朝日の過去
「さっきの話し、詳しく聞けるかな」
「うん、アイルとフィルは僕が森で迷子になってた時に助けてくれたのは狼さんなんだ。フィルが聖獣でアイルはその子供で、古の龍さんに僕のことを頼まれたって言ってた」
朝日はゆっくりと森での生活のこと、昨日会いに行ったこと、そして自分の過去について話し始めた。
「古の龍に頼まれた…?」
「二人はね、龍の意思?って言うのが分かるんだって」
「生きている、と言うことか?」
「うんん、幽霊みたいなものってフィルは言ってたよ」
この世界の神のような存在である聖獣。
そのヒエラルキーの頂点は未だに古の龍のまま。後釜として収まったフェンリルでさえ、その古の龍には遠く及ばない。だから、フェンリルは古の龍の意思だったとしても言う事を聞く。
そしてそのフェンリルにさえ人間は遠く及ばないのだからその地位が揺らぐことはない。
そんな聖獣フェンリルと会話し、更には世話になっていたと朝日が言う。それも古の龍の意思によって。
聞いている方は御伽噺を聞かされているような、そんな不思議な気持ちだった。
「僕が森に入ったのが15歳の時。それまではお手伝いさんと一緒に暮らしていたんだ」
朝日がいた部屋には窓はなく、寝る時以外はいつも明かりが灯っていた。
部屋には八畳ほどの広さでそこにはベッド、木の机と二脚の椅子、沢山の本が収められた本棚、着替えが入ったクローゼット、白くふわふわの丸い絨毯。
それだけだった。
隣の部屋にはお手伝いさんが住んでいて、食べ物はその人がその隣の部屋から持ってきてくれる。
ご飯はお手伝いさんと一緒に食べる。
窓のない部屋にいる朝日にとっては食事だけがその日の時間経過を知らせてくれる物だった。
食事と睡眠時間以外は本を読んだり、お手伝いさんと話したりしていた。
お手伝いさんは数ヶ月に一回入れ変わる。
それがどんな事情なのかとかそう言うのは一切知らない。朝日が物心ついた頃にはもうそれが当たり前だったので、これが普通だと思っていた。
一度だけお手伝いさんの一人から部屋から出してあげる、と言われた事があった。
しかし、朝日にはその部屋から出る、と言う言葉の意味が分かっていなかった。此処にいるのが朝日にとって普通でそれ以外のこと望んでいなかった。
そしてそのお手伝いさんは次の日から来なかった。
朝日が知識を得られるのは本からだけだった。
欲しいと言ったものは割と何でも与えられていた。ただその欲しい物も本の中で知識として得たものだけなので、それすらも操作されていたのかもしれない。
本を読むのは好きだった。
知らない事が知っていることになるのが堪らなく好きだった。本を読めば時間を忘れてしまうほどに。
「でもね、ある時…そのお手伝いさんもいなくなったんだ」
唯一の話し相手で、保護者と言える存在が突然消えた。何が起こっているのか分からなかっただろう。
そして朝日は自分がいた部屋から始めて出た。
それも空腹に限界を感じた3日後のことだった。
まずは隣のお手伝いさんの部屋から。
食べれる物を探して生きるために必死に漁る。なんだか悪い事をしているような気分だったと言う。
「その時にこれを見つけたの」
出されたのは一冊の古びた日誌。
朝日のお手伝いさんと呼んでいる人達が書いた物のようだった。
内容は至ってシンプル。
嫌いな物、好きな物、嫌いな事、好きな事、自己紹介文のようなものから食事を食べなかった、指を切った、膝を擦りむいた、熱を出した、それをどう対処した、のような日常的な問題など様々だ。
その他にもその場所でのルール、やってはいけない事、やってもいい事、やらせてもいい事、やらせてはいけない事。それらが事細かに記されていて、代々のお手伝いさん達が書き足してきたものだとすぐに分かった。
「此処にね、僕の両親の事について書いてあるんだけど、僕は捨てられた子、恐れられた子、だったみたい」
言いにくそうに引き攣った笑顔を向けて言う朝日。その心内はどんなに苦しいものだったのか測る事も出来ない。それなのに出会った頃の朝日はいつも笑顔だった。
それが聖獣達のお陰だと言うのなら感謝しかない。セシルは優しく引き寄せて抱きしめる。
クロムが朝日をはじめに見た印象として“変”と表現したのはこのような事情からだったようだ。
「僕は何も知らない。自分が何者で親がどんな人なのか、どんな存在なのか、何も分かっていないんだ」
朝日の話しは耳を疑うものだった。
そもそもの概念として父や母という存在を知らなかったと言う。正直、話しに聞いても想像し難く、どれだけ苦しかったのか、寂しかったのか、もう何を言っていいのか分からなかった。
「僕は自由になったんだと思ったの。だから、本に出てきたものを探しに行こうと部屋の中の物を沢山ポシェットに詰め込んで屋敷を出たの」
初めて見た本物の森。
そこには初めて見た本物の動物、虫、花、草、木があった。朝日には自信があった。散々読んできた本の内容を全て暗記して覚えている。だから、全部見分けられると。
でも記憶とは全く一致しない。
それらを本と見比べても同じものがない。
「でもね、僕。お手伝いさんの料理でそれを食べた事も見た事もあったの。なのに違うの。初めはとても戸惑ったよ」
そして、しばらくして迷ったことに気がついた。
当然、外に一度も出た事がないので体力もなく、朝日は疲れ果てて木の窪みで寝てしまったのだと言う。
「それでアイルとフィルに出会ったんだ」
初めは二人に食べられるのかと思っていた。
でも二人は普通に話しかけてくれて、いろんな知識を付けさせてくれたし、魔物に襲われそうになったら助けてくれた。二人がいなかったら朝日は森で生き残る事は出来なかっただろう。
出会った春には朝日に体力が付くように朝日をアイルと遊ばせたり、食べれる物と食べられない物の見分け方、火の起こし方、水浴びの仕方など生活について教わった。
森に慣れてきた夏には毒のある虫、薬になる花を勉強して簡単な薬を作ったり、危険な魔物、その魔物の弱点、逃げ方などを知識を得ていった。
安心し切った秋には体が冷えないように二人の生え変わりの毛をまとめた毛玉を分けてもらってベッドにして、二人と寄り添って寝た。
凍えるような冬には街と言うものがあってそこには沢山人間がいる事、そして人間がどういう存在なのかを聞かせてくれて、そしてそこまでの道乗りを教えてくれた。
沢山遊んで、沢山学んで、二人を家族のように思うようになった。朝日の初めての家族だった。
そうして、森での12ヶ月を過ごし、そしてユリウスと出会ったあの日を迎えた。
「ユリウスさんの髪の毛がね、アイルとフィルの毛とおんなじ色だったから…間違えちゃったの」
「なるほどな」
「僕にとって二人は…家族、みたいな存在で。僕、家族ってよく分かってないんだけど…でも、フィルが狼と人間は普通なら一緒に暮らさないって。だから、人間のところに行くべきだって…」
「うん、大丈夫だよ」
「ミュリアルとゾルは二人と似てたんだ。家族になりたかった。なのに…二人はいなくなっちゃって…だから…悲しくて辛くて不安になって…昨日会いに行ったの」
「それでさっきの話しを聞いたんだね」
「うん」
朝日の求めていたものは友人何かではなく、もっと近いものだった。それは彼らには簡単に与える事の出来るものだった。
でも、本人が何も話さないから、と…聞かれたくないのでは、と避け続けた結果彼の事を知る機会を逃していただけだった。
「何故何も言わなかった」
「…お頭に言われたの。簡単にその話しをしたら悪い奴が来るぞって」
「…確かにな」
「まともな事言うじゃねぇーか」
ユリウスと朝日が出会った時に捕まえたフィオーネ盗賊団。彼らが朝日の事情について頑なに話さなかったのは朝日の事情を聞いたからだった。
貴族を嫌っている彼らが朝日の家族になる人を彼らに託すわけがなかったのだ。