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6-7

 木々の合間からほんの少し光が入るだけの暗い森の中で一人、ルナは立っていた。

 身を包む服はボロボロで、いたるところが裂けてしまっている。


 なぜいきなりこんな場所にいるのか……。

 それは夢だからだろうとルナはすぐに結論づける。

 夢でもなければ今にも泣き出してしまいそうだったから、夢だ、夢だと必死に言い聞かせる。

 けれどやはり怖かった。

 周りは木ばかりで舗装された道はない。何処に進むのが正解かもわからず、近くには誰もいない。


 そんな中一つだけ声がしたのだ。

「カッツェ」

 ルナの名前を呼ぶ声だ。


「誰?」

 けれどそれは遠すぎて、ルナの声は相手には届かない。

 だから、相手は呼び続ける。

「カッツェ」

 黒い影が木の間から遠くに見えた。その陰はルナを探してさまよっているように見えた。ルナはその陰に必死で手を伸ばした。

 顔も見えない誰かに助けを求めたのだ。


「ねぇ、誰なの? 待って、行かないで」

 ルナの声はやはり相手に届かない。

 必死で手を伸ばしても黒い影は遠ざかっていくばかり。

「カッツェ」

 そう呼びながら、呼んでおきながらルナの元を離れて行ってしまうのだ。


「……待って、一人は嫌なの」


 そしてルナは一人、何もない空を掴んだ。


 ***

 視界に入った手はすっかり見慣れた天井へと伸びていた。

 当然手の中には何もない。

 そしてルナを呼ぶ声も人もいない。



 この部屋にはルナしかいない。


「……夢……」

 声に出して、それが夢であったことを頭に覚えこませる。

 あれは現実などではないのだ――と。


 ケモノが沢山いると初日にヒューイから聞かされた森はルナの夢のそれとよく似ていた。

 広葉樹で構成され、手入れをされていないように見える森は進めば進むほど外の光を通さなくなることだろう。

 最近あの森を見たから、だから夢に出てきたのだ。と思い込ませないと身体が震え出しそうだった。

 正夢なんてそうそう見るものではない。だが望まぬとも見てしまうこともある。

 例えルナが占術師のように特殊な何かを持っていなくとも近い未来に起こる出来事を予見しているということもあり得るのだ。


 トントン。

 柔らかく奏でられたノックの音にルナは飛び起きた。


「カッツェ、入ってもいいか?」

 声の主はミレーでもヒューイでもなく、意外にもブルックであった。

 なぜブルックさんが?

 ブルックは食堂で会えば話はすれど、今まで一度だってこの部屋を訪れたことはなかった。


「は、はい」

 ブルックの訪問を疑問に思いつつも、承諾した。

 もとより断るつもりはないが、今は一人でいたくなかったルナにとってブルックの訪問はありがたかった。


「具合はどうだ?」

 ミレーやヒューイの時とは違い、ゆっくりと開かれたドアから入ってきたブルックの手には小さな皿が沢山乗ったトレイがあった。


 心配、してくれたの……かしら?

 ブルックとルナとの距離が詰められていくとトレイの上の物もよく見える。

 それは器用に動物の形にカットされたフルーツであったり、一口サイズのパンであったり、ホットミルクであったりとにかく様々だ。


「朝全然食べてなかったから何か食べれるものあればと思って作ってきたんだが……何か食べれそうなのあるか?」

 ベッドに腰掛けた状態のルナの隣に同じように腰掛けて、真ん中にはトレイを置いた。


「あ、別に今すぐでなくてもいいし、無理に食べろとは言わないが……その……」

「心配、してくれたのですか?」

「当たり前だ!」

 今まで口ごもっていたのが嘘のように力強くルナの肩を掴んだ。

 そして弱々しく「心配……しないわけがない……」と今にも泣き出しそうな声でその手を緩めた。


「……悪いな。いきなり来て。ご飯は……ここに置いていたら寝るのに邪魔になるから、机の上にでも置いておく」

 トレイを手にしてベッドから、ルナの元から去ろうとするブルックの服を震える手で掴んだ。


「少し、少しでいいので……ここにいてくれませんか?」


 夢の中では届かなかった声。それがブルックに届くか、そして届いたとしてもその願いは聞き入れられるのか不安で仕方がなかった。


「ああ」

 ブルックはトレイを支える手を片方だけ離して、そしてルナの頭に手を乗せた。


「カッツェが落ち着くまで側にいる。だから安心して眠れ」

 ベッドのすぐ傍の小さな引き出しの上にトレイを乗せると布団に入ったルナの手を握った。


「おやすみカッツェ。いい夢を」


 今度こそは嫌な夢を見ないだろう。


 確信めいた思いがルナの心の中を満たしていった。


 ***

「起きたのか?」

 目を覚ましたルナが初めに耳にしたのはブルックの、気遣うような優しい声だった。


「あの……その、ずっといてくれたんですか?」

 居てほしいと願ったのはルナであった。だが、まさかずっといてくれるなどと夢にも思わず、悪いことをしてしまったと気が焦る。


「ああ。手、離したくなかったんだ」

 まだしっかりと握られた手を少しだけあげて、ルナに見せるともう片方の手で包み込んだ。そしてその手に口を寄せルナには聞き取れないくらいの声で何やらつぶやいた。


「ブルックさん?」

「いや、なんでもない。よく眠れたか?」

「はい!」

「それはよかった。じゃあ、俺は行くから」

 手を離し、そして頭を優しく撫でた。離れて行く手を目で追ったが再び掴むことはしない。

 ブルックが去った後、ルナは自分の頭に手を乗せた。


 そこはまだ少しだけ温かいような気がした。



 ブルックが持ってきたトレイに残されていたパンを少しだけ千切って口の中に入れてからさてどうしようかと考える。

 外はいつの間にかすっかり暗くなっている。本来ならば今こそ寝る時間だ。けれどもう朝からたっぷりと寝たルナはこれ以上寝られる気がしなかった。


 そんな時思い出したのは、二冊の本だった。ミレーに勧められた本と取り上げられた図鑑だ。

 トレイを引き出しの上から机の上へと移動させてからその二冊を本棚から取り出して、再び布団へと戻った。

 枕を背もたれがわりにして、まずはミレーに勧められた本から手に取る。残った図鑑は引き出しの上に置いておいた。

 これで途中で布団から出ることもなければ、いきなり睡魔がやってきても眠りにつくことができる。

 これはルナが幼い頃、眠れない夜によくとった行動だった。

 合皮の皮で包まれた表紙をめくり、そしてそれに続いて紙をめくる。一ページ、また一ページと進むたびに話の中へと誘われていった。

 その本一冊を読み終わってもルナの気持ちを落ち着かせることはなかった。

 ミレーに勧められた本は魔法使いが幽閉された女の子を助け出す話だったのだが、その本は一冊では完結しなかったのだ。

 ルナの中で女の子はまだ魔法使いに会ったばかりで牢屋のような塔からは脱出できていない。時が止まったままなのだ。

 ルナはどうしても女の子と魔法使いがどうなるのか知りたくて布団から出るとすぐにその本があった場所へと足を進めた。……けれどその話の続きはなかった。

 どうやらその話はシリーズものらしく3.4.5.6とタイトルのほとんどが同じ本が並んでいるのにどうしてか2と刻まれた本だけがなかった。


 間違えてしまってしまったのかしら?

 そう思い、近くのタイトルも一つ一つ見て行くがやはりどこにもない。

 それどころかその本は見つかっていないのに先に睡魔が襲ってきてしまった。


 仕方ないわ。明日にしましょう……。

 ルナは本を探すことを辞め、眠りにつくことにした。

 ベッドへと向かうと、その本の次に読もうと思っていた図鑑が自己主張をしている。読めなかったそれは一度閉まってもいいがどうせ明日も読むのだからわざわざしまうのも面倒くさかった。それよりも睡眠欲が勝ったのだ。

 けれど朝になってもしミレーがやってきた時にこの本を見かけて機嫌を損ねることになると厄介だ。

 ルナは眠い頭を必死に動かして二段ある引き出しの下の段へと図鑑を横たわらせた。


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