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「遅い、遅すぎる」
「坊ちゃん、仕事してくださいよ」
「仕事なんてしている場合か! 今日で10日だぞ? 最短距離で帰るための橋が落ちたとはいえ他にも橋くらいあるだろう」
今日でルナがランドール家にカーティスさんの見舞いに行ってからもう10日が経つ。
一昨日の昼に城に届いた報告書によるとランドール領の被害は他の地域と比べて大きかったものの、もうすでに今までと同じ生活ができるほどに回復しているようだ。
それなのに一向にルナは帰ってこない。
お見舞いに行った日、俺はその日のうちに帰ってくるのだと思っていた。
だから、せっかくもらえた俺の一日丸ごとの休みとはいえ仕方なしにランドール家に行く許可を出した。
その日の夜には一緒に夕飯を食べることができると思って……。
なのに、ルナは帰ってこなかった。
きっと帰るには遅くなってしまって、その日はランドール家に泊まったのであろう。そう思い、次の日はルナの見送りがないのを寂しく思いながらも仕事に向かった。だが定時に帰ってきた俺を出迎えたのはルナではなく、執事のシンラだった。
その次の日にはルナが帰ってこない、帰ってこられない理由が分かった。
だから、仕方ないと思えた。
だが、もう帰ってこられるはずなのだ。なのに、今でもルナは帰ってこない。今日でランドール領が回復してから3日が経つというのにルナからは何の連絡もない。
「もしかしたら事故にでも遭ったのかもしれない」
「そうしたら、すぐにでも連絡が来ますよ」
「だが……」
「はあ……坊ちゃん。そんなに心配なら手紙でも送ったらどうですか?」
「手紙……だと?」
「ええ、そうです。今もまだお仕事が多いようなので迎えには行けませんが、手紙ならそんなに時間かかりませんし、花でも添えたらどうでしょうか」
「花を?」
「ええ、ルナ様は花がお好きのようなのできっとお喜びになられますよ」
さっそくルーカスはシンラの助言に従いルナに手紙を書くことにし、棚の中から仕事にも私用にも使っている至ってシンプルな便箋を取り出した。しかし、便箋を広げ万年筆をにぎったはいいが、いざ書くとなるとなかなか書く内容が浮かばない。仕事なら便箋の枠いっぱいにお世辞と自分の用事を載せて、ものの数分で封をし、使用人に託すことが出来る。私用の手紙だって同じだ。家族に向けて書く手紙などさほど考えることなどない。ただ最近も変わりなくやっていると書けばいいだけ。受け取る父や母だって、変わりがないことだけ知れればいい。もっと言ってしまえばきっと手紙を送られてくるだけで、俺が、現宰相という役目についた人間が家族なのだと思うだけで満足なのだろう。あの人たちは俺には関心がない。だから家に帰らず、前宰相のもとで仕事をこなす日々でもうまくやっていけた。
これはルナに送る手紙。ルーカスはいつも通りに自分の用件をお世辞で装飾した手紙を出すべきか、それとも家族に送るような簡素な手紙を出すか迷った。
迷って、結局は今の気持ちをそのまま書くことにした。
帰ってきてほしい―――とただ一言。便箋のたくさんの空白、その真ん中に当たる場所に一文だけ書いた。
なんとか手紙をかけたことにほっと一息つき、ルーカスは腕を組みながら考え始めた。
残る問題は手紙に添える花だ。さすがに手紙だけ届けるのは味気ないだろう。どうせならルナの喜ぶものがいい。そうは思うものの、ルーカスは花にはあまり興味がなかった。庭に植えられた花をたまに眺める程度だ。いや、目に入ったものを『花』と認識しているといった方が正しいのではないかと思う程度だ。
だからルーカスにはルナに、というよりは女性にどんな花を贈るべきなのか全く見当がつかなかった。
そこで先ほどのシンラに聞いた話が頭によぎった。
シンラによるとルナは庭師に場所を借りて数種類の花を育てているのだという。わざわざ育てるくらいだ。ルナはよほど花が好きなのだろう。きっとそこにはルナの好きな花が咲いているに違いない。そう思い、ルーカスは庭で仕事をする庭師の元へ足を運んだ。
「おい」
「は、はい、何でしょうかルーカス様」
庭師は目をまん丸くしてこれでもかというほどに目を開き、ルーカスのほうに体を向けた。
そこでルーカスは今まで数えるほどしか庭を見たことがないことを思い出した。だから、シンラに言われるまでルナが花を育てていることを知らなかった。
見もしなかったのだから知らないのは当然ではあるのだろが、俺はルナが何をしているのかを知ろうとすらしなかったのか……と自分のことながら心底呆れる。
「ルーカス様?」
「ルナはどんな花を育てている」
「ルナ様ですか? えっと……ですね、そこに咲いている花は全てルナ様がお育てになった花です。どれも元気に育っているでしょう? ルナ様は毎日熱心に水をあげていらっしゃいましたし、以前は咲いた花をエル様にプレゼントするのだとはしゃいでいらっしゃいました」
「ルナが、この花を……」
庭師の指さす花壇には様々な種類の花が並んでいた。
だが、その花は皆同じ。色合いは違えども皆一様に蜂蜜のような、今にも甘いお菓子のような香りが漂ってきそうな黄色く染まっていた。
それはまるでルナが誕生日に一緒に過ごすことを選んだ、彼女の兄、カーティスの目の色のような。
下唇をかみしめるルーカスを何か粗相をしたのかとおびえてルーカスのほうをうかがいみる庭師。
何とかご機嫌を取ろうと庭師はふと思い出したことを口に出した。
「こ、この花なんてルナ様のイヤリングの色、そっくりですよね」
それは以前植える花を選ぶときに庭師がルナに告げた言葉と同じだった。この後ルナは顔をほのかに赤らめこの花を育てることに決めたのだ。
あのイヤリングはきっとルーカスからの贈り物なのだろうと思った庭師は花の蕾が開くのをそわそわと何度も水をあげながら待ち遠しく思っているルナをほほえましく見守っていた。この話で少しでも機嫌が直ってくれればと思った庭師が顔をあげるとそこにはすでにルーカスの姿はなかった。
「シンラ!」
イヤリング……。
庭師の言葉の意味が分からず、屋敷のどこかにいるであろう執事のシンラを呼びつける。
「なんですか坊ちゃん」
「お前は、その…………ルナのイヤリングを知っているか?」
のそのそと奥の方のドアからゆっくりと出てきたシンラに駆け寄り、さっそく庭師のいうイヤリングについての話をあげた。
「イヤリング?」
「ああ、そうだ。ルナが庭で育てている花と同じ色のイヤリングだ!」
「ああ、あれですか。あれならいつもと同じように今もルナ様がつけているのでは?」
「いつもと同じように?」
「? はい」
「……ルナはいつも同じイヤリングをつけているのか?」
「ええ、そうですけど……。って、まさか坊ちゃん……」
「それ以上は言うな」
「いえいえ、言いますとも。まさか知らないなんて思いもしませんでしたよ。まさか坊ちゃんがここまでルナ様の顔を見ていないなんて誰が思うでしょうか? いいえ、エル様でもそんなことは思いもしないでしょうよ」
「……っ」
責め立てるシンラに反撃できるような言葉は何も浮かばない。ルーカスの頭に浮かぶのはただ今までの自分を責める言葉ばかり。
ただシンラの言葉を何も言わずにスポンジのように吸い取っていくことしかできないでいるルーカスを見てシンラは「はあ」とルーカスによく聞こえるようにわざとらしく大きなため息を一つついた。この話は終わりだと告げるようにため息だけを残し、シンラはルーカスをいつものように食堂へ引きずることなく部屋を去っていった。
そして戻ってきたシンラは、固まったルーカスにカバンとコートを押し付け
「行ってらっしゃい、坊ちゃん」
と吐き捨てるように言って、再び下がっていった。
城に行く馬車の中でもどうしたものかとルーカスはずっと考えていた。シンラに話を聞こうかと思っていたがあんなに機嫌を悪くしていたらきっとしばらくは仕事を言いつけるとき以外はろくに口さえきいてもらえないだろう。……それも全て俺のせいなのだが……。
使用人が城についたことを告げ、何も言わずにカバンを持って馬車を降りる。そしてルーカスは決断した。
仕方がない、帰りに花屋によってから決めるか。
それはルーカスが導き出すには最も簡単で、選択するのは最もためらわれる答えだった。




