサとした瘡蓋と傷により凹凸、触れればズキッと鈍い痛みがあって、見るも恐ろしかった頬に出来てしまった深い傷。
「……ない?」
「うん。もう、傷はないよ。お姉さん、すっごく美人さんなんだね?」
「なんで…?だって……あの傷は一生残るって…直せないって……化粧でも隠せず、むしろ悪化するって…皆んな、皆んな言ってたのに…!」
本当に傷が無くなったのか、と頬に手を当てたままの彼女は力が抜けたのか、そのままペタリ、と床にへたり込む。
何が起こったのか分からないし、想像も出来ない。ただ、触れ続けた手にも頬にもガサガサの瘡蓋も、深い凹凸も、鈍い痛みも、何もかもない。
「カイト様…どうなってるのですか?本当に…本当に…!傷が…?」
「あぁ、本当に傷は無くなっているよ」
「本当に、傷が…?」
へたり込む彼女の頬に涙を必死に堪えたカイトは優しく触れて本当だ、ともう一度囁く。カイトに言われてやっと実感が湧いたのか、彼女の頬に涙の雫がゆっくりと伝っていく。
「お姉さん、ごめんね。傷は治ったんだけど…傷ができてから時間が経ってたから……その、少しだけ跡が残っちゃったんだ」
「少しだけ跡が…そうなのね」
「エミリー大丈夫だ。化粧をして隠れる程度の本当に薄く小さな跡だよ」
「そうなのね…本当に、無くなって………ありがとう、」
泣き崩れた彼女を支えるカイトは声を押し殺して、静かに一筋の線を流す。
かき集めた全ての医者と術師達が匙を投げた彼女の傷がほんの少し跡だけになったのだから。
「私からも礼を言う。本当にありがとう。ユリウスには怒られてしまったが、君を巻き込んだのは正解だったようだ」
「カイトさんが凄くエミリーさんを大切にしてたから」
「あぁ…これからも大切にする」
傷があろうとなかろうと彼女を愛し続けたカイトなら、傷により日に日に窶れていく彼女を見てられずに復讐を手伝うぐらいだ。例え自身がどうなろうとも彼女を救うための努力をしていただろう。
復讐を遂げたことは良かった。
ただユリウスに迷惑をかけていなかったら、本当に心から朝日も祝っていただろうし、素直に傷を治してあげていただろう。
だから、今回は彼のエミリーへの深い愛情に免じて許したのだと、朝日は彼に言い含めたのだ。
カイトはそれを深く受け止めて、ユリウスへゆっくりと深くお辞儀をした。
「…朝日、帰るか」
「うん!お腹いっぱい見たことない美味しいもの食べれて幸せだった!」
「そうか」
ユリウスは朝日の気遣いに気づかぬふりをして小さく笑った。