◎06話 いじめなんてしませんわ
「あっそう言えば、ヒロインちゃんがいよいよ高等学院に入学してきましたの、ご存知?」
先ほどの失言がなかったかのように、クリスティーナが話題を切り替える。
「ええ、中等学院の方に入学してくる可能性も高かったので、懸念してましたけど、どうやらゲーム通り、高等学院に入られたようですわね」
クリスティーナの言葉に、アリエンナはホッとしたように頷いた。
──王子達は今年、高等学院の三年生。
将来、国を担う王となる予定の第一王子のカリキュラムは、一般生徒とは違っていた。
高等学院にある魔術科・騎士科・文官科の3科其々の主要科目を学ぶ他、王宮から派遣された一流講師陣による王教育もある。
王子のご学友として選ばれた、数名の青年達も別枠となり王子とともに学ぶ。
なかなか忙しい毎日を送っていると思われる王子達も、来年には卒業してしまう。
前世のゲーム通り、アリエンナは第一王子アレクシスの婚約者に納まっていた。
ついでに、ブリジットは赤髪の騎士団長の子息の、クリスティーナは緑髪の魔術師団長の子息の婚約者になっている。
三人にも未来の王妃・側近の妻として、別枠での教育が一般課程の他にもあるが、前世や高位貴族としての素養があるので、それほど大変な思いはしていなかった。
ゲームでは、三人の少女達はヒロインの同級生として存在するはずだった。 三人の生まれた年が、一年ずれてしまっている。
「ゲームとは齟齬が生じているようですけど、わたくし達はこの世界で、現実に生きているんですもの。まるっきりゲームのままという事もないのでしょう」
ごくりとクッキーを飲み込み終えたブリジットが、至福の笑顔を浮かべたまま、アリエンナの言葉に答えた。
「そうですわよね。わたくしも、ヒロインちゃんはどちらに来るのか心配してましたけど、美青年達の方が優先されましたわねぇ」
クリスティーナはそう言いながら、深皿のクッキーに手を伸ばす。
「そうそう、入学してすぐ、廊下でハデに転んで、助け起こした王子に抱きついたとか……」
ブリジットはクリスティーナの手が届くより先に、素早く手を伸ばすと、彼女が狙っていたクッキーを掴みとった。
目を見開くクリスティーナ。
「王子は『大丈夫かい?子猫ちゃん。元気なのはいいけれど、可愛い君がケガでもしていたら、わたしのハートが砕けてしまうよ』と、言ってる方は恥ずかしくなくても、聞いてる方は恥ずかしくなるセリフを甘い声で囁いて、ヒロインさんをお姫さま抱っこで保健室に連れていったそうですわ。親切な方がものまね付きで教えてくれましたの。」
そう言葉を続けたブリジットは、先取りしたココアクッキーを自分の口に放り込む。
少しの間、動きの止まったクリスティーナだが、気を取り直して別のクッキーに手を伸ばす。
「あらまあ、王子はチャラが入ってません?一流の講師陣が派遣されてますけど、ナンパ師もいるのかもしれませんわねぇ」
そう言ったアリエンナもクリスティーナの狙ったクッキーを、先に素早く掴みとる。
再び目を見開くクリスティーナ。
「そういう仕様なのじゃありません?ヒロインさんは前後左右わらわら湧く、甘い言葉を囁く美青年達に囲まれる餡子のような存在なのですわ」
最初の一枚より、倍の速さでクッキーを飲み込んだブリジットがすました声で言う。
クリスティーナの手は伸ばされたまま、完全に止まっている。
「ヒロインは転生者ですかしらね?」
一言つぶやいたアリエンナは、先ほど掴んだバタークッキーを口の中に入れる。
薄でに焼かれたサックリとした歯ごたえ。中に挟まれたミルククリームは濃厚なミルクの味わいがある。たっぷりと使われたバターのコクと香り。二つの味が舌の上で絡み合う。牛から生まれた至高の和合──。
アリエンナの脳裏に、牧場でのどかに草を食む、白黒ぶちの雌牛の姿が過った。鼻輪付きだ。
「このクッキー、美味しいですわね。」
感動したアリエンナの声に、クリスティーナは素早く左右の二人の様子を窺うと、決意を込めて、伸ばした手の先にあるクッキーを掴もうとする。
「確かめます?ヒロインさんに声をかけましょうか?」
ブリジットは乙女ゲームはした事はあるが、二人のように『花ラブ』を直接やったわけではない。
『花ラブ』に関しては、プレイした友人から、ネタゲームとして色々聞かされた知識があるだけである。
王国や登場人物の名前などが印象深かったので、前世の記憶が戻った時、混乱しながらも、割とすぐにこの世界が乙女ゲームの世界である事に気づけた。この五年間、二人からこのゲームについてあれこれ聞いてはいるが、こういう判断は二人に任せる事にした。
そう尋ねながら、再びサッとクリスティーナの狙っているクッキーを先に奪い取る。
ピクリと、クリスティーナの手が痙攣する。
「まあ、しばらくは様子を見ましょう」
めげずにそのまま、真下のクッキーを掴もうとしたクリスティーナの手とクッキーのわずかな隙間に、そう言ったアリエンナの手が、熟練のスリのような素早さで差し込まれ、真下のクッキーがゴッソリと無くなる。
「同じ転生者でも、そうでなくても、男漁りに動きまわるような花畑脳の方とは、仲良くできそうもありませんもの」
蔑むような声音でそう言うと、掴んだ大量のクッキーを口に放り込むアリエンナ。
ココア味とバター味のミックス味だ。
クリスティーナは呆然とした表情で、大量のクッキーを咀嚼するアリエンナを見つめた。大きく身体を震わせると、もう一方の手も前に出し両手で交互にクッキーを掴もうとする。
「中等学院にも、美少年な方々はかなりいますけど、ヒロインさんは来られますかしら?」
「どうでしょう?高等学院の美青年は数が多いようですから」
「そうですわね。高等学院は美青年で溢れていますもの。ヒロインさんも中等学院まで、手が回らないかもしれませんわね」
「この学院では、フツメンやブサメンの方が稀少価値がありますわね」
アリエンナとブリジットは普通に会話しているが、クリスティーナは必死だ。
数人で手の平を重ねて、一人がその重なった手を叩きにいく。叩かれないように皆でタイミング良く逃げる遊びがある。
叩く方はもちろん誰かの手を叩く事に燃える。逃げ遅れて手を叩かれた者は『ドンくさトロすけ』の称号が貰える。
クリスティーナは毎回叩かれる、ドン臭さをにじませている。『キングオブ・ドンくさトロすけ』だ。
自分が遅いわけじゃなく、二人が速いだけだと自分のトロさを自己弁護しながら、せめて一枚だけでも掴みたいと切ない願いを込めて、手を伸ばし続ける。
暫くして、奮闘むなしく、深皿はカラになっていた。あんなにあったクッキーが、もう一枚もない。ザキングオブキングス(王の中の王)になった瞬間であった。
クリスティーナは、大きく口を開けた愕然とした表情で、身体を震わせた。
クリスティーナの目がうるうるし始めたところで、左右から口の中にクッキーが詰め込まれる。
「わたくし達、いじめなんてしませんわよ?」
ブリジットが、春の陽光にきらめく髪を風に軽くなびかせながら、清らかな笑みを浮かべて、クリスティーナの顔をのぞきこむ。
「そうそう、遊びはしてもいじめなんてしませんわ」
どこからか袋を取り出し、カラになった深皿にザーッとクッキーを入れながら、アリエンナも微笑む。
悪戯そうに目を細め、赤い唇をニィとつり上げたその微笑は、詐欺師の嘘臭さをにじませている。
瞬速の動きで口の中に大量に詰め込まれたクッキーを、リスのように頬をふくらませ、涙目でもっぎゅもっぎゅとクリスティーナは咀嚼するのであった。
そんなクリスティーナの姿を、他の二人の少女は春の陽射しのような暖かな目で見守っていた。
反射神経を問われる遊びで──単純で、複数人ででき、やった事がある人がおそらく多いんじゃないかと思い、この遊びを出しました。