表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/47

7-4

「ヒューイ」

「わかってらぁ。てめえら位置につけ! ミレー!」

 ヒューイの掛け声一つで周りの男たちは一気に机や椅子を散らし始める。

 そして腰から木の実を採るような小さなナイフや部屋の端にかけてあった腕の長さほどある剣を手にし始めた。

 そしてルーシィは男たちの山へと姿を消した。


「はいはい。ほらカッツェも」

「え?」

 ミレーはその細腕でルナをひょいとヒューイの膝に乗せると、自身はヒューイの肩へとしなだれがった。


 何が何だかさっぱり分からず一人置いてきぼりとなったルナがヒューイの顔を伺うと、ヒューイは初日にドアを閉めた時と同じようにイタズラをする子どものような顔をしていた。


「カッツェ、落ちるなよ?」

「はい」

 何が起きるかは分からない。

 けれどそれはルナにとって悪いことではないのだとだけ理解した。……それだけわかれば十分だった。



「来たぞ」

 ヒューイが短く発すると部屋の空気にキリリと緊張が走る。


 するとすぐにバンっと勢いよく閉ざされたドアが開かれた。

 まっすぐとヒューイとルナの元へ進んでくるのはルーカスだった。

 手には見覚えのある籠と、そして花束が握られている。下に向けられた花はヒラヒラと花弁を床へと落としていく。


「おうおう、宰相様のお出ましだ。少し遅かったんじゃないか?」

 ふっと鼻で笑いながら煽るようにして手を広げるとそれが合図のごとく男たちは一斉に武器を構えた。


「お、お前はアンジェラス商会の!?」

 ヒューイの姿を目にしたルーカスは彼がここにいるなんて信じられないとひどく驚いたような顔をした。


「なんだ、俺のことを知っているのか?」

 そんなルーカスを前にしてもヒューイの態度は未だ変わらない。それどころかもっとルーカスを煽っているようにルナの目には写った。

 数日間見て来たヒューイはこんな人ではないのだから。


「こんなことしてタダで済むと思うなよ!」

 ヒューイの策略通りルーカスの苛立ちは募っていく。ピリピリとした怒りは空気に乗ってルナにも伝わって来た。

 けれど怖くはなかった。ヒューイのルナを支える手はいつも通り優しかったからだ。


「タダでなんて済ませる気はさらさらないさ」

 彼らがどうしてこんなことをするのかは分からなくても、どんな言葉を吐こうとも、それはルナのためであることだけははっきりしている。


「……っ。ルナを離せ」

「威勢がいいことだ。まず先にその中身を見せてもらおうか」

 ヒューイがルナを支えている手とは逆の手で男たちに向かって手をひゅいっと曲げて合図するとその中の一人がルーカスの手から籠を奪った。

 そして丁寧な手つきで中身を確認すると男はヒューイに向かって二度頷き合図した。


「金のほうはちゃんと用意したみてぇだな」

 どうやらそれがヒューイが話していた身代金というものであったらしい。


 ルナにはそのことが信じられなかった。

 ルーカスがこの場所へ足を運ぶ以上に、お金までを用意するなんて……。彼らがどのくらいの身代金を要求したのかはわからない。

 それでもルーカスにとって自身がお金を払う価値のある人間だとは思えなかったのだ。


「次はもう一つのもんだ。さっさとその手のもんを渡せ」

「ああ、だがこれになんの意味が……」

「早くしな!」

 ミレーが本気で苛立ったようにルーカスに怒号を浴びせると、下に向けていた花束を上へと向けてヒューイへと差し出そうと近づいた。


 けれどその進みは先ほどの男によって遮られた。


「交渉は決裂だ」

 男の声には確かな殺気が含まれていた。ルナに向けられた気ではないのに、背筋にぶあっと汗が集結する。

 ヒューイは苛立ちを隠せない様子で自らの指を噛んでいた。


「ケビン。それ返してやれ。宰相様のお帰りだ」

 男たちの山から一人の男はルーカスが差し出したばかりの籠を突きかえすと出口へ向かって引きずり出した。


「ま、待て、待ってくれ!」

「何だ、まだいるのか? これ以上いるってならその身体、八つ裂きにされる覚悟はあるのか?」

 ヒューイは怒っていた。

 いや、この部屋にいる誰もがルナの悲しみを怒りへと変換していた。



 ルーカスが差し出したのは黄色い薔薇の花束だったのだ。

 あの日送られてきたのと同じ、『Dear』の文字が刻印されたリボンが飾られている。

 ルナは一度ならず二度までもルーカスに拒まれたのだった。宝石の次はお金を用意してまで、自身の気持ちを突きつけにやってきた。


「な、なぜだ。約束の品は確かに……」

 男に圧倒的な力で引きづられていくルーカスは必死で足を踏ん張ってそこに居座ろうとする。

 その姿をヒューイは嗤った。

 苛立ちと憎しみが篭った顔で見下した。


「おい、ルーシィ。こいつに渡したのはたしかにあの手紙だろう?」

「はい、ヒューイ様。間違いはありません」

 男の山からゆっくりと歩いてくるルーシィの目はルーカスを敵と認識していた。ひどく冷たいその瞳はルーカスを今にも貫きそうだ。


「手紙に書いてあっただろう? 返してほしくば金とルナ嬢に贈る花を、一輪持って来いと。お前はわざわざ離縁する女を迎えに来たってわけか? わざわざ危険まで冒して……だ。傑作だなぁ。宰相様っていうのは案外暇なお仕事で」


 今すぐこの場から立ち去れと言葉に散らばる棘がルーカスに向かって一直線に飛び散る。


 全てはルナを守るために。


「そんなわけがあるか! 俺がいつ彼女と離縁したいといった」

「言ってはないさ。でもあんたの手の中の花はそういう意味だろう?」

 ミレーはヒューイの首の脇から身体を突き出してつややかに言った。

 男を魅了するように、遠ざける。


「これはただルナのために……」

「お嬢ちゃんのために離縁する? そりゃあ、いい話だな。なぁ、嬢ちゃん。この宰相様に離縁されるんならいっそのこと俺の女にでもなればいいさ」


 彼らの言葉は真逆の意味を持つことを知っている。

 頑張れって、耳をふさぐなって言っている。


 ルナは知っている。

 彼らの優しさを。

 だったらと必死で考える。自分にできることは何なのかを。


「お前……」

「おい、宰相さんよぉ。ここは俺たちのアジトだぜ? 口の利き方ってもんを知らねえのか?」

 男はルーカスの首にナイフを這わせた。首の皮は薄く切れて血が滲んでしまっている。それでもルーカスは屈しなかった。


「そうだとしても、俺は自分の愛する妻が侮辱されているのを黙ってみてはいられない」

「愛する妻? このお嬢ちゃんがかい?」

「ああ、そうだ。彼女は俺の妻だ。俺の愛する人だ。」



「…………だ、そうだよ。カッツェ」

 ヒューイの声は一気に優しく変わり、いつものようにルナの頭に手を置いた。

 かつてグレンがそうしたのと同じように慈愛に満ちた手からはぬくもりを感じた。


「……私はルーカス様に愛されている?」

 ルーカスの発した言葉はルナの脳内に正常に通達されたものだとは信じられなかった。


「私はお姉様の代わりで……」

 ルナは一年以上エルの代わりとしてルーカスの隣にいたのだからそう簡単に信じられるはずがなかった。

 感情を閉ざして、それ以上は望まないように自制していた。

 全ては自らが代替品だと思っての行動だった。


「エルの? バカなことを言うんじゃない。俺はルナだけを愛している」

 ルーカスの瞳はもうルナしか捉えていなかった。必死で自分の言葉をルナへと伝えようとしていた。それでもルナはルーカスの言葉を信じることはできなかった。

 ルーカスから目をそらし、そして一点を、ルーカスの手の中の花束を見つめる。


「でも、その花は……」

 黄色い薔薇の花束は見た目の可愛らしさと正反対の残酷な意味を告げているのだ。


「『dear』の黄色い薔薇は別れを運ぶ薔薇。縁を切って新しい縁を運ぶ幸せの薔薇」

 ルーシィは言葉に詰まるルナの言葉を続けてケラケラと笑った。

 ケーキを頬張った顔とは全く違う。小さい身体で精一杯誘拐犯の仲間を、悪役を演じているのだ。

 全てはルナのために。

 ルーシィだけではない。この屋敷にいるみんながルナの味方だ。


 だから前に進まなくてはいけない。

 目を逸らさないで、目の前を見るのだ。

 怖いけれど、でも大丈夫。1人じゃないから。私を必要としてくれる人がいるから。


「縁を切る? 新しい縁を運ぶ? 嘘をつくな!」

「嘘なんかじゃないさ。なぁ、カッツェ」

「……はい」


 ルーカスは絶望に打ちひしがれたように、床へとへたり込んだ。

 頭を床に向けて誰に伝えるわけでもない、言い訳じみた言葉を吐く。


「俺は……俺はただルナが好きな黄色い花を送りたかっただけなんだ……」

「それが寄りにもよって“dear”の花を贈るだなんて、本当に馬鹿な男」

 その小さな言葉すらも捉えたミレーはくずかごに用済みになった紙くずを投げ捨てるようにへたり込んだルーカスめがけて吐き捨てた。

 沢山の瞳に見下ろされたルーカスはただ下を向いた。握りしめてできた拳にはいくつもの雫が落ちていく。


「……この店は幸せを運ぶのだと、女性はそういうのを喜ぶのだと聞いたんだ」

「悲しませてちゃ世話ないな」

「ああ、全くだ」

 ブルックとコニーは持っていたナイフをしまい、代わりにルーカスに近づき手を思い切り振るった。

 バンと思い切り背中を叩かれたルーカスは前につんのめり、地面に顔が触れそうになる直前で両手で身体を支えた。

 そしてゆっくりと立ち上がったルーカスの瞳にはもうルナしか見えていなかった。


「なぁ、ルナ。もう一度、俺に花を贈る機会を与えてくれないか? 俺はもう一度君に花を贈りたい。黄色い薔薇じゃない。他の黄色い花を抱えられないくらい」

「その時は……その時はあなたの色で私の胸を満たしてください」

 胸の前で震える手をもう片方で押さえつけた。それはもう拒絶される怖さからではない。

 嬉しさからだった。


「……ルナは黄色が、カーティスさんやエルの色が好きなんじゃないのか? そのイヤリングだって」

「あなたの色がいいんです」

「……贈ろう。俺の色で君が染まってくれるなら、君が俺の元へと帰ってきてくれるのなら、何度だって」


 ずっと欲しかった言葉はルナの全身の力を奪っていった。

 ドレスが汚れることなんて気にせずにルーカスの元まで走ると、彼の手を掴んだ。

 ルナの頬には次々と涙が伝っていく。

 今までの怯えを全て流してしまうように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=885171373&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ