待ち人
「その…名前を聞いても良いだろうか」
「うん!朝日だよ!」
「朝日君…あ、私の事はカーチェスと呼んでくれ。此処には観光で来たのかい?」
「うん!クリスさんがね、誘ってくれたから!明日はイングリードの方にも行くんだよ!」
「そうか…此処は国境地域だからね。向こうに行くならこの辺は抜群に良い土地だよ」
クリスの領地、ダレスは元々は辺境伯の領地だ。イングリード国との国境を預かる辺境伯領地は端から端まで行くのにも5日はかかる程広く、どんなに優秀な人でも領主一人で管轄するにはかなり骨が折れる広さだ。
その為、領地のない子爵以下の下位貴族に一部領地を預けて、代わりに管理させ、上納金として一部を貰う。殆どの一国家のようなものなのだ。
「クリス…といえば、此処の領主の息子にそんな名前があったような、」
「うん!今ね、お屋敷に顔出しに行ってるよ!」
当然のように言う朝日にまさかな、と思っていた男性は頭を掻き始める。
どうしたものか、と思い悩む様は怪しさなど微塵も感じないほどに素直で疑う余地もなかった。
「クリスさんは騎士さんだから、悩み事があるなら聞いてみたら良いよ!」
「…そうだな、そうしようかな」
初めはかなり戸惑っていて挙動不審だった彼だが、話していくうちに口が軽くなってきたのをジョシュは感じた。
ジョシュもただ見てたわけではない。朝日が何かしたのならきっとそれには訳があって、彼にも何かあるのだと良く観察していた。
主人が何も言わなくてもどうしたいのかを察してサポートするのがプロの執事だ、とジョシュはこれまで見てきたものを整理する。
引っかかるのは彼の対応と態度。
まずは紹介してきたこの店。
明らかに中流階級のドレスコード有り店だ。朝日は彼にお勧めの店を紹介して、と言った。そしてこの店を選んだのなら彼はこの店に来た事があるとも言える。
単純に朝日を見て高そうな店を選んだだけとも取れるが、それを裏付けるのが彼の言葉使いだ。
この店に入った時に朝日を見て店員達が困っていたように、朝日は貴族の坊ちゃんぽく見えるのは間違いがない。そして彼もそう思いこの店を紹介したのなら、彼は多分敬語を使うはず。
だが、彼は一度も使ってはいないのだ。
そして極め付けは料理の食べ方。
彼は明らかに完璧なテーブルマナーを守っている。彼がマナーを学べるような階級なのだと安易に想像できるくらいに完璧だった。
だから明らかに見窄らしい見た目をしてはいるが、彼はマナーを学べるくらいのそれなりの階級の人間で、今は訳あってお金がなく、明日にも困っている、と言う事が分かった。
そして、ジョシュは朝日に目を向ける。
朝日は男性の正体には気付いていたのだろう。何処を見てなのかは分からないが、多分それが彼と絡む理由であるに違いない。
そして朝日を見ていて気になったのは、朝日が名前を聞くことも言うこともなかったという事とクリスの名前を出したことだった。
普通に貴族の立場から見れば、下民に名乗る名はない、もしくは聞く価値もない、とも見えるが朝日がそう言う人間でない事は言わずもがな。それ以外の意味になると、彼の名前を初めから知っていた、となる。
そうだと仮定すると朝日が彼が貴族、もしくはそれに準ずる者だと知っていてもおかしくはない。
だが、朝日はあえて知らないフリをしている。そして彼もそれにかなり安心しているように見えた。
そこで出てきたのがクリスの名前だった。
現状、朝日が貴族にわざわざ声をかけ、正体を隠しながら親切にし、更にクリスの名まで出す必要があると感じたのだとすると、そこから想定出来るのは彼が“重要参考人”となる場合だ。
結論が出たジョシュは隣の同僚に目を向ける。
呑気に朝日から食べ物を分てもらっているのを見て呆れて溜息が漏れてしまう。
「クリスさんに会うなら一緒に帰ろ?会う前に嫌いにしなきゃびっくりしちゃうから!」
「…そうだな、お世話になるよ」
朝日が振り返る。
ジョシュは直ぐに笑顔で頷いた。
食事を済ませた一行は部屋を出る。
支払いのため先んじて部屋を出ていたジョシュとお会計をする青年を見て、朝日が駆け寄る。
「ねぇ」
「は、はい!」
「僕より若いのに仕事してて偉いね」
「えっ…僕、15…だけど……あ!いや、すみま、申し訳ありません!」
「ふふふ!僕は16歳。びっくりさせちゃったお詫びと丁寧な接客をしてくれたお礼です」
そう言いながら青年の手を取り、何かを握らせて店を出て行く。呆気に取られている青年に何を言われたのか、と他の店員達か駆け寄る。
「あ゛!なんだよ、その金!」
「へっ…?金?……え!!!」
「何で!?そんな金持ちだったの!?」
「マジかよ、俺が接客すれば良かったぜ…」
「良かったな、母さんの薬買えるんじゃねぇか?」
「あ、あ……そっか…薬、買えるんだ…」
放心状態の彼を店員達が送り出す。
この奇跡に少年は涙を流しながら走った。
おじさん、こと、カーチェスを連れてやって来たのは散髪屋。何とも散髪屋とは思えない仰々しい店構えにも動じず四人は淡々と店に入って行く。
中もかなり煌びやかでとにかく明るい印象だった。
他の店員の挨拶に遅れて、派手な服を着た男性が巧みなハサミ捌きを見せながら挨拶をし、そして隠すことなくカーチェスを見て悲鳴をあげた。
朝日が事情を説明すると彼は寧ろやる気を出したようで腕をブンブンと振り回しながらカーチェスを連れて行ってしまった。
「クールもついでに切る?」
「いや、俺結構気に入ってるんだけど」
「え!ごめんね…?」
「…あー、もう!切ります、切りますよ!」
「クール、急にどうしたの?」
朝日の後ろで睨みを効かせているジョシュの圧に押されてシュクールはイヤイヤながらも髪を切りに店員に声をかける。
朝日はシュクールの視線の先に振り返るがそこにはいつも通りの笑顔のジョシュがいるだけだった。
次に向かったのは洋服屋。
頭と顔がさっぱりしたとはいえ、身体の汚れは著しく、試着もお願いすることも出来ず、出来合いの洋服をなんとなく見立てる。
「ジョシュ、これどうかな?」
「少しお色が若い気がします」
「じゃあ、こっちね!カーチェスさん、これにしよ?」
「こ、これかい?」
カーチェスは戸惑いながらも朝日に従う。良い大人がなんだ、と言いたいところだが、朝日が楽しんでいるので文句を言う者は一人もいない。
クリスが取ってくれた宿に行き、風呂に入らせる。絡まっていた髪を何とかしてくれたあのド派手な彼に感謝しつつ、朝日達は一息入れた。
「んで…観光してたはずなのに今度は何でおじさんが増えてる訳?」
クリスのごもっともな質問にもニコニコと笑顔の朝日にクリスは呆れた笑いを浮かべる。
朝日はどうしても人助けをしてしまうらしい。
経緯など聞く気も失せたクリスはソファーの背もたれに全身を預ける。
「あのね、おじさんがクリスさんに相談があるんだって」
いつもより少し低めの声が部屋に響き、一同を凍りつかせる。
別に怒っているとかそういう訳ではない。ただ真剣なだけで相手にそれを求めている訳でもない。ほぼ、無意識的に見せる大人っぽい一面にクリスは背筋を伸ばした。
「で?話って?」
「…私は帝国の人間です。とある事件があり…私はその…逃げている立場なのです」
「保護してほしいということか?」
「…いえ、イングリードにいる仲間と合流しただけ…それだけで大丈夫です」
「ん〜、詳しい事情は聞くな、でも手伝え、そう言う事か?」
「い、いえ!きちんとお話しさせて頂きます!ただ、信じて頂けるのか…と」
モジモジ、と良い歳のくせに頼りない様子にクリスは煩わしさを感じる。
事前にジョシュから手紙を貰っていなかったら怒りに任せて追い返していただろう、とクリスはジョシュに目を向ける。
「じゃあ、聞こうか」
「はい」
クリスが本題に入ろうと朝日に目を向けるがニコニコと笑うだけだった。