夢の時間
「朝日君、こっちだよ」
「セシルさん!僕が食べた事ない物ってなーに?」
「ふふふ、それはこれからのお楽しみだよ」
お花の畑を堪能して依頼達成の報告を終わらせたのは日も暮れた頃だった。
夕食どきの街。
色んな店や家から美味しそうな匂いが香ってくる。此処での主食は主にパンで一般家庭で良く食べられている白パンから軍事や遠征用の日持ちする黒パンまでその種類は様々だ。
硬さの他にもサンドウィッチがあるようにパンの形、味も豊富で、具なし味なし透明スープなどが多い食事の中で朝日の中では唯一まともに楽しめる料理だった。
指定された店までゼノに送ってもらい、店内に入るといつもより少しラフな洋服を纏ったセシルが朝日に手を振っていた。
店内の様子を伺う。
客層はファミリー層が多く、小さな子でも食べやすいメニューが見受けられる。
貴族であるセシルには似合ってないのだが、セシルはその周りに合わせた変装していて、更にいつもの美しいオーラを消し去り、かなり溶け込んでいる。
声を掛けられなかったらセシルに全く気づいていなかっただろう。
「セシルさんってオシャレだよね」
「オシャレ、とは?」
「えっ、えぇーと。センスが良い?」
「成程。暗殺稼業を生業としているハイゼンベルク家だけど、何でもかんでもすぐに暗殺するわけじゃないんだ。下調べ、と言うのが大切でね。こうやって一般に溶け込むのも仕事の一環なんだ」
「暗殺屋さんも奥が深いんだね」
セシルは前に仕事は選ぶ、と言っていた。何でもかんでも依頼通り暗殺していては国の利益を損失する可能性もあるからだ。
それに、いざ仕事をすることになったら、今度はその対象の日々の行動、その範囲、交友関係、仕事、そして名前、年齢や住所などのパーソナルデータからその人の好きな食べ物、好きな物、好きな事、またその逆も然り嫌いな食べ物、物、事、を調べる下準備を行い、その後どのように暗殺するか決める。
当然、行き当たりばったりではない。
「今日はこれを食べてもらいたかったんだ」
「これは?」
「前に言ってた“麺”料理だよ」
「麺!」
「これはパヲと言って原料はパンと変わらないんだけど焼くのではなくてお湯に漬け込むんだ」
「食べて良い?」
「勿論だよ」
朝日が他には目もくれずパヲを必死に啜る様子をセシルは見つめ、笑う。
はじめての麺に悪戦苦闘する朝日。麺を啜る、と言うより無駄な音を立ててそれっぽくしているだけだった。
ゼノ同様、セシルもまたこれが自分の役割だと思っていた。
朝日との繋がりで一番多いのはお泊まり会と食べ物だった。
食に殆んど興味がなかったセシルが、朝日が作ったものやレシピを提供したものはとても美味しく、また食べたいと思ってしまった。
あちらの世界の食べ物は知らない。でも、幸いそれを作れる料理人をセシルは持っている。
ただ朝日の故郷の味を再現する…それだけじゃ、朝日に与えられる物としては足りない、そうセシルは感じていた。ならば、こちらの世界の人気な食べ物も紹介しようと思ったのだった。
「ちゅ、ちゅる、るる」
「要、練習、かな?」
「麺って難しいね、へへ」
「他にも色々とリサーチしているから楽しみにしててね」
当然、貴族で、食にも興味がないセシルがこんな場所にいるのは不思議なところだが、セシルは部下達に命じて片っ端から食に関する情報を集めて、朝日の為に自ら現地に足を運び、美味しい、面白い、珍しい、美しい、とジャンルを分けてあらゆる物を厳選していた。
「前に言ってたうどん、に少し似ているかと思ったんだけど、如何かな?」
「うどんは最も太いんだ!でも、似てると思う!これはソーメンかな?」
「ソーメン…」
こうしてセシルの朝日語録が着々とアップデートされていく。これまで朝日が名前を出した物は全て彼の頭の中に入っている。
それが如何言う物なのかは想像も付かないが、朝日の話しを聞いていると話しが繋がる時もあり、セシルの頭脳が最大限に能力を発揮しているのはこの時なのかもしれない。
「何か食べてみたい物はあるかな?」
「僕、スポンジケーキとか、ジェラート…あ、マカロンも食べたいな」
「スポンジケーキ、ジェラート、マカロン…どれも聞いたことないものばかりだね」
「ゼノさんと行った建国祭で、クレープ食べたんだ。生クリームたっぷりの!美味しくて…それで……苺の乗ったスポンジケーキはね、お誕生日に食べるんだよ!」
誕生日に食べる。
それを聞いてセシルは崩れかかった表情を引き締める。誕生日に食べる物を朝日は食べたことがないのだ。それが意味する事が分からない人はいないだろう。
「ケーキはこの世界にもあるよ。でも。そのスポンジ、と言うのはどんなものなのかな?」
「スポンジはふわふわでね!柔らかいの!」
「白パン見たいな感じかな?」
「全部柔らかいんだ。それで黄色でまーるいの!」
「そうなんだね。美味しそうだ」
「うん!絶対美味しいよ!」
ヒントは少ないが、読み取れることは多い。
ケーキだが、ふわふわで全体的に柔らかく、色は黄色で形は丸く、上には苺が乗っていて誕生日に食べる。大勢で食べる事を考えると大きさもそれなりか、もしくは人数分用意される。
クレープが例に出てきたところを見るとクレープのようにホイップされた生クリームを使うことは分かる。
見た目的なコントラストを考えると白いクリームに苺の赤はさぞ映えることだろう。
こうしてセシルは朝日の食べたい物を分析して、ラムラに作らせるのだった。
「宿まで送るよ。でも、明日予定がないなら…」
「あ!今日、この後クリスさんのお家に行くんだ!」
「…クリスのところに?」
「ふふふ!明日は仕事お休みなんだ!」
セシルのアイデンティティ、お泊まり会をクリスに取られたとセシルは表情こそ崩さないが、ピクピクと口角を引き攣らせる。
「…ランダレス邸に」
「畏まりました…」
御者は機嫌が悪くなったぞ…と少し怯えながら返事をした。
「おっ、来たか」
「うん!」
セシルにランダレス家まで馬車で送ってもらった朝日はランダレス家の執事に案内された部屋に足を踏み入れる。
部屋の中ではクリスが剣の手入れをしていた。綺麗に磨き上げられた剣は角度を変えるたびに光を反射させて輝いている。
「準備は済んでるか」
「うん!まずお着替えでしょ?それからタオルとアワアワの実、お風呂の桶…それからそれから…」
「フッ、そうか。準備万端って感じだな」
「クリスさんは何持っていくの?」
「あ゛ぁ?俺は使用人に任せてるから知らねぇ」
「そうなんだ!」
クリスは辺りを見渡して、深いため息をつく。
朝日はそれが何の意味がある行動なのか全く分からず、ただクリスを観察していた。
「おい、俺は招いてねぇぞ」
「…?あ!お兄さん!」
「お久しぶりです、朝日様」
「ん〜、お兄さんに朝日様って呼ばれるのやだなぁ」
「だよな、俺もそんな柄じゃないと言ったんだけどな。クロムさんが五月蝿くて」
「誰が五月蝿いですって?」
朝日の背後に立っていた二人にニコニコと嬉しそうに微笑む朝日に二人も笑顔を向ける。
「んで?何?そいつも連れてけって?」
「えぇ。シュクールは殿下との約束も達成しましたので、本人の希望通り朝日君の従者としてつかせます」
「僕の?」
「あぁ、いいか?」
「うん。僕が一緒にいてあげる」
「フッ。ありがとな。これからはお前が俺の主人だ」
「シュクール、朝日君には…」
「シュクール…しゅしゅ、クー、クール…うん!これからはクールって呼ぶね!」
「お、おう」
あの日、居場所がないと言う彼の未来を自分が無理矢理繋いだ。なら、彼の居場所を作るのも自分の仕事だと朝日は笑顔で受け入れる。
「あー、これさ。もう連れてくしかないやつか?」
「うん、そう言うやつ!」
「よろしくお願いします。クリストファー様」
「あー、はいはい。分かりましたよ…」
「ありがとうな、クリス様よ」
凪いだ空気感が伝わって暖かさが部屋に立ち込めた。