カイト
パーティー会場は人の多さに反してかなり穏やかな空間だった。
会場に流れるオーケストラによる音楽の演奏もゆったりとした音色で、話し声や笑い声も落ち着いていて騒がしくない。
入場コールもなく、皆思い思いの時間を過ごしていた。
「お久しぶりですな、エナミラン閣下。はるばる我が家まで来てくださり嬉しい限りですな」
「お久しぶりです、フォーグナー伯爵。此方こそご招待頂きましてありがとうございます」
「もう倅とは会いましたかな?ずっと入り口で待っていたのだが」
「えぇ、先程。えらく忙しそうでしたので挨拶だけですが」
出迎えてくれたのはフォーグナー伯爵。このパーティーの主催者でこの屋敷の主人だ。二人は握手を交わし、穏やかな雰囲気で会話が進む。
「そちらの子が連れて来たいと仰っていた子ですかな?」
「えぇ。朝日と言います」
「伯爵様。お初にお目にかかります、朝日です。よろしくお願いします」
朝日が胸に手を当ててお辞儀をする。
目の前に差し出された手が見えて、朝日は顔を上げて笑顔でその手を取る。
「君の事は閣下から聞いているよ。今日はフロンタニアではあまり見ない料理を用意したからね。沢山食べていって欲しい」
「ありがとうございます!」
早速食べたい、と視線を送ってくる朝日。
離れては行けない、と言う約束を守る朝日にユリウスは良い子だとあやすように頭を撫でる。
その慣れた様子にフォーグナー伯爵は驚きつつも微笑ましく見守る。
伯爵に一言お礼を告げてユリウスは朝日の背中に優しく手を寄せて料理が並ぶテーブルへと向かった。
「美味しそう!」
「どれがいい」
「うんと、この赤い奴と…」
「これはかなり辛い奴だ。良いのか?」
「…そっか、じゃあこっちのお肉の奴とぐるぐる巻きの奴にする!」
ユリウスは言われた料理を乗せつつ、初めに朝日が指を刺した赤い料理も皿に盛る。
「食べれなかったら、俺が食べるから挑戦してみろ」
「うん!」
朝日が赤い料理をフォークで刺して見つめる。
辛いと聞かされていたから怖がっているのかも知れない。朝日が辛さに耐えきれなかった場合に備えて、ユリウスは果実水と甘いケーキを皿に盛り見守る。
「……辛い」
「フッ。果実水だ、飲め」
ユリウスは朝日の手から皿を取り、用意していた果実水とケーキを差し出す。朝日はそれを飲み干し、ケーキもパクパクと食べる。
少し涙目の朝日を見てユリウスは優しく頭を撫でる。
朝日が少しだけ齧ったそれを自身の皿に移すとユリウスは皿を朝日に返す。
「他の奴は辛くない」
「ユリウスさん、詳しいね」
「一年だけこっちに留学してたことがある」
「そうなんだ?」
確かにただの貿易相手にしてはかなり仲が良い気がする。他国の貴族との交流は外交がメインで久々に会いたいからとパーティーを開く程となると相当だろう。
「此処にいたか。俺にも挨拶ぐらいさせろよ」
「今は食事中だ」
ただ、フォーグナー伯爵への態度と違って彼にはかなり辛辣な態度だ。
貴族界の常識的に見れば逆に仲が良いとも見れるが、他に何か理由がありそうだ。
「こんにちは、俺はカイト。一番好きな食べ物は肉。嫌いなものは辛い物。好きな女のタイプは小柄で巨乳。よろしく」
「よろしくお願いします!」
元気がいいなぁ、と伸ばされた手はユリウスによって振り払われる。まるで汚い物でも見るような視線にカイトはやれやれ、と両手を上げる。
「まだ怒ってるのか?」
「当然だ」
「じゃあ、今日も怒らせることになりそうだな」
「…貴様」
二人のやり取りを心配そうに見ていた朝日に気付いたユリウスは彼のことを無視すると決め込んで、朝日の口元に料理を差し出す。
条件反射で食べた朝日に周りなど気にもせずに続けるユリウスは周りを寄せ付けないオーラを発している。
二人の間に何があったのかが、それで何となく分かった。
カイトの後ろにはユリウスに紹介してもらえるのを今か今かと待っている着飾った女性達。モジモジと可愛らしく頬を染めている。
「おいおい、まだ何も言ってないだろ?」
「…」
その視線を切るように朝日に向くユリウス。
ユリウスの肩越しに見える女性達は扇子越しに此方を見ている。
「朝日、これは俺のお勧めだ」
「食べてみたい!」
ユリウスの今の救いは朝日がいること。
伯爵がわざわざユリウスのために用意してくれたパーティーであるために早々に帰るのはマナー違反だ。だからと言って大人しく彼女らと過ごすほど嫌なことはない。
でも朝日がいれば、貴族界のルール上、会話中に割り込む事は出来ない為、延々と彼らを正式に無視する事が出来る。
「ユリウスさん、僕これも食べたい」
「これだな」
そして朝日もそのルールを知らないながらに何かを察して彼女らを完全に無視している。
多分、以前王女との婚約の件で色々とお願いしていたから察しやすかったのだろう。
「朝日、ソースが付いてるぞ」
「ごめんなさい。お行儀悪かったね」
「大丈夫だ。これで拭けばいい」
「ありがとう!」
「わたくし、マニエラ…」
結婚相手を探しに来ている彼女らはそれでもめげない。どうにか会話の隙間を縫って、話す機会を得ようと必死だ。
「ユリウスさん。この料理ラムラさん作れるかな?凄く美味しんだ」
「セシルのとこの料理人か?後で伯爵に言ってレシピを聞いてみるか」
「レシピって教えて貰えるの?」
「まぁ、無理だったら料理を持って帰って食べさせてみれば良い」
「そうだね!」
それでも会話に混ぜさせて貰えない彼女らは次第に一人、また一人と諦めて他の参加者に目を移していく。
ユリウスが相当の優良物件なのは間違いない。
彼女らからすれば他国の貴族だが、侯爵家を継いでいて、更に将来的には公爵家を継ぐことになり地位は言うまでもない。その上眉目秀麗で騎士団長と言う肩書きでその強さと品行方正なのが証明されている。
そして、朝日への優しい対応と表情を見ればまさに結婚相手として理想的な相手だと思うのだろう。
「可愛い坊やですわね」
それでも諦めない女性が一人いた。
ユリウスに話しかけるのが難しいのなら、と朝日に目をつけたのだ。多分、何の躊躇いもなく話して来たところを見ると相当なアホか、もしくはユリウスと同等の地位を持っているのだろう。
「朝日、次は何にする」
「んーと、卵の奴も気になる」
それでも会話を続ける二人に彼女は扇子から見える目元は笑顔のまま顳顬に青筋を立てる。
「ユリウス様!」
「…名前を呼ぶのは許しておりませんが」
「だからですわ!一向にお話ししてくださらないし、目も合わせてくれないんですもの。仕方がありませんわ」
何にも悪い事はしてない、と堂々と言って退ける彼女にユリウスは嫌悪感を露わにする。
「朝日、伯爵とお話ししてこよう」
「うん!美味しいものばかり用意してくれたお礼しなきゃ!」
「そうだな」
人並みが多くなった会場で逸れないように、とユリウスが差し出した手を朝日は嬉しそうに握る。
完全にいないものとして扱われていると知った彼女は自分がそう扱われている原因は朝日だと驕り高ぶり、二人を引き離そうとドレスが乱れる事などお構いなしに朝日の背中へ手を伸ばす。
「きゃあぁぁぁぁ!」
だが、地面に突っ伏したのは彼女だけだった。
叫び声を耳にした人達の視線が地面に顔を擦り付けた無様な姿の彼女へ向けられる。
「こ、この私に…こんなことをしてどうなるかわからないようね…」
乱れているのはもうドレスだけの話ではなくなっている。メイクはボロボロ、髪の毛もバサバサで、更に人を脅すような言葉を平気で使う姿は貴族としての品もあったものじゃない。
「そちらこそ、理解しているのか」
低く重厚感のある声が響く。
普通なら誰もが女性へ手を差し伸べるような場面なのに、誰も動こうとしない。
彼女の人望の低さが露呈する。