1-3
エルの話。
「お前はクロード家の次男と結婚するんだ」
「お前は次期宰相の嫁になるんだ。いいな」
私が幼いころから何度も父に聞かされた言葉。
ただ私はルーカスと結婚するためだけに育てられてきた。
父にとって、私はランドール家が力を得るための駒に過ぎなかった。
ルーカス=クロード。
この男が私の婚約者。
クロード家は同じ伯爵家であり、格はランドール家とそれほど大差はない。家自体は……。
父がルーカスに執着するのは彼が次期宰相候補だからだ。
彼は、いわゆる天才で神童と呼ばれる子供だった。
幼いころから宰相に目をかけられ、次期宰相はルーカス=クロード以外はありえないであろう。と噂されるほどだった。
だから、父は何とかして彼と私を結婚させたがった。
権力を手に入れるために。
ある日、クロード家が大きなミスをした。
ルーカスさえいればなんてことはなかったミス。
たまたまルーカスが不在で、クロード家にはそのミスに対応できるものはいなかった。
放っておけば、クロード家は大損害を受けることになるだろう。
そのミスをランドール家が、父がカバーした。
父の行動のおかげで、大損害を受けることを防げたクロード家。
それにより、ランドール家はクロード家に大きな貸しを作ることができた。
その貸しの代償としてランドール家がクロード家に要求したものはルーカス=クロード。
クロード家にとって一番手放したくない存在であっただろう。
それでも、クロード家はランドール家に逆らうことができなかった。
そうして、私の婚約者になったルーカス。
父にとって私が駒であるように、ルーカスもクロード家の手持ちの駒の一つに過ぎなかったのだ。
ルーカスは私に興味なんてなかった。
私も彼に興味なんてなかった。
その時の私は、将来は彼と結婚する。そのことだけが分かっていれば問題なんてなかった。
だから、私は彼に興味すらなかった。
彼だけではなく1つのものを除いて私の興味を引くものなんてなかった。
私は妹にしか興味がなかった。
かわいい、かわいい妹。
私のことを慕ってくれる、好いてくれる唯一の存在。
母が亡くなって狂ってしまった父。
父におびえて父の言うとおりに動くだけの機械のような兄。
そして、私のことを認識してはいても一言も話そうとはしない婚約者。
彼女だけが、ルナだけが私を一人の人間にしてくれる。
ルナの言葉だけが私にとって意味を持つ。
ルナさえいれば他には何もいらない。
ルナは私にとって大事な宝石。
「誕生日おめでとう」
ルーカスが初めて私にかけた言葉。
私に話しかけようとしなかった彼が、ランドール家に足を運んだことさえなかった彼がわざわざランドール家までやってきたのだ。
それはただの気まぐれか、もしくはただ家のものに言われたから足を運んだだけなのかもしれない。喜んだ父は、すぐさま使用人に食事の席を設けるように指示をした。
私の誕生日など覚えていたんだ。
血縁者の父と兄でさえそんなこと覚えていなかったのによく覚えていたな……。
その食事の席でルーカスとルナは出会った。
彼とルナは互いに一目ぼれをした。
それは私から見てもわかるようなことだった。
ルーカスの機嫌をとることしか考えていない父。
そんな父の機嫌損ねないようにとビクビクしながら父の横で座っている兄。
彼らには気付くことはできなかっただろう。
でも、私にはわかった。
私は誰よりもルナを見ていたから。
愛していたから。
ルーカスと話しているルナは輝いて見えた。
ルナは私には見せたことがない表情をしていた。
ルナはわずか10歳の女の子なのに、一人の女性のように見えた。
ルーカスは仮面のような顔がかすかに、でもしっかりと動いていた。
ルナを目の前にして彼は初めて人間らしさを見せたのだ。
その日を境にルーカスは1~2か月に一度、ランドール家に足を運ぶようになった。
ルナと会うために……。
ルーカスが通うようになってからルナは変わっていった。
私だけの宝石だったのに、ルナの前にルーカスが現れてからというもの私だけのものではなくなってしまった。
私だけを見ていたはずの彼女の眼には私のほかにルーカスも映るようになっていった。
彼女の輝きを知るものは私だけではなくなってしまったのだ。
ルーカスと会うごとに、会話をするごとに輝きを増していくルナ。
ルナが取られていくような感覚だった。
彼女は、ルナは私のものなのに。
なぜ今、私の隣にはルナがいないの?
「こんにちは」
ある日私はランドール家の領地のはずれにある湖である少年に出会った。
綺麗なブロンドの髪にサファイアのように美しい瞳を持った少年に。
「あなたは?」
こんなところにいる彼を私は不思議に思った。
「僕はマイク、君は?」
「エル」
「エルか。いい名前だね」
「ありがとう」
私の名前は母様と父がつけてくれた名前。
私が家族から愛されていたころにもらった名前。
私が愛されていたのだというただ一つの証拠。
「マイクはなんでこんなところにいるの?」
ここはランドール家の領地のはずれ。あまりにも領地の中心部から離れているため普段は誰も入ることはない。
私は幼いころから何度もこの湖を訪れているが今まで誰にもあったことはなかった。
「ちょっと願い事があってね」
「願い事? なんでこんなところで……」
自然を感じられるところで願い事をすることは珍しくはない。
それは湖も例外ではない。
だが、ここはあまりにも辺鄙な場所にある。もっと簡単に行ける場所があったであろう。
「ここじゃなきゃダメなんだ」
「ここじゃなきゃダメなんて、変なこと言うのね。どこで願っても一緒でしょ?」
「ううん、僕の願いはここでしか叶わない。君がいるこの場所でしか」
私はマイクと初めて会ったはずだ。なのに彼はあたかも以前から私を知っていたかのように言う。
そんな彼を私は不思議に思った。
「変な顔をするんだね。まぁ、仕方がないか。君は僕を知らないようだけど、僕は君のこと知ってるよ。エル=ランドール、ランドール伯爵の令嬢だよね」
「マイク、あなたって一体……」
私は確かに彼に名を名乗った。
だが、身分までは話していない。なのに、彼は私をランドール家の令嬢だといった。
町娘と同じような格好をしていている私。町に出ても領地の人間ですらほとんどわからないのに彼は私の名前を当てて見せた。
「僕? 僕はただのマイクだよ?」
「ねぇ、エル。僕の願い叶えてよ」
会って一時間もたっていないのに自分の願いを叶えろというマイク。
「そんなに難しくないよ? ただ死んでくれさえすればいいんだ」
簡単でしょと言い放つマイク。
初めて会ったのに死んでくれという彼。
「理由も述べずに死んでくれなんて理不尽じゃない?」
「ああ、ごめんごめん。僕には好きな人がいるんだ。敬愛する人が。その人に幸せになってもらいたいんだ」
「私が死ねばその相手は幸せになれると?」
「うーん、どうかな? でも、幸せに近づくことはできると思うんだ」
だから、死んでくれない?と笑顔で言い放つ。
「好きな人が幸せになれる可能性を発生させるために死ねと?」
「うん」
「冗談じゃないわ! 私が死んだら妹はどうなるのよ!」
私が死ぬのはどうでもいい。
でも、私が死んでしまったら、まだ小さいルナが私の代わりに駒にされてしまう。
「妹が、ルナが不幸になるなんてそんなこと許さないわ!」
「そんなことどうでもいいよ。ルーカスさえ幸せになれば」
「ルーカスってルーカス=クロード? あんた、あいつの何?」
「僕にとって彼は恩人。生きる理由。彼以外ははっきりいってどうでもいいんだ。君の妹さんが不幸になろうとどうでもいい。でも、ルーカスが幸せになるには君の妹が必要なんだ。これは揺るがすことのできない絶対条件」
「じゃあ、私に死ねというのは……」
「君が邪魔だから。君とルーカスの婚約を無理やり破棄して彼を解放するのは簡単だけど、そしたら君の妹が手に入らない。彼女をルーカスが手に入れるためには君という存在自体が邪魔なんだ」
ずいぶんと勝手なことをいう。
「ルナさえどうでもいいですって? ふざけないで!」
「ふざけないでだって? 僕はふざけてないよ。そんなこと君にだって本当は分かっているんだろう?」
「そんなこと……」
「調べてあるんだよ? 妹さえいれば何もいらないんだろ? 僕と何が違うんだ」
「1人の人間に執着し、その相手以外は必要ないと感じる。同じじゃないか」
「……」
「僕はルーカスに、君は妹さんに執着している。僕はルーカスのためなら何でもできるよ?」
私だってルナのためならなんだってできる。
彼女が私を必要としてくれる、慕ってくれる。
彼女がいなければ私は人間になれないのだから。
「私は妹に執着していたの?」
「気付いてなかったんだ。あんなにルーカスと妹が近づくことを妨害していたくせに」
「妨害なんて……」
していた。
ルーカスがルナと会うのは嫌だった。
だから、私はルーカスからルナを隠した。
ルーカスに見つかってしまうことも少なくなかったけど、それでもルナをルーカスから遠ざけることをやめなかった。
「していたでしょ?」
「でも、未婚の妹が自分の婚約者に会うのを邪魔することって不思議じゃないでしょ?」
そう。私の行動は不思議なことではないはずだ。
「気付いてないの? 君がどんな目でルーカスを見ていたのか」
今にも殺しそうなほどだったよ。と彼は言う。
そんな目をしていたといわれてもなお、私にはわからなかった。
自分がそんな目で彼を見ていたなんて……。
「君を見て思ったんだ。君と僕は同じだって。だから、君には死んでほしかった。彼のストーリーからさっさと退場してほしかったんだ。だって、君がいたら2人は幸せになれないじゃないか」
「でも、そんな必要ないみたいだね」
ただ妹に溺愛しているだけだと思っていた。でも、私がルナに向けていた感情は愛情ではなく執着。
愛情だと思って彼女を縛り付けていたのだ。
彼女が幸せになることを邪魔していたのだ。
ごめんなさい、ルナ。
「私はどうすればいいの?」
「ねぇ、妹さんを幸せにしたくない?」
「もちろん」
彼女を幸せにしたいに決まっている。
ルナに向ける感情が何であれその気持ちは変わらない。
「だったらさ、僕と手を組まない?」
「どういうこと?」
「僕はルーカスを幸せにしたい。君は妹さんを幸せにしたい。そして、2人は互いに愛し合っているんだ。することは決まっているだろう」
「ルナとルーカスをくっつける?」
「大正解! 君と僕が手を組めば絶対に成功するんだ」
「ルナを手放せと?」
「それで、妹さんが幸せになるんだよ?」
私から見ても仲の良い2人。ルーカスと一緒になることができたならばルナは幸せになれるだろう。
「でも……」
「君が協力しなくても僕1人でどうにかする。彼に幸せになってほしいんだ。彼が幸せになるとき、僕が隣にいる必要なんてないんだ」
彼ならば本当にどうにかしてしまうのだろう。
「それでルナが幸せになれるなら……」
そうして私は彼の手を取った。
妹を、ルナを幸せにするために。