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5-1

「ルナ?」

 ルーカスからの贈り物を受け取ったルナはそれらをじっと見つめていた。そんなルナを心配し、声をかけたカーティスの言葉にルナははっとした。


「あ……、はい、なんでしょう?」

「何かあったのか?」

「えっと、その……」

 ルナは迷った。この黄色い花束の意味をカーティスに告げるべきかいなか。

 ふとルナの頭の中に先ほどの手紙がよぎった。

 この花の意味を告げたらこの方は何というだろう? 捨ててしまわれはしないだろうか……。

 もう宰相の妻ということでしか価値のない私をこの方は……。

 いや、どちらにせよ私はもうここにはいられない。


 お父様に子どもとして認めてもらえ、ランドール家の家族の一員として何年もの間この場所にいることを許してもらえた。本来ならばお父様が亡くなった時点で私の役目は終わりだったのだ。それを、ルーカス様にお姉様の、エル様の代替品として妻に迎えてもらって、ここにいることのできる期間を延長したに過ぎない。

 もう代替品としての役目を終えた今、私がここにいる権利はもうない。

 私が『ルナ=クロード』と名乗ることも、『ルナ=ランドール』と名乗る権利ももうない。私はただの『ルナ』になる。

 ルナは誰に与えてもらったのか今ではもうわからないその名前を、誰かの代わりなんかじゃなくて自分自身に与えられたものだと信じて、たった一つの、自分だけの名前にすがった。


「ルナ?」

「あの……馬車を貸していただけませんか?」

「馬車? ああ、そうか。もう……行ってしまうんだね」

「はい。もう……いられませんから」

 ここにはもういられない。権利を持ったものしかいることを許されないこの場所にもうとどまることはできない。

 たった数日前にこの場所にはまだ自分の居場所があるなんて信じたあの日が懐かしく感じる。確かにあったはずの場所にはもう自分の居場所はない。ルナはドレスの裾をくしゃりと握りしめた。


「……わかった。……出してくれ」

「かしこまりました。すぐに準備いたします」

「よろしくお願いします」




「準備が終わりました」

「……ルナ。元気でやるんだぞ」

「…………はい」

 最後の別れのようにかけられた言葉を胸に刻む。


 馬車に乗り、だんだんと遠くなっていくランドール家を小さな窓の中から見つめる。

 あの場所にはもう戻れない。


 あたたかいお父様の手のひら。

 いつでも自分を見てくれたお姉様。

 大切な家族なのだと思わせてくれたお兄様。


 幸せだった思い出に浸りながら揺られていく。

 一つでもあの家の役に立つことはできたのかはわからない。そんな自分を置いてくれたあの家に感謝を込めてルナは目を閉じて小さくなっていくランドール家に頭を下げた。




「ただいま戻りました」

 約1週間ぶりにクロード家の屋敷に入る。

 まだ自分の住む家だというのに、なぜこんなにも気が重いのだろうか。


「ルナ様おかえりなさいませ」

「ルーカス様は今……」


「まだお戻りになられていません。先に夕食を召し上がられますか?」

「いえ、ルーカス様にお話ししたいことがありますので」

 いつもならルーカス様は家に帰ってきている時間だというのに……。帰ってこない彼は今頃、お姉様のもとにいるのだろうか。

 不要になった私に一方的な離縁を告げて……。


 ルーカス様にとって私はもう捨てた相手なのだろう。そう思うと締め付けられるように胸が苦しくなった。

 この屋敷に来る前から捨てられたことなんて分かっていたのに、もう自分の居場所なんてどこにもないのに……。なぜ今更こんな気持ちになるのか、ルナは自分の気持ちが不思議で仕方がなかった。


「ただいま」

「ルーカス様、おかえりなさいませ」

 久しぶりに聞くルーカスの声に、ルナはなるべく声をふるえないように、いつも通りにできるように気を付けたつもりだったが、そんなことはおかまいなしに声はみっともなく震えてしまっている。

 けれど、ルーカス様は私のそんな些細な変化など気にしていないようだった。


「ルナ、ルナ! 帰ってきてくれたんだな!」

 ルーカスは顔をあげないルナのもとに駆け寄り抱き着いた。

 初めてのルーカスの態度。それはルナの想像していた態度と違い、反応に困った。


「え、ええ」

 もう切り捨てると決めた相手。もっと邪険に扱われると思っていた。それほど私と離縁できることが嬉しいのであろう。そう思うとルナは少し寂しくなった。


「ルーカス様、お話があるのですが今お時間よろしいでしょうか?」


「ルナも夕食がまだなのだろう? 夕食を一緒に食べながら話そうじゃないか」

 ルーカスはルナの話よりも夕食を取ることを優先したいのかルナに手を差し伸べた。きっとつかめということだろう。


 ルナにとっては一生に何度も体験したくはないような話だった。ルーカスの帰りを待つ間、震えてしまう身体を何度も手でこすって自分を励ました。それなのに、ルーカスにとってこれからの関係は食事のついでに話すようなことだった。


 ルーカス様にとって私は代替品の役割すら果たせなくなってしまったのだろう。きっと私はもうこの人に価値を見出してもらえない。

ルナは顔をあげず、こぼれそうになる涙を必死でこらえながら、口から言葉を絞り出した。


「あなたの気持ち…………お受けいたします」

 たったこれだけ。

 この一年間の感謝を伝えたり、自分の思いを伝えたり、もっともっと、いろいろとルーカス様にお話したいことを考えていたはずなのに。

 伝えきれないだろうそれらを、ルーカス様に数分だけ時間をいただいて、その時間で話せるようにまとめたはずなのに。

 それでも忙しいルーカスの時間を奪ってしまったことに反省をし、ルナは花束とアクセサリーケースを入れておいた、エルからもらった籠をルーカスから差し出された手に乗せた。


「…………ルナ?」

 ルーカスは籠とルナを交互に見ながら、ルナの行動の意味を分かりかねているようだ。

 そんなルーカスにルナは

「お幸せになってください」

と深く一礼をし、ルーカスが入ってきた方向へ去っていった。

 ここを出るまではまだ自分は『ルナ=クロード』であるとルナは自分に言い聞かせながら、途中早足になりそうになるのを、こぶしを握りしめながら手のひらに爪を立てて何とか我慢した。


 そんなルナをルーカスはただ口を開けて眺めていた。


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