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ルナとエルの兄の話。
俺は父が怖かった。
昔はとても優しく家族思いだったのに、どんどん変わっていってしまう父が。
俺は次期当主となるために父から教育を受けていたその分、妹たちよりも父といる時間が長かった。何かミスをしたり、父に逆らえば殴られる。
父の頭の中には、亡き母への思いと権力を欲することしかないのだろう。
そんな父が怖かった。
俺は、父の機嫌を損ねないようにただおびえて過ごすしかなかった。
いつもビクビクと父におびえる俺をエルは蔑むような視線で見ていた。
昔はあった会話も次第になくなり、俺とエルは話さなくなっていった。
ルナは俺に話しかけようとしてくれるが、その度にこちらを睨むエルの視線が怖かった。なにより、ルナが俺と会話することによって彼女が何かしら父の反感を買ってしまうかもしれないということが恐ろしかった。
俺が殴られるのはまだいい。でも、まだ幼いルナが殴られてっしまったら……。そう思うと怖くなってルナを避け始めた。
ルナがかわいそうだと思うが、俺にはそうすることしかできなかった。
俺はただ父に従う。それだけの日々。
父に従ってさえすれば何も起こらない。
それが一番安全だから。
亡き母と権力に執着する父。
ルナに執着するエル。
2人とも普通じゃないことぐらいわかっていた。
それでも、止められなかった。
俺は変わっていってしまう彼らから目を背けることしかできなかった。
ある日、父は病を患った。
医者から病名を聞いたとき父は歓喜した。
「あいつと同じだ」
母と同じ病気だったから。
母が亡くなってからというもの一度も笑ったことのなかった父がとても嬉しそうな顔で笑っていた。
「治療方法なのですが……」
「治療? そんなものはしなくていい。あいつと同じように死ねるんだ。この日をどれだけ待ちわびたことか」
「そうですか……」
父は治療を拒み、死ぬことを選んだ。
母の元へ行くことを。
「遅くなってごめん。今から君の元へ行くから」
これが父の最後の言葉だった。
愛する母へ向けた言葉。
父の顔は雨が上がった後の空のようにとても晴れやかだった。
父にとって母のいない世界で暮らすことは苦しいことだったのかもしれない。
父は家族を愛していたのではない。
母を愛していたのだ。
そして、俺はランドール家の当主となった。
父が亡くなったため俺が妹たちを、家族を養っていかなければならない。
俺は父の頃からの伝手を頼り、一生懸命働いた。
どの相手も俺の姿を好意的に受け止め、力を貸してくれた。
当主になったばかりで父についていた時ではわからなかったことや苦労があった。
俺は寝る間も惜しみ仕事を覚えて行った。
「お兄様、おかえりなさい」
大きな仕事がひと段落し、家に帰宅した時だった。
ルナが出迎えてくれたのだ。
長い間会話なんてなかった。
俺はルナを無視し続けたのに。
それでも、ルナはこんな俺をお兄様と呼んでくれた。そのことがとても嬉しかった。
「ただいま、ルナ」
そう言って、俺はルナを抱きしめた。
ルナはいきなり抱き着いた俺を見て戸惑っていたようだ。
それでも、俺はルナを離さなかった。
大事にしよう。
養うべき相手ではなく、一人の兄として。家族として。
ルナをそしてエルを大事にしようと誓った。
仕事がひと段落した俺は全く手を付けていなかった父の書斎を整理することにした。
父の机の中のものを整理していると1通の手紙を見つけた。
開封されていない手紙。
その手紙のあて名は俺になっていた。
「言ってくれなきゃわからないじゃないか……」
そこには父からのメッセージが書かれていた。
父は俺たちのことを嫌ってなどいなかったのだ。
それどころか愛していたのだ。
ただ、俺達にはその愛が伝わっていなかっただけ。
俺はずっと父を恐れていた。
父が俺たちを愛しているなんてことは知らずに。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
あの日から毎日見送りと出迎えをしてくれるルナ。
今までだって使用人が毎日見送りと出迎えをしてくれていた。
だが、家族がしてくれるものはそれとは違った。
温かいと感じる。
「ルナ、エルは?」
ルナと会話するようになってからというものエルの姿を見ていない。
初めはたまたまかと思ったがもう2週間になる。
いくら長い間会話がなかったとはいえ、姿が見えないと心配になる。
「お姉さまですか? 何か用事でも?」
「用事というわけではないんだけど、最近見てないなと思って」
「会ってないんですか?」
「ここ2週間ほど見かけてない」
「そうですか……。お姉さまなら日中はお部屋にいらっしゃいますよ」
「そうか」
俺は仕事を早く切り上げて、日中エルの部屋を訪ねることにした。
「エル、いいか」
「どうぞ」
部屋へはいるとそこにはエルとルナがいた。
「エル、ちょっといいか?」
談笑中のところルナには悪いがこの機会を逃すと会えるのはいつになるかわからない。
「私のことは気にしないでください」
「でも……。わかったわ」
初めはとても嫌そうにしていたが、ルナの言葉を聞いて諦めたのかようやく頷いてくれた。
「なんですの?」
「ごめん。俺に話しかけられるの嫌だったか?」
つい謝ってしまった。
強気で話されるとついつい謝ってしまうのが悪い癖なのは分かっているが、これは抜けない。
「話しかけるならルナが一緒にいないときにして」
「え?」
「ただでさえ最近ルナとの時間が少ないっていうのに、もっとルナとの時間が減るでしょ!」
「ごめん」
「まあ、いいわ。それで何?」
「最近姿を見ないからどうしたのかなと思って」
「……」
エルは信じられないといった顔をしている。
それもそうだろう。
長い間会話すらなかった兄が自分を心配しているかのようなことを言うのだから。
それでも俺は気にせずにはいられない。
エルは大事な家族なのだから。
「……変ったわね」
「え?」
「以前の兄様なら私がいなくても気にしなかった。もしくは気付いてすらいなかったはずよ」
エルの言う通りかもしれない。
以前の俺なら、父の機嫌を損ねないようにすることしか考えていなかっただろう。
きっとエルのことなんて気にしないはずだ。
「戻ったって言った方が正しいのかしら。昔はこんな感じだったものね。お父様が亡くなってから兄さんは変わったってルナが言っていたのは本当だったのね」
「嫌か?」
父が亡くなってからいきなり兄面するなんて虫のいい話だとでも思われているかもしれない。
「嫌だったら話なんかしないし、ルナが話しかけるのだって邪魔するわ」
「邪魔するのか」
「そうよ。ルナに害がある人間ならね。でも、兄様は違うでしょ?」
「なんかお前も変わったな」
以前までのエルだったらルナにかかわるもの全てを排除しようとしただろう。
昔、俺を睨んだ時のように。
でも、今のエルは受け入れようとしているのだ。
「そうかもね。変わったのかもしれないわ。あ、でももしもルナをいじめようとしたらその時は……」
ルナを大事に思う気持ちは相変わらずのようだ。
「俺がルナをいじめるわけないだろう。大事な家族なんだから」
「……なんか兄様、気持ち悪い」
「き、気持ち悪いだって? ひどくないか?」
「でも、そんな兄様も悪くないわ」
「そっか」
俺たちは変わっていくのかもしれない。
少しずつ、だけど確実に。
「兄様、大丈夫ですか?」
「ちゃんとご飯食べてるの? 仕事ばっかりしてるんじゃないでしょうね?」
風邪をひいた俺の見舞いに来てくれる妹たち。
妹たちは二人とも嫁に行ってしまったけれど、俺たちが家族なのは変わらないのかもしれない。
「家族っていいよな」
「? はい、そうですね」
「何をいまさら」
俺はこれからも家族を大事にしようと誓った。