あの娘は過激派
仕事を終えて家に着きドアを開けると三和土に、禍々しい文字で「炭!五キロ!」と書かれた段ボールが中々の存在感で置いてあった。
妻は宅配便等の玄関先で用事がある場合は決まって僕のスニーカーを親の仇のように踏み付け、荷物の受け取りやデリバリーの対応をしているので、スニーカーが段ボールの下敷きになっているのは仕方のない事だ。
靴を脱ぎながら八畳一間の部屋の中で意気揚々と小さなテーブルの上にバーベキューコンロを設置している妻に不穏な空気を感じた僕は「なにしてるのかな?」と、訊くと「バーベキューの準備」と、鼻歌交じりで楽しそうに言うので、「それは外でするもんじゃないかな?」と、妻の機嫌をなるべく損なわないように、かなり塩分控えめのマイルドな味付け加減で訊いたのだが、妻はぴたりと動きを止めて「ハア?」なに言ってんのお前。って顔で僕を見ている。
そのご様子からしてご機嫌が急速に斜めっているのが分かった。
「キミの面白味のなさは生まれつきか、それとも先天性ユーモア欠乏症か、部屋の中でバーベキューくらいしようよ、花火くらいしようよ」
「また、そんな無茶を」
この間は家の照明をミラーボールにしようとしていたし、僕のメガネのレンズを赤と青の油性マジックで塗って「なんと今日から全ての物が3Dで見えます」とか言うし、あなたの仕打ちに耐えられないので出て行きます。と置手紙をしてクローゼットに隠れて僕の行動を覗き見していたり「今からサイコロを二個振るから出た目だけビンタさせて」とか、あたしが好きなら土佐犬と闘ってとか、「今日の晩ご飯は砂糖水」とか、スーツのポケットや通勤カバン、果ては書類入れの中に使用済みのパンティを入れていたりする人だ。
「キミは社会に出て毒されてんだな、常識と言う名の非常識に漬け込まれて発酵して腐臭がするぞ」と言いながら消臭剤を僕に向かって噴霧し出した。
「わかった、わかった、とりあえず、バーべキューは今度にしよう、火災報知機が鳴ったりしても大変だから」と、妻の地味な攻撃を防御しつつ提案したら、「仮性包茎のくせに大人ぶりやがって、わたしはクーラーが効いたとこでバーベキューや花火がしたいの!」と、子供でも言わないことを言っている。
「じゃあ、焼肉食べに連れてってやるから」と、妥協案を出したが、「無煙ロースターなんて女々しいもんで焼いた肉が食えるか!」と、もう生肉でも食らいそうなくらいの凶暴さで言い放ち、「だったらホットロッド・デビルかJTM45/1960TVでドカんと思いっきり弾かせてよ!バーベキューの代わりにわたしのジャズマスターに火を吹かせてよ!」と、かなり具体的な説明ゼリフを吐いて、ベッドの上に寝転がり足をバタつかせ駄々をこねだした。
妻はバーベキューよりも爆音でギターを弾きたいのだ。
「弾かせてあげたいけど、次やったら色々アウトだよ。即刻退居だよ。つーか八畳のワンルームで二台とも存在感ありすぎ」
八畳の1Kの部屋にデカくて重いアンプが二台にヴィンテージ感が溢れる赤いギターが一本。エフェクター類が雑多に転がり、それらを繋ぐコードがうじゃうじゃ、繋がってない色とりどりのコードが壁にブラブラ、唯一の棚はCDやレコードで埋め尽くされ、居住スペースの八割が音楽関連に支配された状態に、シングルベットと小さなテーブルと小さなイスの二脚が申し訳なさそうに佇んでいる。もうテレビなんて置くスペースのない毎日が音楽強化合宿状態だ。
その上クローゼットは妻の洋服に支配され、僕の洋服は背丈ほどのビニールケースに入れられてベランダに置かれている。今の状態で台風が直撃したら確実に全滅する。
「キミの両親はあれだな、公務員だ、公務員で父親は自衛隊員だ、それで両親に敬語使うタイプだ。だから、そう言う面白なさ遺伝子がハイブリッドで備わってんだ、標準装備の面白なさ。値引きなしの面白なさ」と、鉄製のトングを「カチカチ」リズミカルに鳴らしながら言って、急になにか良いことを思いついた!みたいな顔をして「これ、歌いながらパーカッションとして使おうかな。どう思う?」とか言い出している。
このように話が脱線し会話が成立しなくなることが多々あるが、妻が言うように僕の両親は二人とも公務員だが自衛隊員ではなく教師だ。そして両親に敬語は使わない。
「いっつも僕のこと面白くないって言うけど、面白味のない人は簡単に婚姻届にサインしないでしょ」と言い返してやったが、まさか本当に提出するとは微塵も思ってもいなかったので、僕たちが結婚していることは未だお互いの両親さえ知らない。
近々メジャーデビューするバンドの前座として、学生時代の友人のバンドがライブに出演すると言うので招待されて見に行った時のことだった。小さなハコだったけれど超満員で、前座とは言え友人のバンドも盛り上がり「これはメイン食うんじゃないの?」と、思うくらいの勢いだったが、近々メジャーデビューするスリーピースバンドの異常なまでの盛り上がりに比べたら、友人のバンドの盛り上がりなんてお子様レベルだった。
リズム隊に男子を従え、ステージ中央で赤いギターをかき鳴らしながら叫ぶように歌う彼女の存在感がスゴすぎて彼女しか見えなかった。
正確には半袖の白い膝丈上のワンピースを着たキュートな彼女がステージに現れ、赤いギターを担いだ時点で一目惚れしていたので、僕の目は彼女しか捉えていなかった。と言うのが正しい。
ステージ上の彼女は華奢な体のどこにそんなパワーがあるのか信じられないほどパワフルで大胆で不適で、その圧倒的なパフォーマンスと彼女の甘い容姿のギャップに恋をした。
怒涛の六連発の後、彼女は息を切らせながら額の汗を手で拭い、周りを見渡しその日初めての笑顔を見せた。その笑顔がキラキラしていて、僕はさらにときめいた。
一息ついた彼女が、「切ない恋の歌です。『あの娘は過激派』」と言って始まった曲の変則的な速いリズムと暴力的なまでに歪んだノイジーなギターサウンドの上に、彼女の歌声が絶妙なバランスで融合する楽曲は圧巻だった。
それから打ち上げに誘われ、酔った勢いで彼女に告白したら、どうやって調べたのか翌日彼女が僕の家に来て、
「わたしと付き合いたいなら、ここにサインして判子押して」と、玄関先で捜査令状を見せる刑事のように婚姻届を両手で開いて見せるので、なにかの冗談だろうと思いサインをして判子を押したら本当に結婚していた。
それまで独身生活をエンジョイする為に買い揃えた家具家電や据え置きのゲーム機にマンガ本、フィギュア等の私物は全て断捨離と言う名の廃棄処分に合い、代わりに妻の私物がバルバロッサ作戦よろしく猛烈な勢いで侵攻して部屋を占領し現在に至っている。
「明日から朝食はUFOな、それで会社行って、なんか焼きソバ臭くいないですか?って女子社員に言われろ、その前に満員電車の中でUFO食った後の口臭を撒き散らせ」と言うが、
「朝食なんか作ったことないじゃん、そもそも寝てんじゃん、いままで僕の出勤姿見たことないだろ。いってらっしゃいも一度もない」
妻の中では躾は初めが肝心と言う方針なのか、結婚してから一度も朝の挨拶さえ交わしたことがない。
「音は聞いてるよ。朝っぱらからガチャガチャさせやがって、うっせぇから早よ行けや、なんて思ってないし、マジで早く死ねよ。なんて思ってないから大丈夫」と言っている瞳の奥が鈍く光っているので確実に思っているはずだ。
「じゃあさ、明日からはキミが仕事に行く前に「いってくるね」って、わたしの耳元で優しく囁いて、ほっぺにキスして行くようにしよう」
そうしよう。そうしよう。と嬉しそうにくるくる踊っているので、今日はこれで落ち着いて寝てくれるだろう。
翌朝、約束どおり耳元に優しく囁くように「いってくるね」と言って頬にキスしようとしたら、妻に抱きしめられ、今までで一番甘いキスをされ「行かないで」と甘えるような声と、上目遣いの表情で言われた。なんて可愛いんだ。でも、この誘惑に負けちゃ行かんぞと思い、
「そう言うわけには」と言いながら行こうとしたが、僕の体は妻にがっちりホールドされていて、行くなら裸の妻ごと連れて行かなきゃならない状態だし、なによりも僕は妻が大好きだ。
公私ともに大好きだ。一目見たその時から大好きだ。嫌いなところも大好きだ。あのときよりも今のほうが大好きだ。
「わたしのこと好きならズル休みして」と、さらに甘い声と甘いキスをされ、
「いや、そう言うわけには」と、もう一度がんばって抵抗してみたが、
「好きなら・し・て」と甘えるような声と潤んだ瞳で見つめられた僕は速攻で会社に電話して一日中妻と抱き合っていた。
妻は東名阪を皮切りに札幌、広島、福岡へとツアーに旅立った。
その間に僕は部屋を探していた。
妻が好きなときに、いつでも爆音でギターが弾ける防音性の高い部屋を探していた。
防音性に加え立地や価格と色々な条件に見合った物件が、ようやく見つかったので妻を喜ばせようと思い、ツアーから帰ってきた妻と一緒に見に行った。
採光と眺望も予想以上に良く、今住んでいるマンションが地下室に思えるほど輝いている。
「ここなら部屋の中で爆竹二万発鳴らせるし、フェンダーのアンプも、マーシャルのアンプも爆音で鳴らせるよ。しかも広いし、部屋も二つあるし、ベランダに置かれた僕の洋服や靴も部屋の中に収納できるし、ユニットバスじゃないし」と不動産屋でもないのにセールスポイントを上げてみたが、妻はあまり嬉しそうじゃないので、
「どうしたの?」と訊いたら、わかってないなって表情で僕を見て手を握り、
「いい?押していいボタンと押しちゃいけないボタンがあったら、押しちゃいけないほうを押したくなるのね、わたしの常識はキミの非常識で、キミの常識はわたしの非常識なの。
わたしが面白いと思うものはキミが思う常識の外にあるから理解されないのはわかってる。
文脈も行間も出鱈目で時系列も秩序も辻褄も整合性もなくって、下品で猥褻で自分勝手で、 音もチューニングも適当で、リズムも走り気味で、評価されるよりも批判されるほうが多いし、才能がないとか、時間の無駄とか、早く辞めろとか言ってほとんどの人は眉をしかめるよ。
それでも自分の歌を歌うって決めた以上、歌わなきゃいけないんだ、どんな批判に晒されたって歌わなきゃいけないんだ。歌い続けなきゃいけないんだ。
どんなに辛いことがあっても、逆にそれを燃料にして爆発させなきゃいけないの、辛ければ辛いほど月まで飛べるくらい爆発させなきゃなんないの。
そしてどんどん加速させて、音速を超えて、光速も超えるんだ。
それとね。一番大事なのは手を伸ばしたら、いつでもキミに触れられるくらい近いほうがいい」と言って僕を抱きしめ、「その覚悟があるならついてきて」と言い僕の胸に顔を付けた。