自尊と消失
(あれ?…ない…?)
街に来てから三日目の朝。
例に漏れずあの安宿に寝泊まりしていたのだが、そこで事件は起きた。
最終日にして…と言いたい所だが、寧ろここまで何もなかった事の方が珍しいのだ。
此処がどんな所か、そんなのは見ていれば分かりそうなものだが、朝日はこの宿にいる人達の数人をギルドで見た事がある、と言うだけで安心しきっていて、朝日は此処が雑魚寝であるがために何が起こりうるのかを知らなかった。
無知なのは仕方がない。彼は本の中でしか外を学んでこなかったからだ。
その話をするのはまた別の機会にしよう。それよりも今は彼の元から消えてしまったポーチもと言い、ポシェットの行方を追う方が先決だ。
だからといって朝日に特に慌てる様子はない。何故そこまで冷静でいられるかを知っているのは彼ただ一人だけだ。
それが彼が此処に泊まる事に何の躊躇も無かった理由の一つでもある。
「何だ、やっぱりやられたのか」
部屋から出てきた朝日に初日の夜に会ったこの店の店主が声をかけてくる。言わんこっちゃない、と言わんばかりにわざとらしく頭を抱え、やれやれと言うような演技をする。
朝日は分かっていながらも特に何も言わなかったじゃないか、と内心思う反面、自分自身の油断のせいなのも否めないので特に怒りや苛立ちは起こらない。
「やられちゃったみたいです。どなたか当たりはつきますか?」
言わないだろうと分かっていながらも取り敢えず聞いてみる。
「あぁ、何となくな。夜中に出て行ったやつは二組いるし、朝方に立った奴も一組いる。奴らの内の誰かだろうな」
朝日が何か言ってくるのを分かっているとばかりに挑発的に言う店主。
「そうですか、ありがとうございます」
「…それだけか?」
「他に何か…?」
「いや、何でもない」
当たりが外れたと再び頭を抱える。彼は朝日が教えて欲しいと言っても言う気はさらさらなかった。此処に当然留まり続ける店主にとって1番怖いのは犯人からの報復行為だからだ。
当然初めに告げ口したのは誰かと考えを巡らせれば1番に疑われるのは彼だろう。
それでもがめつい彼は情報料として朝日から更に金をむしり取ろうとしていたのだ。何故なら彼は自分よりもひ弱な子供だったから。当然その渡す情報は嘘だが。
「お世話になりました」
「…おう」
これはこれで社会勉強代だと朝日は店主にしっかりと頭を下げてお礼を言う。
当然そんな所作なんぞされた事のない店主は驚き思わず声を返してしまったのだ。
(結構気に入ってたんだけど…仕方がないよね)
取り敢えずギルドに行ってお金を稼ごうとその足でギルドに向かう。とにかく鞄は必要だ。余計な詮索はされたくないし、良い人ばかりではないと今学んだばかりだ。
(ボスもそう言ってたし)
何も考えず自身の生い立ちを彼らに漏らしたところ、凄い勢いで泣かれ、終いには怒られてしまった。
ーーーそんな事…誰にでもペラペラ話すもんじゃねぇ、俺らは良いけどな…!
と本気で怒られた事が新鮮で嬉しかったことを思い出し、朝日は緩んだ口元を隠すために頬を摘む。
暗い路地裏を足早に駆け抜けて大通りに出る。
相変わらず騒がしいそこに行き交う人達を少し観察してから歩き出す。
明らかに冒険者ぽい人を見つけてギルドまでの道のりの道案内役に勝手に採用したのだ。
思っていた通り、楽しげに会話をしながら歩く数人の男女はギルドに入っていき、朝日もそれに続いた。
「おはようございます」
「あ!おはよう、朝日くん。で・も・?忘れている事があるわ!」
「あ。おはよう」
「はい、おはよう!」
敬語はいけないと教わった事を思い出して言い直す。そして実は少し動揺していたと気付く。
「…ん?朝日くんポシェットは?」
「盗まれちゃった」
「…え!?!?」
「僕あまりお金を持ってなかったから安い所に泊まったんだ。そしたら寝ている間に取られてたみたいで」
固まっているのか、アイラは驚いた表情から動かない。そんなアイラの姿を見て朝日は途端に冷静になれた。
本に書いてた通り、自分よりも慌てている人を見ると冷静になれるって言うのは本当だった、とまた呑気な事を思っている。
「ど、どうするの?あれが無いと困るんじゃない?」
「んー、困る、かも?」
朝日の曖昧すぎる返事にアイラはキョトンと顔だ。案外抜けているのか、とアイラは朝日をまじまじと見つめていると額に大きな衝撃を受ける。
朝日からすれば新しいのさえ有れば問題が無いので困っているけど、問題はない。
「何してんだ」
「こっの、てめぇ。邪魔すんなや、ごらぁ」
彼女の見た目からは似つかわしくない低く唸るような声。明らかに機嫌を悪くした理由は彼女がゼノに額を小突かれたからではなく、朝日から引き離されたからだ。
「おい、ポーチどうした」
「盗まれちゃったの」
「はぁ!?」
流石のゼノもポシェットがない事に直ぐ気付いたようで、何でそんな事が起きた、と全身全霊で伝えてくる。朝日は思わず笑ってしまった程にゼノらしくない顔だった。
「「…乗り込むか」」
いくらか事情を掻い摘んで話すと二人はほぼ同時にそう言った。当然ながらお互いに怪訝な表情を向ける。
そんなにも嫌なのかとも思ったが、本にも喧嘩するほど仲がいいと良く書いているのを見かけていたのでそれだろう、と勝手に決め込みうんうん唸る。
「いいんです。そんなに大切な物は入ってないし」
「え、でも…」
朝日も彼女の言いたいことも分かっている。
と言うのも冒険者登録の後、いくらか規則や注意事項を聞いていた時に薄い冊子のような物を渡された。それはギルドが買い取っている物の一覧が記されているものだった。
一通り眺めていると、結構持ち合わせているものもあり、それを彼女に伝えていた。
考えてみれば、確かにあの場面はあの場にいた誰もが見ていたし、聞いていた。それを知っていたなら朝日の鞄を狙った理由にも説明が付く。
(格安宿に泊まるような奴は…あの辺か…)
確かに身なりはいい。でもそんな子供が一人でそんな宿に泊まる事=お金がないと普通ならそう解釈するはずだ。それに一様の保険もかけていた。中心と言う1番目につきやすい場所を選んだのだ。
確かに子供だから狙いやすいと言えばそうなのだが、それでも人の目が集まりやすい中央付近にいる朝日よりも狙いやすい人は他にもいただろう。それでもそんな危険を犯してまで盗むとなると盗む物の中身は大切だ。
ならあえて朝日を狙った事になる。
だからそんな事をするのは鞄の中身を知っている人だけだと結論づけたのだ。
そんな事をする奴が災厄の場合を想定していないとは思えなかった。
「ギルド内だけじゃねーな。昨日防具屋でもアクセサリー屋でも普通に出してたからな」
言われてみればそうだ。
素材の価値の方はいまいち理解してないが、ゼノや防具屋、ゼノの知り合いの店員、みんなの反応を見ればそれなりの物もあったのだろうし、寧ろ彼らからすればポシェット自体もそれなりに高価な物と言える。
「あのね、僕のポシェット何にも入ってないんだ」
「「…はい?」」
「みんなに秘密だよ?」
周りを少し確認した後、口元に人差し指を寄せてそう言った。小さく手招きする朝日に二人は顔を寄せる。お互いに顔を見合わせて少し嫌そうにしながらも聞かないと言う選択肢はなかったようだ。
「あのね、僕のは【アイテムボックス】っていうスキルでね、ポシェットをそれっぽくしてただけで空っぽなの」
【アイテムボックス】聞いたことくらいはある。容量などはその人個人の魔力量に比例するため一概には言えないが、手ぶらで冒険できるほどには実用的で重宝されるスキル。
ただ、高価ながらその代用品としてマジックポーチという同じ効果を持った物が存在するため絶対に欲しい能力と言うほどでもない。
二人はなるほど、と朝日の呑気さの意味を理解して小さくため息を吐く。
「でも、それならやっぱり早急に新しい鞄が必要ね」
「うん、でも昨日冒険しなかったから…」
「いや、その前に中身が空だって知った犯人からの報復も考えられるぞ」
「じゃあどうすればいい?僕、戦えないのに」
「あんたが守りなさいよ」
「それは良いけどよ…」
「何よ!何か文句あんの?!」
歯切れの悪い返事をするゼノにアイラは掴みかかる。二人の喧嘩自体は日常的に行われているからそれほど問題視はされていないが、やはり見られはする。
「落ち着け、今目立つ訳にいかないだろが」
「…朝日君御免なさいね」
「うんん、大丈夫だよ」
「…」
ゼノはふー、と一息ついて本題に入る。
「守る事自体は問題ない。ただそれだと犯人はそのまま野放しだ。俺がいる間は近づいてこないだろうからな。だからと言って一生守る訳にも行かないだろ?」
「何よ、一生守るぐらい言いなさいよ!」
「うん、それは僕も困る。冒険者だもん!」
アイラはそうよね、こんなオッサン要らないわよね?と朝日を撫でながら優しい微笑みを送る。
「まぁ、とりあえず今日の所は俺と行動しとけ」
「うん」
大人しく頷く朝日の肩を抱き、背を押しながら依頼掲示板へ向かう。
「僕、依頼受けていいの?」
「ポーチ代稼がないとなんだろ?」
「うん!」
嬉しそうに言う朝日はゼノの顔を見上げるが、ゼノの意識は周囲に向けられていた。




